2 ねんずる
「それはまだ、世界が無であふれていたころ、2ひきのねこがおったのである。はばかりながらその名をもうせば、まねるとまねた――偉大なるしそのねこなり。
まねるとまねたはおのおの、137億年のむかしから、無において寝ころがったり、そこいらをさんぽしたり、ずいぶんとひまにすごしておった。90億年ぐらいはそんなふうであったという。くさはらに寝て、雲でもながめていれば、それはわかるというもの。
ある日、まねるがまねたにもうした。
まねたよ――ちょっといいかね。
まねたはみみをぴんとたて、ふりかえる――なんだね。
ちょっと飽きた。そろそろ、うみだそうじゃないか。われらのしっぽを、ぞんぶんにいかすときがきた。
まねるのさそいに、まねたは、それもそうだな、とうなずかれた。
というのも、2匹のねこは知っておったのだ。
じつは無などそんざいしない。世界はマイナスでんかだらけなのだ。無であふれていたころ、とかつい表してしまうのは、ねこは無が好きだからにほかならない。ねこは詩的なそんざいだからなぁ。
そうして、まねるとまねたは、そこここのマイナスでんかを、はげしくしっぽでかきまぜて、げんしをつくり、もこもこと物質をあみだしたのである。その速度たるや光ごえともいわれる、はげしくもやさしいしっぽふり――これを、ねこ振動という。
まねるとまねたによるさいしょのねこ振動により、びちびちと活きのいい火の玉がころりとうまれた。これ、すなわちタイヨウである。
じつにまんまるであったため、まねるもまねたもおもしろがってとびついて、あちち、あちちと、前足でころころパスし合っていたら、ぽろりぽろりと火の玉のいちぶが欠け落ちた。チキューやらなにやらであった。
ちなみに、このとき右あしをあげたまねると、左あしをあげたまねたのポーズを模したものが、にんげんの世界のまねきねことなっておることは、ねこのみならず、にんげんの常識でなければならぬ。
そこで、まねるがもうされた。これをもでるにして、多くのそんざいをつくり、そこでいのちというものを沸かそうじゃないか。
まねたがうなずく。いのちにはどくりつした意思をもたせるのもよい。いや、じつはわれらの手のうちにはちがいないのだが。
それにともなって、法則もうまれるだろう――まねるが眉をさげる。しかし、質りょうは一定にせねばなるまいな。ふえてばかりもせせこましい。
世界空間をふたつにわけ、いのちを回せばよい。質りょうほぞんのなんとやらである。いのちはしぬのだ。めぐりめぐる。それで、一方の空間をわれ、もう一方をそなたがかんりすればよい。さすれば、上と下のがいねんもうまれよう。
どちらが上で下かは、ねこじゃんけんなり――。
じゃんけんの勝敗は、よもやしらぬとはいわせぬ。
まねるとまねたは、もってして、ねこの世界、にんげんの世界など、多くの世界をつくられ、いまもまだ、近くて遠いところで、かんりしておられるのである――ふぅ」
まんまるの猫は、念じ終えて、ため息をつく。
しゃべっていたんでは? と思うぐらい息苦しそうだ。
「――なんだっけ?」
猫が片眉をあげる。
ちょっとたいへんそうだったので、武史はねぎらうことにした。
「まねるとまねたについての講義をいただきました」
「ああ、ねこの世界をりかいしたかね。おぬしのようなものでも」
「えっと……」
武史は困惑する。正解はなにひとつわからない、にかぎりなく近い。
「まねるとまねたが世界を創造したという、漠然としたイメージくらいは……」
猫はふたたび、ため息する。
それから、みじかい手のゆびをのばして、肉球からつるっと爪をのぞかせると、宙でくるりと円を描く。
「ここに、まんまるを描いた」
「……はぁ」
そして、みじかい腕をせいいっぱいのばして、大きな円をぐるりと描いた。高いところのものを取ろうとしてジタバタしているようにもみえた。
「そこに、おっきなまんまるをかさねた」
「はぁ」
「すなわち、まんまるがチキューであり、おっきなまんまるがニクキューである」
猫は得意げにほくそ笑む。
「ゆえに、チキューはニクキューにふくまれており、にんげんはねこの手のうちにあるということなり。もっとも、ちっこいまんまるが、おっきなまんまるを意識できぬのは、恥ではないかもしれぬ。まんまるは、まんまるがちっこいまんまるだとは思わぬだろうし、おっきなまんまるのことをなかなか想像できまい。あとは努りょく」
はあ?
「ははん、うたがっておるな。たわけ。ねこの世界からのしせつ団は、にんげんの街に住みつき、ねっとわーくをきずきあげ、つねづね、ねこの世界にほうこくをあげておるよ。まさかおぬしも、日がな、ろじ裏のそこかしこでおこなわれている、ねこの集会をしらぬわけではあるまい――」
えらいことになってきた。
頭上にだけ雨雲がたちこめて、蒸し暑さに変な汗をかくような感覚だ。
「ああ、そろそろ時間だな――ほいじゃ」
すると、老夫婦のうえにいた猫が一瞬にして消え、車窓では、ひきのばされた夕暮れの街がかたまっていた。各駅電車のなかは焦げたクロワッサンのような色合いで、なにごともなかったかのようである。
武史があまりにも、まじまじと宙空をみつめていたため、それに気づいた正面の老夫婦のおじいさんが不審に目を見開き、おばあさんがおびえて斜にかまえた。とんだ誤解だが、こういうのは積極的には訂正しづらい。
電車はまもなく、武史のアパートのある市街地へ到着した。