07 ロン視点:異国の王子様
父上が目を覚ましたと同時に血を吐いた。そう報告を受けて、ロンは急いで族長の部屋へ向かう。
しかしロンが到着するころには容体も既に落ち着いており、眠る父上の横で医者が帰宅準備をしていた。
医者の助手が血の付いた敷布団を「万が一のため処分しますね」と袋に詰め込んでいる。ロンの想像を遥かに超えた大量の喀血は、もう呼吸器がボロボロの穴だらけなのだと嫌でも見えない現実を見せつけてきた。
「あまり長くはないでしょう……」
残念そうに、しかしハッキリと告げてくれる医者の声は震えている。彼は大昔に父上と一緒に戦地に赴いたこともある、いわば戦友というやつだ。その戦争で和平が結ばれ、武力で物事を決めることがなくなった世の中でも、長いこと友人として集落で過ごしていて……さすがに思うところもあるのだろう。
疲弊した様子で医者が部屋を出ていき、ロンと父上だけが取り残される。
眠っている父上の顔をまじまじと見ると、記憶の中の父上より随分年を取っていたし、痩せこけていた。昔のように戦える筋力もないし、体力もなくなっているだろう。
懐かしい。小さいころに稽古をつけてもらったとき、全然敵わなかった。初めて一本取れたのは十歳。父上は本気で落ち込んでいたなぁ。ラオは「すげー!」ってキラキラした目で見てくれて。まだ存命だった母上が父上を慰めていたっけ。
母上が亡くなって、父上に病が見つかって今やこの状態で、族長の座を賭けて戦うハメになったラオは出ていって。
もしかしたら自分は他の人間よりちょっと強いのかもしれないが、心は普通の人間のはずだ。
みんないなくなって、寂しい。
……それを口に出せば、みなを困らせるだけだ。黙るほかない。
「ロン様。異国の青年が目を覚ましました」
入り口のほうからイエンツァの声が聞こえて、ロンは「はいはい」と返事しつつ部屋を出る。
今は死にゆく父親より、生きている他人を優先しなければならない。それが族長だ。たとえみんなに認められていなくて、族長と呼ばれなくても。
「ハイは一回です」
昨日と同じやり取りを交わしつつ、診療所へ赴く。
たった一晩寝た程度で、青年はもう一人で歩けるほど回復していた。魔力を転換して身体の損傷を急速に回復するんだったか。紫色の毛が混じるほど魔力が高ければ重傷でも一晩で済むようだ。
医者の息子が若いころ着ていた衣装を貸し出されていて、けれど顔立ちも毛色も部族の者と違いすぎて、ひどく浮いていた。
「助けていただき心より感謝いたします。わたくしはエィトという、エレデナ王国出身の旅人です」
青年……エィトは優雅な礼で頭を下げる。流暢で訛りのないコウカ語だ。きちんと教育されないとそんなもの覚えられないだろう。その礼儀作法だって貴族がやるような挙動だ。
「隠す気があるんだかないんだか」
「ロン様?」
「いや。無事ならよかった」
さて、どこまで踏み込むべきだろう?
族長を継ぐにあたって精神干渉を妨害する装飾品を身に着けているので、おかしなことはされないはずだが……彼をどこまで信用すべきか、検討する必要がある。
「大変我儘なお願い事で恐縮ですが、しばらくこの集落で療養させていただけませんか」
ふむ、そうくるか。ならばこれを口実に色々聞き出してみるか。
「いいぞ」
「ロン様?!」
イエンツァはひどく狼狽えていた。それが本心であれ演技であれ、エィトに『お前を快く思わない者もいる』と牽制をかけることも必要なので、大して咎めない。
「他の者がなんと言うか……」
「その代わり、異国の話を聞かせてくれ。俺はこのとおり族長の座に就いているから外に出られん」
そう提案すると、エィトは「族長?」とロンの予想を超えた反応を示した。
そんなに族長っぽく見えないだろうか……父上と同じようにヒゲでも生やすべきかな……
「失礼ですが、だいぶお若いのですね」
「一週間前に代替わりしたからな」
「コウカ地方の部族たちは世襲や年功序列ではなく腕の強さで族長を決めると聞いたことがあるのですが……本当なのですね」
エレデナの王族から見たら野蛮とでも思われるだろうか。
「……わかりやすくて羨ましいです」
しかしエィトの反応は、そんなものだった。
それもどうかと思う。現にロンは自分が族長の器ではないと重々承知していた。
まぁ次期国王の座を狙って毒や暗殺者が飛び交うような世界の住人から見たら、あまりに単純な仕組みすぎて羨ましくも思えるか。
「そうかぁ? 俺は強いだけで人を纏めるのは苦手だぞ。弟にはいつも『言葉が足りない』と言われる」
「言葉が足りないだけなら……思ったことをそのとき口にすればいいでしょう。いきなり結論だけ話しても、納得できるだけの知識を相手が所有していなければ真意は伝わらない。試しに、わたくしの滞在を許可した理由を聞いてみても?」
……それは今、イエンツァの前で話してもいいことなのだろうか。
念のためイエンツァには席を外してもらい、どこから話せばいいのかわからないのでひとまずエィトが発見されてから考えたことを全て話し始める。
エレデナ王国は王位継承権争いで揉めていると聞いた。
エレデナの王族は全員孔雀色の瞳をしていると文献で読んだ。エレデナの礼儀作法には詳しくないが、先ほどの優雅な挙動も訛りのないコウカ語も高位貴族のそれではないか。
エレデナ王国で第一王子が行方不明になった時期と、エレデナ王国からここに来るまでの時間がほぼ一致している。
魔力が強い者は紫の髪が混じるから、エィトは生まれつき魔力が多く、第一王子という立場的にも次期国王に相応しいと判断されると考えられる。生まれ持った才能と年功序列を快く思わない者は多いはず。特に才能も生まれ持たずエィトより数年ほど生まれが遅かった者、あるいは生まれが早すぎた者はなおさら。
意識を失ってから川に落ちたようだが、それなら事件性が高い。
この集落に暗殺者が追ってきても困るので、エィトのことを知る者たちには既に口止めしてある。
「そんなところだろうか……ごほっ」
久々にたくさん喋ったので、息継ぎをする感覚を忘れていた。それに気が付いた途端に息苦しくなる。
エィトは……顔を青くして固まっていた。不安にさせてしまったのだろうか。
「……その考えは、他の者には話していないということですよね?」
「ああ」
「……それだけの知識があって、そこから正解を推測できて。今のわたくしにはそれを秘密にしてくれて有難いのですが……その考えを全く話さずに異国人を集落に留め置こうなど、民衆から反発されてもおかしくはないですね。先ほどの女性が戸惑っていた理由もわかりますし、失礼ながら弟様から言葉足らずと非難されるのも致し方がないかと」
「ん? じゃあ話していいのか?」
「それは困りますね。ご推察のとおり、わたくしの命を狙うのは第二王子です。わたくしの双子の妹……第一王女は既に人質に取られており、わたくしの存命が伝われば妹はどうなることか。王宮内は誰が味方で誰が敵かもわかりません」
だろうなぁ。では、どうしようか。エィトをこのまま無条件で集落に留め置くのは確実に集落の住民たちから反発があるだろう。かといって隣国の王族を適当に放り出したなんて皇帝に知られたら問題だ。エィトが「身分を明かさなかった」と証言したところで許してくれるような皇帝でもない。
ひとまず集落にいてもいい理由をエィト自身に作ってもらうか。そうだな。たとえば……
「じゃーエィト。人魚を連れてきてくれ」
「本当に言葉足らずですね。先ほどのわたくしの返答から『じゃあ』の間に何を考えたのです?」
面倒だがロンは考えたことを最初から説明し、何度か咳き込む。ようやくエィトも納得してくれた。
「人魚についてだが、ほら……人魚の肉を食べたら不老不死とか、鱗が万病に効くとかあるだろう」
「あれは伝説でしょう?」
「民衆はそう思っていないだろう。ゼン族に助けられた恩として、今度は病に倒れている前族長を助けるために行動してくれたと示せば、しばらくここで匿う口実になる」
「……なるほど」
「ちょうどコウカ帝国で皇帝の誕生祭をやっていて、人魚の所属する雑技団が来ているらしい。金の力で売ってくれるんじゃないか」
「無茶苦茶言いますね。人魚の売買は世間一般では禁止されているのですが……わかりました。上手いことやって連れてきますよ」
ため息を吐くエィト。そうと決まれば話は早い。待機させていたイエンツァを呼び寄せ、倉で眠っていた面を一つエィトに渡す。これは大昔の戦闘で他部族から勝ち取った面なので、ゼン族の面ではない。
「コウカ部族の戦士たちは戦うとき面をつけると聞いていましたけれど、本当なんですね」
「いざとなったら使え。ゼン族の面じゃないから身分証にもならないが、お前の顔は目立つ」
「顔を隠せるのは便利ですね。お借りします。……あと、余計なお世話かもしれませんが」
エィトの目はいたって真面目だ。
余計なお世話をされるほどロンが危なげに見えたのだろうか。
「信頼できる側近には、わたくしのことを話していただいても構いません。お話の限りでは、族長になったばかりのあなたの味方はまだ少なく思える」
「まぁそうだな~弟も武者修行に行っちゃったし、限りなくゼロだな~」
「あなた自身の信頼が薄いと、わたくしの立場も危うくなるのですよ。民の心を掴むのも長の役目です」
「そういうものか。ああ、それと俺からも余計なお世話かもしれんが」
「どうぞ」
「別にその改まった口調でなくてもいいぞ。最初に目覚めたときは一人称が僕だっただろう」
「……記憶力がいいんだな」
エィトは肩を竦め、それとともに口調を緩める。
「じゃあ遠慮なく。僕はラススヴィエート・フォン・エレデナ。長いしエィトで通させてくれ、族長」
族長と呼ばれたのは初めてだな、なんて思ってしまった。未だにしっくりこないので、やはり自分には向いていないし「やるからには」という覚悟も決めきれていない。
コウカ帝国へ向けて旅立つエィトの背中が見えなくなるまで見送っていると、イエンツァが懐疑的な目でこちらを見ていることに気付く。
……イエンツァにだけはちゃんと説明すべきか。仕事には真面目なので、しっかり口止めすれば漏らすことはないだろう。
「イエンツァ。少し……いや、だいぶ時間はあるか」
「? 仕事のことでしたら、いくらでも」
喉を痛めなければいいが。
少々気が重いものの、ロンはイエンツァを連れ立って執務室へと向かった。