01 旅立ち
よく晴れた、月が輝く美しい夜だった。
風が吹けば肌寒いが、旅立つために着込んでいるので苦ではない。
揺れる草原、満天の星、浮かび上がる集落の陰影……そのうち戻ってくるつもりではあるが、しばらくはお別れだ。
青年……ラオは自身の装備が整ったことを確認し、今まで住んでいた族長の家から一歩踏み出す。
「感傷に浸っているのか」
のんびりした声が背後からかかり、ラオは足を止めざるをえなかった。今せっかく腹を括ったところだったのに。
ラオとよく似た声の青年、ロン。声だけではなく、明るい茶髪や真っ黒なタレ目に顔つきなど、容姿は双子と間違われるほどよく似ていると言われた。そんなに似てないと思うんだけどな。
「感傷なんてカッコいいもんじゃねーよ」
「じゃあ後ろ髪引かれてるのか」
「何にだよ」
「バイルゥの串焼きが食べられなくなるとか」
「メシ一つで『出ていきたくない』とかダダこねるかよ……」
二歳の差だが……性格は全く似ていないと思う。いや同じ思考だと思われたくはない。ロンはなんというか、着眼点がずれている? とにかく他の人間とは考え方が全く異なるので、ある程度理解しているラオはともかく他の部族の仲間たちは会話中に首を捻っていることが多い。
父上曰く「人と見ている世界が違う」とのことだ。
けれど、それを抜きにしても、ロンには有り余る才能がある。
コウカ地方に散らばる部族たちは世襲なんてバカらしいことはしない。現族長が引退を宣言した翌日に行われる試合で勝ち抜いた者が次の族長だ。
父上は長いこと不治の病に侵されていて、一週間前にやっと次期族長を決めると言い出したときは正直遅すぎると思った。もう立ち上がることすら難しかったからだ。おそらくはロンが他の仲間たちに少しでも馴染めるよう待っていたのだとは思うが。
通例通り宣言の翌日には試合をして、最終的にラオとロンの一騎打ちになり、そしてラオは破れた。
ロンは天才だ。ラオの努力なんて到底及ばないくらい。
問題はロンが族長になってその意思が仲間たちに正しく伝わるかどうかだが、しばらくは集落の全員と繋がりがあるバイルゥと、生真面目を絵に描いたような性格のイエンツァが補佐に入るそうだし、心配はいらないだろう。
「弟の旅立ちを見に来た兄上様のほうが後ろ髪引かれてたりな」
「うん」
「いや『うん』じゃねーよ。族長になるんだからしっかりしろよ……」
「はぁ~~~無理……あのときお前がわりと本気で殺しにきたから本気でやり返したが、人前に出るのめっちゃくちゃ嫌だ……」
「バイルゥとイエンツァが頭抱えるだろ……絶対言うんじゃねーぞ……」
「寧ろあの二人こそ俺が族長なんて向いてないのわかってるだろ~~~」
これに負けたのか、俺は……そう思うとやりきれなくなる。ラオは長いため息を吐いて、なんとか感情を押し流した。
昔はこんなヤツじゃなかったはずなんだけどな。
「負けた俺が惨めになる。やめろ」
「……」
少しキツく言ってしまったかもしれない。ロンはどんよりと顔を曇らせて、けれど気を取り直したように長い裾から何かを取り出した。それを黙ってラオに差し出してきて、思わず数度瞬く。
「この前の試合で、俺が割ったから……代わりだ」
それは面だった。額あたりから鼻あたりまでを隠すだけで口元は見える、上半分だけの面。角が生えているあたり鬼を象っているのだろうか。一つの木が丁寧に彫られ、見事な細工だ。しかし色褪せ具合や細かなキズから随分年季が入っていると思われる。
コウカ地方の部族の戦士たちはそれぞれ面を所有している。戦うときに身に着けるのだ。この面を取られたら負け、破壊されたら服従。とはいえ今のご時世にそこまですることはない。面を破壊されて一生服従を誓わされるのは犯罪者くらいだ。
今では次期族長を決める試合など儀式的な戦闘で風習が引き継がれ、この面を奪われたら負けということになっている。
ラオももちろん自身の面を持っていたが、それは先日の試合中に真っ二つに割られてしまった。
ロンは手が滑っただけで服従なんで望んでないと全員の前でハッキリ言ってくれたが、面を取られるどころか破壊されるなんて情けないにもほどがある。
「裏の倉を掃除してたら出てきた。ご先祖の面かもな」
「いいのかよ。簡単に持ち出して」
「いいだろ。長いこと使ってないみたいだしな。世界には俺より強いヤツが大勢いると父上も言っていた。顔を覚えられないためにも隠したほうがいい」
「恨み買うの前提かよ」
そういえばロンは試合から逃げ出そうとした罰でイエンツァに倉掃除を命じられてたっけ……本当に、なんでコイツに負けたんだろう。実力が足りなかったからだな。あまりに悲しくて泣きそうだ。
「ま、代わりの面もすぐに作れはしないしな。できたら返しにくるわ」
「おー、んじゃな」
「挨拶適当かよ、お前……」
まぁ、今はその適当さが有難い。
「じゃな」
気軽に挨拶して、他の仲間たちに気付かれないうちに集落から抜け出す。
念のため振り返るが、ロンの姿はもうなかった。後ろ髪引かれるって自分で言ってたくせに、さっさと断ち切ってるじゃないか。切り替えの早いヤツ。
……いつか戻ってきたとき、次こそは勝てるだろうか。