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心願彫りの奇妙丸  作者: ひょっとこ斎
10/11

~第一章~ 弥助の覚悟

 泣いているのは弥助だけではなかった。

 「カ、カアカ、カアカッ、カアカーー」

 二尾のその叫びは、もはや人の声ではなく、獣の鳴き声に近いものであった。

 「お前は、わたしを傷付けるだけでなく、カアカまで殺したのか? なぜじゃ? なぜそんなことをする? なぜわたしのカアカを奪うのじゃーーーーー」

 二尾のその怒りは生乃を殺した市郎だけでなく、守れなかった弥助にも向いていた。

 「あああ、トウト、なぜカアカを守ってくれなかったの? カアカへの愛情は偽りだったの? ずっと一緒にいようといったのは噓だったの?」


 二尾の生乃に対する愛情は人間の頃より激しい。ようやく手に入れた自分への無償の愛、それが例え、妖力による偽りのものであったとしても、尾獣である二尾の心を満たすには必要なものであった。

 「あああ、トウト、わたしを助けて。わたしにはもうトウトしかいないの。お願いします。お手伝いでもなんでもします。畑の草抜き、山での薪広い、川での洗濯、なんでもします。トウトのお手伝いをなんでもします。だから、わたしを助けてください。そして、わたしと一緒にカアカの、カアカとの思い出と一緒に暮らしましょう、ずっと三人で一緒にいましょう」


 その言葉を聞いて、弥助は泣いていた顔をあげ、二尾の姿を見た。その姿は人間のものではない。人間より一回りも大きな体を持った狐。目は切れ長で真っ赤に染まり、鋭い眼光を放っている。その口は、子供であれば丸のみできるほど大きく裂け、そこからは鋭い牙が伸びている。そして、尾獣であることを示す尻尾が二本。

 そのような獣から「トウト」と呼ばれ、その姿に近しい生乃を「妻」と呼んでいた。ここにきて弥助は、生乃の気持ちを知ることが出来た。


 自分が生乃の立場であればどうであったであろうか。人としての姿を失い、心を亡くし、それでも愛する者と一緒にいたいと思うであろうか。弥助の答えは「思う」である。どんな姿になってでも愛する者と一緒にいたいと思うであろう。

 だが、それで愛するものを幸せにできるであろうか? 弥助の答えは「できない」である。姿だけであれば、どんなに醜く変貌しても、幸せなれる可能性もあったであろう。だが、その心は既に元の人間のものではなくなっているのだ。心がなくなった時点で、元の人間ではないのだ。

 それが生乃には分かっていたのだ。それが弥助を苦しめることを分かっていたのだ。だからこそ、弥助のことを想うがために「殺して」と言っていたのだ。


 そう気付いたとき、弥助は腕に抱えていた生乃の表情を見た。そして気付かされた。その表情は先ほどとはまるで違っていた。正反対であった。いつの間にか変わっていたのだ。あの苦痛に満ちた表情ではなく、弥助と一緒に過ごしていた、あの安らぎに満ちた、幸せを信じて疑うことを知らなかった穏やかな表情であった。

 (もう少し、もう少しだけ、お前を抱きしめさせておくれ)

 弥助はそう思わずにはいられなかった。


 数的には有利であった。残るは二尾と派手な格好をした妖狐だけである。だが、派手な格好をした妖狐は、ここまで決して本気を出しているようには見えない。まるで、この戦いを見物にでも来たかのようだ。

 「切替えましょう」

 奇妙丸は、自分に言い聞かせるように二尾に対して構えを取った。

 「流されるなよ」

 市郎は刀においては、奇妙丸を認めている。刀は日々の鍛錬の積み重ねだ。何千回、何万回と同じ所作を繰り返し、どれほどの時間を費やしたか。その積み重ねられた奇妙丸の日々を疑うことはしない。その奇妙丸が気を抜くことがないのは分かっていた。

だが、心は違う。どんなに戦闘の経験を積んでも、まだ一六歳の若者である。感情を制御することにおいては、経験がものをいう。その点においては、新九郎と市郎の域までは、まだ達していない。

 「大丈夫です」

 その顔は生乃と相対していたときの迷いのある表情と違い、戦いに集中しているのがはっきりとわかる。いや、流されそうになる心を、戦いに集中することで必死に繋ぎとめていたと言った方がいいだろう。


 「アハハ。若いのになかなかたいしたもんだね」

 突然、派手な格好をした妖狐が声を出したかと思うと、その鋭い爪で市郎へ襲い掛かった。派手な格好をした妖狐が見せた初めての攻撃であった。

 ガギン

 市郎は、刀でその爪を受け止める。それほどの速さはなかった。だが、その力はすさまじかった。市郎であってもその威力をすべて受け止めることが出来ずに吹き飛ばされた。

 ドゴン

 吹き飛ばされた市郎の体は、家の壁に当たって衝撃を受ける。

 (こいつは)

 市郎だけではない。先ほどまで対峙していた奇妙丸も含めて、その場にいるものすべてが、この派手な格好をした妖狐の強さを肌で感じ取っていた。

 ワンワンワンワン

 今までにないほど、風太は牙をむき出しにして吠えた。

 「アハハ。この犬凄いね。おれのことがわかるのかな?」

 その言葉の真意は分からない。だが、余裕であることは確かだ。そして、奇妙丸がわずかにその二人の戦いに気を取られた時だった。


 ヒュン

 二尾の尻尾が、奇妙丸に向かって真っすぐに伸びた。

 「奇妙丸、前じゃ!」

 新九郎が叫ぶ。その声が届くより早く、奇妙丸は素早く横に飛びのいた。そして、新九郎は、叫ぶと同時に、二尾の後ろへ回り込んだ。

 「集中するんじゃ。今は生乃さんのことを考えている余裕はないぞ」

 (人は経験じゃ。生乃さんのことはどうしようもなかったのじゃ。お主も、苦しく、辛い経験をすることによって成長するんじゃ。それによって、他人の痛みや苦しみを理解できるようになっていくんじゃ、乗り越えるんじゃぞ)

 新九郎は、心の中で呟きながらも、戦いの中に身を投じていた。

 「お前たちはわたしをどうしようというの? またわたしを苦しめようというの? なぜなの? わたしは生まれてきてはいけなかったの? ねぇ、誰か答えてよ」

 姿形は違うが、二尾の心は紛れもなく諏訪のものである。孤独に産まれ、孤独に生き、そして九尾に取りこまれた。愛情を知らない諏訪の心であった。


 「諏訪殿。あなたが悪いわけではありません。ですが、わたしは、あなたをとめなくてはなりません。あなたは村の人たちを傷付けました。少しでも村の人たちを救うため、わたしはあなたを斬らねばなりません」

 奇妙丸は、そういうと鬼丸国綱を上段に構えた。

 「アハハ。何を綺麗事を言っているのさ。そんなの自分の行動を正当化するための言い訳じゃないのさ。結局、人間に捨てられたその子を人間の君が斬るんでしょ?」

派手な格好をした妖狐が言い放つ。

 「お前に、おれらの何がわかる?」

 市郎は、そう言うと派手な格好をした妖狐に襲い掛かった。先ほどまでの余裕を見せた市郎ではない。実力を見せつけられたこの妖狐に対して、一ミリの油断もしていない。先ほど二尾に対して放った衝刺突を繰り出したのだった。

 ザクッ

 命中するはずだった。油断どころか手加減もしていない。だが、血飛沫をあげたのは市郎であった。奇妙丸は、鬼丸国綱を上段に構えたまま信じられないといった表情をしている。新九郎にしても同様だ。


 なんと派手な格好をした妖狐から六本の尻尾が伸びていたのだ。おそらく市郎でなければ、致命傷を受けていたであろう。市郎は、衝刺突を繰り出しながら、派手な格好をした妖狐の攻撃に対して、辛うじて六本の尻尾のうち五本までは刀によって瞬時に払いのけていた。だが最後の一本だけは、完全には払いきれずに、市郎の左ふくらはぎに突き刺さっていた。

 「き、貴様は、六尾か」

 市郎は驚きの声をあげる。だが、なぜかその表情は恍惚とし、見る者が見れば、どこか嬉しそうな表情にさえ感じられた。強者と相まみえることがこの男にとっては、至極のひと時なのである。

 「アハハ。バレちゃったね。さすがに今のは躱しきれなかったから、ついつい。ごめんね。でも今日の主役はおれじゃないからね。ほらっ、ちょっと遊びに寄っただけだから」

 六尾はそういうと、すぐに市郎との間合いを取った。

 「相手にとって不足はないな」

 市郎は、小さく呟いだ。


「いやいやいや。勘違いしないでよ。九尾様に『行け』って言われたから来たけど、ほら、おれって痛いの嫌いじゃん? 子供の世話なんてできるわけないじゃん。今日も遊びに来ただけなんだから。おれのことなんか気にしないで楽しんでよ」

 六尾はそういうと、ババッと屋根の上に跳躍し、腰をかがめながらその場を見下ろした。家の中では先ほどの二尾の放った熱風によって、土間の方より火の手が上がっている。だが、まだ燃え広がるまではしばらくの時間があった。

 「ほらっ、諏訪ちゃん。しっかりしないと。お父さんが見てるよ」


 その言葉は、低く重い重圧のような威圧感があった。二尾は、哀しみだけでなく、恐怖までが入り混じった表情で、弥助を見つめた。

 (もしや藤次さんが言っていたのは六尾のことか)

 奇妙丸は市郎を見た。市郎も頷く。

 「こいつのことは、おれに任せろ」

 奇妙丸も市郎も、六尾の言うことを信用していない。油断させておいて、いつ隙をついて襲ってくるか分からないのだ。だから、六尾を放っておくことなどできるはずがなかった。

 そのため、先ほどの不意打ちで左ふくらはぎを負傷している市郎が、すばやく動くことはできずとも、六尾を警戒する役割に回ったのだ。

 「お願いします」


 奇妙丸は、再び鬼丸国綱を上段に構えて二尾と対峙した。だが、二尾は奇妙丸だけに神経を集中させるわけにはいかない。ただでさえ、戦いの経験値が少ない二尾が、新九郎に背後を取られているのである。

 二尾が新九郎との間合いを拡げようと、熱風による攻撃を繰り出すため、大きく息を吸い込んだその時であった。一瞬の隙を奇妙丸は見逃さなかった。

 「叶想流刀術・風の型『颷葉閃ヒョウヨウセン

 その技は、まるで風に揺られた葉が舞い散る様に、ユラユラと捉えどころのない動きを見せた。刃先の残像が不定間隔で左右に振れると、ふいに、ヒュッ、と二尾の傍らを駆け抜けた。

 ザシュッ

脇腹から血飛沫が迸る。二尾のそこには一尺にも及ぶ傷口が開いていた。

 (また腕を上げやがった)

 市郎は、奇妙丸の太刀筋を目で追いながら、その成長に驚嘆の色を見せた。


 「わたしには、あなたのような哀しい人を救うことはできません。ですが、あなたを人として、わたしの心の中に残すことは出来ます。そして、あなたと同じような苦しみを抱えた人を救う努力をしていきます。あなたの小さな命で、わたしが多くの命を救って見せます。ですから、どうか安らかに逝ってください」

 「あああ、いやだ! いやだっ! いやだーーーーーーっ! わたしは生きたい。生きて、カアカと暮らしたい。トウトと暮らしたい。わたしは何一つ我儘など言ってない。わたしは普通に生きたいだけ。たったそれだけのことなのに、それすらわたしには許されないというの? なぜ? なぜ? なぜわたしだけなのーーーー」

 二尾は冷静さを失っている。体中の毛は逆立ち、その体からは凄まじいほどの殺気が迸っている。

 「残念じゃが、お前が人を苦しめる限り、わしらは倒さねばならぬ」

 ザクッ

 言うよりも早く、新九郎の有動刀が二尾の背中に突き刺さる。その痛みは二尾の全身を駆け巡り、仰け反るようにその大きな体躯を翻す。二尾はその痛みを紛らわすかのように、二本の尻尾を新九郎に向かって振り抜く。

 ドスッ

 そのうちの一本が新九郎の腕を捉えた。油断ではない、先に突き刺した有動刀を抜くのに手間取った一瞬の遅れをつかれた。二尾の尻尾は新九郎の左腕の肉をえぐり、大粒の血が滴り落ちる。すぐに持っていた布切れで傷口を止血する。

 「助けて、トウト。助けて、カアカ。一度でいい、たった一度でいいから、わたしを助けてーー」

 二尾は、痛みを堪え切れないのか、体を揺すりながら、苦痛の表情を浮かべ絶叫する。

「トウト、どこにいるの? 助けてよ! わたしを助けてよ! カアカだけでなく、わたしのことも見て! 助けて! お願い!」

 二尾の目からは真っ赤な涙が零れ落ちる。そしてその視線は、生乃を抱えている弥助に向かっていた。弥助は生乃への想いを巡らせている。


 (生乃よ、わしが間違っておった。わしは生乃のことを考えているようで、生乃の気持ちを理解できておらなかったのじゃ。生乃よ、わしは一緒にいることが幸せだと勘違いしておったようじゃ。ともに歩み、ともに笑い、ともに泣き、ともに感じる、そうすることができて初めて幸せなんじゃ。生乃よ、お前は、自分にそれが出来なくなったとわかったとき、さぞや苦しかったじゃろう。さぞや辛かったじゃろう。その気持ちをわしに分かって欲しかったじゃろう。気付くのが遅くなってすまなかったな。わしゃ、いつもお前に迷惑かけてばかりじゃ、じゃがな、これが最後じゃ、許しておくれ)

 弥助は、その場に生乃の首を置くと、ゆっくりと立ち上がった。


 「諏訪よ、すまなかったな。トウトはお前を助けてやることはできぬ、じゃがな、お前を愛してやることはできる。お前の心はトウトが必ず守ってやるからな」

 弥助の目にもう涙はない。確固たる決心を持った強い輝きを持っている。

 「諏訪よ、わしはな、お前と出会えて幸せじゃったんじゃ。生乃と三人で過ごしたほんの少しの間だったが、ほんに幸せを感じとったんじゃ。じゃがな、それはお前の作った幻だったんじゃ。お前の心は愛情に飢え、何も満たされとらんかった。生乃もそうじゃ、わしはそんな生乃の心の隙間を埋めてやることができんかったんじゃ。諏訪よ、悪いのは、わしじゃ、わしが悪いんじゃ。じゃからな、わしは心を鬼にして前に進まねばならんのじゃ。それが例え、お前が望まぬことであったとしても、わしは、お前のため、生乃のため、村のみんなのため、そして力を貸してくれた奇妙丸さんたちのために、お前を討たねばならん」

 「アアアアア、アアアアア、アアアアア」

 二尾は、苦しそうに弥助の言葉を聞いている。その口からは、周り一帯を焼くような熱風が発せられているが、既に狙いは定まっておらず、闇雲に吐かれていて、弥助に届くことはない。

 「許してくれとは言わぬ。だが、わしのことを信じておくれ」


 そう言った弥助の背中に現れたのは『不動明王』であった。弥助を守って命を落とした梵天丸の意志を汲み、同じ心願彫りを施していたのだ。それは悪を許さない梵天丸の思いが、弥助の弱き心を打ち払うかのように、今にも背から飛び出し戦いの場に赴かんと思えるほど、迫力に満ちていた。

 弥助は静かに『黒ん坊切景秀』を抜いた。その刀身は、どんな堅い岩であろうとも、一太刀の元に一刀両断できそうなほど光り輝いていた。いや、少なくとも二尾にはそう見えていた。

 「あああ、トウト、どうして? どうしてなの?」

 恐怖に慄き、弥助を震える目で見つめている。

 「諏訪よ、次に産まれてくるときは、わしの子供に産まれてくるんじゃぞ」

 弥助は、二尾との間合いを詰める。

 ザザッ、ザザザッ、

 二尾は無意識に間合いを保つため、後ずさりをする。

 ドスッ、ドスッ

 二本の刀が二尾の背中に突き刺さる。新九郎と奇妙丸である。弥助に気を取られて、隙を見せた二尾に、二人が攻撃を仕掛けたのだ。

 「グアアアアアアアアアアアアーーーーーー」

 二尾は、辺り一面に轟くような絶叫をあげると、後ろ足で立ち上がる。奇妙丸はすぐに刀を抜いて、地面に着地すると、間髪入れずに、左足を薙ぎ払った。

 ザシュッ

 肉が切れ、骨まで貫通している。二尾は立っていることもかなわず、斬られた左足を庇う様にうずくまった。そこに弥助が斬りかかる。

 ザンッ

 弥助は力を込めて黒ん坊切景秀を振り抜いた。その手には何一つ感触が残っていない。斬ったのか、斬れなかったのか。ただ弥助の目には二本の大きな尻尾が二尾から切り離されて、地面に落下するさまが映っていた。

 ファサッ

 二本の尻尾が地面に静かに落ちる。

 「諏訪よ、さようなら。少しの間だけど、トウトはお前と過ごせて幸せだった。先にカアカのところに行ってておくれ。トウトはもう少しだけ、こっちの世界で頑張ってみるからな。次に産まれてくるときは、生乃と三人で、本当の家族になろうぞ」

 弥助はそう言うとそのまま倒れ込んだ。心願彫りの力を開放し、願いを叶えたことで気を失ったのだ。その横には弥助に寄り添うように、五、六歳の娘子が横たわっている。命を落としたことで、妖力を失い元の姿に戻った諏訪であった。


 市郎は、痛めた足で風太と共に六尾を追っていた。六尾は、二尾が倒されたのを確認すると、火事によって立ち込める煙を隠れ蓑にして、奇妙丸たちに悟られぬように森へと続く道へ入って行ったのだ。

 だが、痛めた足では速く走ることが出来ない。匂いを頼りに追い掛ける風太も、六尾を警戒してか、市郎との距離が開き過ぎないように振り返りながら、追い掛けている。

 「やめておけ」

 不意に、呼び止める声がした。木の影から現れたのは鎌倉藤次であった。市郎は、刀に手をかけ、すぐにでも斬りかかれるように臨戦態勢を取った。

「ならば、お前がおれの相手をしてくれるのか?」

 「力の差が分からぬのであれば、相手をしてやろう」


 市郎にとっては、屈辱であったが認めざるを得ない。この鎌倉藤次に対しては、例え、怪我一つない状態であったとしても、今の市郎が敵う相手ではなかった。市郎としては、構えを解くしかない。

 「あいつについて、聞きたいことがある」

 市郎が、六尾を追いかけていた理由であった。

 「言ってみろ」

 「あいつは何者だ?」

 「あ奴の名はキヤン逸平。遊戯欲に憑りつかれて、数年前に尾獣になった元人間だ。どこかの殿様の落とし胤で、とにかく遊興に耽っていたところを九尾様が見つけられたそうだ。人間だった頃は、己が楽しむためであれば、女子供であっても、どんな酷いこともしておったらしい。おれとは相容れぬ」

 よほど性格が合わないのであろう、藤次は、語るのも嫌な表情をしている。

 「それだけか?」

 「どういうことだ?」

 「それだけかと聞いているのだ?」

 市郎の問いに、長い沈黙が流れる。藤次は、意外そうな表情で市郎を見た。

 「鋭いな」

 「やはりか・・・」

 市郎は、哀しい表情の中にも、怒気を隠すことが出来なかった。藤次は、フーッと息を大きく吐き出すと重い口を開いた。

 「ああ、お前の想像通りだ。諏訪の実の父親だ。なぜわかった?」

 「あいつが言った『お父さんが見ているよ』という言葉が引っかかってな。あの子はそれを知っていたのか?」

 「娘の方は知らぬはずだ」

 「せめてもの救いか。だが、なぜおれに隠そうとした?」

 「お前が、追う可能性を無くしたかった。今のお前が、六尾に追いついたところで、返り討ちにあうだけだ。命は捨てるものではない。これだけ時間が経てば、もう追い付けぬ」

 市郎は、しゃがみ込むと傍にいる風太の頭を撫でた。

 「情けないな」

 「今のままでは勝負にならぬよ。だが、お前と、あの奇妙丸という少年。さすが九尾様が興味を持つだけのことはある。鍛錬次第では、とてつもなく伸びるだろう。行き詰ったときにはおれのところに来るが良い。おれは、元とは言え七尾の攻撃欲だ。それも武のみを追求し続けて三〇〇年以上経つ。純粋な刀での戦いであれば、おれは九尾様より上だ。おれが鍛えてやる」

 「そいつはありがたいが、その前に超えて見せるさ」

 「だといいがな」

 それだけ言い残すと、鎌倉藤次も森の奥へと消えて行った。



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