再会
森のすこし開けたその場所に、両足をロープに絡ませて木からぶら下がって揺れている男がいた。
同業者……なのか? 装備的には、冒険者なんだけど。
もう叫んではいないが、さっきの「わー」は罠に掛かって上下に揺れながらのものだろう。
あの枝強いなぁ、なんて呆れていると、木に吊された男はこちらに気づき、逆さまのまま手を振って助けを求めてきた……なんだろう正直、関わり合いになりたくないな。
「いやぁ、助かったよ。あんたが通りかかってくれて、本当によかった」
大柄なわたしよりも更に長身の彼は、明るい声でそう言いながらいそいそと自分が掛かっていた罠を解体している。
無許可で設置された罠を放置しないのは、いい心がけだよね。
周囲をざっと見回しても罠を仕掛けてあることを示す目印はなく、これが無断設置であることがわかる。
「助けた、という程じゃありません。それにしても、こんなところに目印もなく、罠を仕掛けるなんて、どうかしていますね」
罠の解体を手伝いながら言うと、彼が笑って同意する。
「本当にな! あんたがこなかったら、吊されたままだったよ」
快活に言った言葉に、それは違うだろうと思いながら彼から視線を外して曖昧に肩をすくめる。
あの筋肉ならば、多少時間はかかったかもしれないが、一人で脱出できただろうと思う。
手助けがあったから早く下りられたのは間違いではないが、果たして本当に手伝いが必要だったのかはわからない。
周囲に人の気配はないから、彼も私と同じようにソロで活動している冒険者なのだろうか。
わりと身軽な装備だけど、決して弱いからではないことはその体格で察することができる。
なんだかんだいって、強さというのはある程度体格に依存しているというのは、これまで冒険者をやってきてよくわかった。
だから、同期のビレッドが余計にわたしに突っかかるんだけど。
彼も体格に恵まれていないわけじゃない、ただわたしが冒険者としての理想を詰め込んだ体格を作っているというだけで。
そしてその私よりも体格がいい目の前の彼の実力は、言わずもがなだろう。
「災難でしたね。あなたもギルドの依頼で、こちらにいらしたんですか?」
罠を片付け終えて、尋ねたわたしに彼は頷いた。
「ああ、気分転換に森狼の糞を取ってくる依頼を受けたんだが。見当たらなくて焦っていたところで、この罠だ。慣れた森だから、気を抜きすぎていたようだ」
明るく言った彼だが、迷いの森は気分転換に入る場所ではない。
ということは、この森に入ることが許可されるCランクよりも上位のランクの冒険者なのだろう。
森狼の糞は、ネズミなどの小さな害獣が嫌がるお香を作るのに使われるが、あまりその依頼を受けようとする人はいないので、いい人ではあるんだろうな。
身なりも悪くないし、上位ランク……Bランク以上の冒険者は大抵金を持っているので、追い剥ぎとかではないだろう。
ダンジョン産の珍しい武器でも持っていたら目を付けられるのかもしれないが、狩りをしないわたしの持つ武器は、普通に町で購入できる物だ。
そもそも冒険者同士の諍いは御法度だ。高ランク者が低ランク者を食い物にするなんてあってはならないから、ギルドの罰則も重いものとなっている。
稀にギルドの目を躱して、そういうことをする者もいるらしいが、高ランク者はそうなるに値する品性を求められるので、格下の冒険者を食い物にするわかりやすい馬鹿はいない。
ということは――どういうことなんだろう?
上位ランクの冒険者であろう彼が、獣用の罠に掛かるなんて茶番をしてまでわたしの前に現れる理由がわからない。
気を抜いていたなんて、わかりやすい言い訳をした彼に緩く笑みを返しながら、さっさと別れた方がいいか、それとも目に付く場所で行動した方がいいか悩む。
残っている依頼は、受付から頼まれた上級回復薬用の植物だけだが……。やっぱり、さっさと別れよう。
「怪我がなくてなによりでした。では、わたしはまだ依頼がありますので」
「ああ、手伝ってもらって悪かったな。俺はレヴィオスだ、あんたは?」
彼の名を聞いて、心臓が大きく跳ねた。
彼を凝視して、ドバッとあふれてくる記憶と、目の前に居る彼のすべてを重ねる。
ぼんやりとした視界しかなかった記憶なので、彼の容姿はわからないし、今のわたしは魔法で体格を変えているので、元の体ならば彼の体格について把握できるだろうに、それもできない。
ただ……声は、そうだ、声は確かに、彼の声だ……っ。
あふれる思いが、嗚咽となって喉からあふれそうになるのを必死でせき止め、顔をうつむけて彼の視線から逃れる。
落ち着け、落ち着けわたし。
こんなガタイの、男の、彼の知るアキとは違う自分だ。性別転換の魔法で体を変えてるんだと言っても、そんなものはないと一笑に付されるだけ。
本当はこの場で魔法を解除してしまいたいけれど、肉体を無理矢理変形させている歪みで、体を戻すときに縮む体積との差の余った肉体が引きちぎれて周囲がスプラッターになってしまう。
男の姿になるときは、肉体を魔力で満たして、数日掛けて大量の食料の摂取で肉体を作り上げるので、惨状にはならないのだけど。
あれを、彼の前でやりたくはない。
ちゃんと元の姿に戻ってから彼に『再会』したい。
だから本当はすぐにでも感謝を伝えたいけれど、今はまだわたしが第三層でお世話になったアキだと、知らせないでおこう。
「どうした? 泣いてんのか?」
ああ……怪訝な声は、記憶にあるレヴィのものだ。
彼に再会できた感動で潤んでしまった目元を袖で乱暴に拭い、泣き笑いになった顔を上げる。
「いえ、大丈夫です、目にゴミが入っただけですので」
「そうか? なら、いいんだけどよ」
怪訝な顔をしながらも追求しない優しさがありがたい。
「それで、恩人の名前は?」
再度問われて、言葉に詰まる。
アキ、と答えてもいいだろうか……一瞬、日瀬という名字を名乗ろうかとも考えたけれど、ギルドもアキで登録してあるし、すぐに偽名だとバレてしまうだろう。
そうしたら、失望されてしまうかもしれない。
それは、ちょっとツライ。
「わたしは、アキと申します」
「へぇ、珍しい名前だな。出身を聞いてもいいか?」
意を決して名乗ったのに、彼はたいした反応もなく無邪気に聞いてきた。
肩透かしを食らったわたしは、ホッとしたのと同時に、なんだか凄く悲しくなった。
そうか、彼にとって第三層で出会った『アキ』は、その程度の存在だったんだ。
数週間面倒を見ただけの、ただの……。――ああ、泣きそう。
「それは秘密です」
泣きそうなのを隠して、なんとかそれだけ答える。
冒険者に個人情報を聞くのは無粋なことなので、きっぱりと断ってもおかしくないというのが気楽でありがたい。
「それでは、わたしは仕事の途中ですので、失礼します」
これ以上一緒に居ると、本当に泣いてしまいそうなので、置いておいた荷物を持ってそそくさと立ち去ろうとした。
「おい、待てよ」
「なにか?」
「折角だから、一緒に行動しねぇか?」
彼の思いも寄らない言葉に、思わずぽかんと彼を凝視してしまった。