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『……揺れるたびに水面に反射する太陽の輝きは』
何処からか、人の声が聞こえてきた。
耳をすませば漸く聴こえる程小さなその声は、女性の声だ。
『私には眩しすぎて 顔を上げる事さえ 難しいのです』
周りの音は聞こえない、ただ女性の声だけが僕の頭の中に響いている。何もない暗闇の中、僕はその声に聞き入っていた。
『深い 深い 暗闇の中 一度見た太陽の輝きを忘れる事も出来ずに 海の底で漂う私』
途切れ途切れに聞こえてくる声がだんだんと鮮明に聞こえてくる。語るように紡がれるその声は、どうやら“歌”だ。女性の歌声だけが僕の中に入ってくる。
『誰の声も届かない 誰の姿も見えない場所で 私は夢を見続けるのです』
『もし 誰かと笑い合いながら過ごせたなら』
『もし 太陽の光の下 自由に歩けたなら』
『もし この世に光があったなら』
『私は寂しい思いを抱かずにいられたのでしょうか』
僕は彼女が歌うその言葉に、心を震わせる。太陽の光を見たいと願う彼女に僕は、少しでも助けになりたいと思った。泣きそうな声で歌う彼女を、救いたいと願った。
『嗚呼 愚かな私はまだ 望み続けるのです』
僕は必死に、起きようと試みる。
声を出すために口を開いた。
『もう一度だけ あの温かな光を――』
「ねえ」
声をかけた瞬間、小さく息を飲む声が聞こえた。先程まで響いていた歌は途絶え、シンと辺りは静寂に包まれる。急に聞こえた声に驚いたのだろう。息を潜める彼女に少し申し訳なく思いつつも、僕は言葉を続ける。
「君は、光を望むのかい?」
僕の言葉に、彼女の視線がこちらへ向いたのを感じた。閉じていた瞼を、僕はゆっくりと上げつつ身体を起こす。
「……貴方は、私に光を見せられると言うの?」
「僕と、一緒に見に行けばいいんだ」
頷きながら、歌声の主の方へと視線を向ける。目を向けた先、そこには。
「……変わったヒトね」
白い真珠のように、真っ白な鱗を纏った――“人魚”が横たわっていた。尾と同じ色の真っ白な髪は、太陽の光の下で見れば宝石のように繊細な輝きを放つのだろう。空を厚く覆っている雲のせいで辺りはぼんやり薄暗いのが残念だ。全身真っ白な身体だが、瞳だけが紫色に輝いている。思わず見惚れてしまうほど美しい人魚。
だが、その身体には全身に傷があり、ところどころ赤い血を流している。海に住まう筈の人魚が、岸辺に打ち上げられていた。ざぶんざぶんと時折彼女を攫うように波が彼女の腰まで伸びている長い髪を揺らし、流れ続ける血を流した。
僕は咄嗟に起き上がると、傷の手当てをする為にためらう事なく近づき――腹から声を出す。
「ヒトデを食べて!!!」
「ふぇっ!?」
閉じかけていた瞳をまん丸に見開いて、人魚は素っ頓狂な声を上げる。僕はそれに構わず、岸辺近くにあるヒトデをざぶざぶ海の中で拾いながら両手いっぱいに抱えると横たわる人魚の隣にバラバラと置く。
「あっ、あっ……わ、私ヒトデはちょっと苦手で…………硬いし美味しくないし」
「はぁ!? 君、そんな傷ついていながらこんな時まで好き嫌いは駄目だろう! 人魚の傷にはヒトデが一番……常識だよね!?」
「だ、だって……」
「だってじゃありません!」
せっかくとってあげたのに、ヒトデを見ようともしない人魚の口に、僕は強引に一番大きくて美味そうな色のヒトデを突っ込んだ。
「ほら、噛んで!」
「うぐぅッ」
涙目のまま口いっぱいに頬張らされている姿に、先程までの憂いた雰囲気は微塵も見えない。嫌がる人魚に叱咤しながら3個食べさせ終わる頃には、開いたままだった深い傷口は浅いものになっていた。人魚の治癒力は早い。このままなら今日中には傷跡が残る事なく完治するだろう。全く、世話のかかる人魚だ。
「す、すみません……ありがとうございました」
「はーい」
残さず食べれて偉い!と褒めながら、頭を撫でれば、人魚は嬉しそうにふふふと微笑んだ。ひと段落し、ほっと肩の力を抜きつつ僕は「そう言えば」と呟く。
「自己紹介がまだだったね。君の名前は?」
「私ですか? 私はアリーです、恩人様!」
ヒトデを無理やり食べさせただけなのに、好感度がフルMAXに達しているような気がするのは気のせいだろうか……僕は「アリー」と小さく呟きながら、頷く。
「僕はサガラ。よろしくね、アリー」
「はいっ、よろしくお願いします。サガラ様!」
「ああ、いや。堅苦しいのは苦手なんだ。呼び捨てでいいよ」
僕は片手を振りながら「さてと」と立ち上がる。
「ねえ、アリーにヒトデを食べさせてる時に気づいたんだけど」
「はい?」
僕の顔を見上げ、パシャパシャと尾で海水を叩きながら不思議そうにアリーは首を傾げる。強引ではあったが、一応命の恩人である僕に、警戒心は無くなったらしい。犬のように感情が顕著なその姿を横目で見つつ、僕は来た道へと振り返って疑問の言葉を口にした。
巨大な石がゴロゴロと転がる光景に気が遠くなりかけながら。
「…………ここ、何処かな?」
「はいっ」
アリーは元気よく返事をした。
「こちらは、大都市サバランの“遺跡”です!」
「……い、遺跡?」
「はい、ああ……ちょうどサガラさんが来た方角は、大聖堂だった所だとか」
「…………遺跡は、いつ出来たものか知ってる?」
「いいえ」
僕の質問に答えられなくて居た堪れなくなったのか、シュンと俯きつつアリーは答えた。
「私が知っているのは千年以上前の場所としか……すみません、正確に知っている者はまだいません。解明されてない事が多くあるんだそうです」
「…………千年以上前……」
「ええ。“古の時代”の産物らしいですねぇ」
「いにしえ……」
僕はアリーの語る内容を呆然と呟きながら、ガクリと力なく膝をついた。
(ぁぁぁぁああああああああッ! 待ってくれ! まさか僕――ッ眠りすぎたの!?)
時はちょっと、千年以上前に遡る。
「お前、何も出来ねーじゃん」
クラスメイトが鼻で笑いながら残念な物を見るような目でこちらを見てきた。その言葉にカチンときた僕は反感の言葉を口にする為に、手に持っていた教科書を机に置いて顔を上げる。
「僕だってやれば出来るよ!」
「へえー、例えば?」
「…………し、シールド」
シールドとは、僕の“能力”だ。
極少人数だが、人間の中から“能力者”が産まれる事がある。能力者は大変貴重な存在の為、産まれた瞬間から勝ち組だ。炎を出せたり、空中に浮かんだり。普通の人間が出来ない事をやってのけるその者は『神に選ばれし者』として待遇が良くなるのだ。能力者の子たちは大聖堂で暮らす習慣がある。その内の一人である僕もまたとある能力を持っているのだが……“シールド”つまり“守りに特化”している能力だ。ただ、戦争などないこの現世では、全く使い道のない能力だった。あっても無くても役に立たない能力……僕は落ちこぼれとして、皆によくからかわられていた。
「で、それから?」
透明なシールドは、他人からは見えない。僕の張ったシールドに気づく事なくクラスメイトは下卑た笑いを零し、煽ってくる。何も言い返せずに押し黙る僕を嘲笑いながら、彼は片手を上げた。
「俺はこんな事もできるぞ」
人差し指をくるくると回せば、僕の置いた本が空中に浮いた。
「俺が持てるぐらいの重さの物なら、もう全て浮かべる事が出来る。もっと頑張って俺は建築に役立つ職につくんだ。それなのに、お前の能力といったら……いったい何をする為にここへ通っているのか分からないなぁ」
そのクラスメイトの後ろに立っている仲間もクスクスと可笑しそうに僕を見てくる。僕はそれが悔しくてたまらないのに、何も言い返す言葉を見つける事が出来ない自分に悲しくなってきた。なんで、僕は……こんな能力を授かってしまったのだろう。どうせなら、雷を出せたり空を飛べる“レア”な能力が欲しかった。こんな能力、僕だって何の為にあるのか分からないよ。俯く僕の頭上で彼らの笑い声が教室に響いていた。
そんな、いつもと変わらない、僕にとってつまらない日常は――唐突に終わりを迎える。
――ゴゴゴゴゴッ
低く鳴り響く大きな地鳴りと共に地面が大きく揺れ、並べてある机を倒し、建物にいくつもの亀裂を入れた。それは一瞬の出来事だった。外から聞こえる人々の悲鳴と何かが崩れる音が大きく響いてくる。咄嗟に見た窓の外に広がる景色は僕たちがいる場所よりももっと悲惨で、ここより古い建物が次々と崩壊していた。街の人々が逃げようと外に出るが、揺れが大きく動けない彼らの上に崩れた建物が影を落とす。
僕は目を見開いて、その光景をただ呆然と見ていた。さっきまで余裕の表情で僕を嘲笑っていたクラスメイトたちが、ぼろぼろと泣きながら何かを叫んでいる。その間も大きく地面は揺れ続け、ドンッドンッと何度か縦にも揺れた。地獄という場所が実際にあるなら、ここが地獄そのものだろう。何も出来ずにただ僕たちは、必死に机にしがみつく事しか出来ない。
「助けて……ッ」
あまりの出来事に真っ白になった僕の頭の中に、助けの声が聞こえてきた。
それは一人のものではなく、何人も。皆が心から救いを求めている声。僕はその声に“応えたい”と思った。まだ何も出来ない、まだ誰からも認められていないこんな僕だけど、何かをしたいと願う。僕が今、出来る事は……
「……ッシールド!!!」
僕はありったけの力を使い、腹の底から叫んだ。
皆を守りたい。僕の目の前で消えていく命の灯火を、これ以上見たくはない。守って、守ってくれ! 僕の力は今、この時にあったんだ。ここで使わなければいつ使うんだ。もう誰も死なないで。これ以上泣き叫ぶ声を僕は聞きたくない。お願いだ、神さま。
「ッ皆を助けて!」
僕はがむしゃらに、今まで出した事のない規模で力を放出しながら目を瞑り、祈り続ける。
パキッピキッと僕の足元から音がする。力を使いすぎて空中に漂っている魔力が異常をきたし、固まりつつあるのだ。僕の身体を覆うように固まる結晶をチラリと確認するが、逃げる事も、能力を抑える事もせずに、すぐに目を瞑って大聖堂で定期的に行われるミサの祈りのポーズのまま僕は願いを唱え続けた。
「どうか、神さま。皆に希望を見せて下さい」
パキパキと鳴る結晶の音がもう耳元まで響いていた。身体を動かすのはもう出来なさそうだ。僕は、ここで死ぬのかもしれない。けれど今何もせずに建物と共に滅びるよりも、精一杯足掻いてから命を終わらせてしまう方がいいと思えた。
ああ、僕の能力で皆を救う事は出来たのだろうか。
それを確認する事も出来ずに僕の力は尽きてしまい、ストンと意識は落ちた。
そして今。
どうやら生き延びたらしい僕は、人魚――アリーの歌声に目を覚ました。あまり実感が湧かない。アリーがお腹を満たして一眠りしている間に僕は、自分が“最後の時まで”いた場所を確認しに行く事にする。
「ああ……」
“遺跡”と言われていた通り、キラキラといつも清潔に保たれていた大聖堂は今は見る影もない程悲惨なものになっていた。蔦が這い大きく崩れた岩の間の隙間を進み、先程無我夢中で飛び出した所へ戻る。巨大な絵が描かれていた天井は無く、ポッカリと空が見える場所に辿り着いた。上から吹く風が僕の髪を撫でていく。ゆっくり一歩一歩近づいて見れば、一枚の平べったい岩が僕の眠っていたであろう場所の手前に置いてあった。
砂埃がひどく、そのままでは読めなかった僕は砂を手のひらで払いながらそこに刻まれた文字を読む。
「……あ、り……がとう」
ぽろりと、堪えていた涙が一筋溢れる。
「……良かった」
そうか、そうか……僕がやった事は、無駄では無かったみたいだ。あの時、まだ生き残っていた彼らをどうやら幾人か救えたらしい。石碑を建ててまで僕の行いを感謝してくれた皆の気持ちが嬉しくて、誇らしくって、僕は暫く静かに一人で泣いていた。力を使いすぎて自分のシールドを制御できずに千年以上も寝てしまった、僕の目覚めを待っていてくれた皆の気持ちが嬉しい。ありがとう、皆。生き伸びてくれて本当に良かった。
「……ふぅ」
一呼吸ついてから、僕は顔を上げる。それと同時に厚い雲の間から一筋の光が、ちょうど石碑を照らし出した。
(……まるで、僕の目覚めを祝福してくれているみたいだな)
ただただ嬉しくって、僕は自然と微笑みながら一言、別れの言葉を口にする。もう、僕がそこを振り返る事はなかった。
「いってきます」
初めまして。
沢山の小説を読んで思いました。
「あ! 自分も書きたい!」
書きたいところをいっぱい詰め込んでいく予定です。主人公sideと周りから見たsideのギャップを楽しんでもらえたら嬉しいです。
よろしくお願いします。