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典子と治

「治、久しぶりに二人っきりになれたね」

「ああ…」

「一ヶ月なんてあっという間に過ぎちゃったね」

「あ、ああ…」

「夏休み、もうすぐ終わっちゃうんだよぉ」

「…」

 二人は典子が平助として暮らしているマンションを目指して歩いていた。

 典子は治と久しぶりに二人になれたのが本当に嬉しいらしく、笑みを浮かべながら彼に何度も話しかけた。ところが二人の会話は一向に繋がらなかった。彼女が懸命に話しかけても治の方は無の礫(なしのつぶて)で、まるで彼女との会話に興味が無いような態度だった。そんな態度に苛立った彼女はその場に立ち止り、治の顔を覗き込むように見つめた。

「おじいさんの私と二人で歩くのが、そんなに恥ずかしいの?」

 典子が思い余って治に問い詰めると、彼は彼女から視線をそらして呟くように言った。

「いや、そうじゃない。そうじゃなくて…」

「…じゃあ、私の事が嫌いになったの?」

「違う。そうじゃない」

「だったら何よ!」

 典子が更に問い詰めると治は観念したように言った。

「いや、その、何だ…。典子がじいちゃんになってすごく楽しそうに遊んでいるし、じいちゃんと二人で楽しそうに会話をしているし、ひょっとして、その身体に満足して、元に戻りたくないんじゃないか、とか思って…」


 典子はそれを聞いて思わずため息をついた。そして言葉を選びながら話し始めた。

「確かに、おじいさまの身体にもすっかり慣れたし、おじいさまのお友達とのお付き合いも出来るようになったし、楽しく暮らしてるのは事実だわ。この身体は、女の子の私には絶対経験出来ないような男の遊び、楽しさを一杯与えてくれる。でも…」

「でも?」

「本当はとっても辛いの」

 そう言って典子は握った拳を胸に当てた。彼女の皺だらけの顔から苦渋の表情が見て取れた。

「遊んでいる間はいいけど、家に帰るとそこにはパパもママも居なくて、一人ぼっちになって現実に戻る。そして、鏡を見ていつも思うの。私、このままどうなっちゃうのかなって。このままずっとおじいさまとして生きていくのかなって」

「…」

「今は元気だけど、この身体、歳も歳だし何時倒れてもおかしくない、今倒れたって誰も気付いてくれない、とか考えると悲しくなって夜も眠れなくなる。だって、私、おじいさまの身体のまま、一人ぼっちで死にたくなんかないんだもん…」

 浅黒く焼けた顔に筋肉で盛り上がった腕や胸は如何にも健康そうだが、白い無精ひげの生えた顔に疲労の色が垣間見えた。いくら心が若くても今の彼女は75歳の老人でしかないのだ。


 典子は顔を俯かせながら震える声で言った。

「今すぐ元の身体に戻りたい。18歳の女の子に戻りたい。そして、好きな男の子とずっと一緒に居たい…」

 そう言って顔を上げた典子の白く濁った眼には涙が浮かんでいた。

「典子…」

 治はそんな典子の姿を見て、彼女に対する自分の態度を後悔した。彼は彼女と楽しそうに話す平助に嫉妬する余り、彼女の本当の気持ちに気付かず、分かろうともしなかったのだ。

「でも、どうすれば元に戻るのか全然分かんない。私、一体どうすればいいの? どうすれば元に戻るの?」

 典子は両手で顔を覆い、治に背を向けてその場に座り込んだ。

 治はそんな典子をしばらく見つめていたが、やがて隣に座り込み、自分よりも少し広い彼女の肩をそっと抱いた。彼女の身体から老人男性特有の体臭がしても気にしなかった。

「心配するな、典子。俺がお前を必ず元に戻してやる。約束する。だから、もう少しの辛抱だ」

「治ぅ…」

 典子は自分の肩に一ヶ月ぶりの治の手力を感じると嗚咽し、やがて静かに泣き始めた。

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