記憶なき少年
1章・一部【2年前】
アルトには記憶がない。
微かに記憶していたのは自分が”誰か”から『アルト』と言う名前で呼ばれていたと言う事だけだった。
アルトの記憶の始まり。
それは2年前。
とある施設のベッドであった。そしてそれが優菜との最初の出会いでもあった。
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目を覚ました時、アルトはベッドに横になっていた。
どうやら自分は横になって眠っていたようだ。
ただなぜ眠っていたのかわからない。
とりあえずここはどこかとそのままの態勢で目線を動かす。
横になっているので天井しか見えない。
横になっているだけでは埒があかんと上半身を起こした。
「……どこだ、ここ?」
見覚えのない部屋。
見回しても覚えはない。
ふと自分のすぐ近くに人の気配を感じた。
「だ……」
ベッドの横に椅子があり、そこに座り眠っている長い黒髪をポニーテールにしている恐らく同年代くらいだと思う女の子がいた。
(一体誰だ?)
記憶にない女の子がなぜこうしているのか分からず困惑する。
困惑しつつじっと少女を観察していると、眠っている女の子は時折コックリと頭が動いたりしていた。その動きに少女の黒髪のポニーテールが動きに合わせ動くのだ。「何だか面白いなあ」、と見ていると扉の向こうに人の気配を感じた。
そして「ガチャ」っと音と共にドアが開いた。
その開いたドアの音に眠っていた女の子は目を覚ましたのか「ハッ!」と起き顔を上げた。そして丁度目を覚ました彼女に目を向けたので自然とお互いの視線が合わさる。
「…!?」
女の子の顔はポンと真っ赤になった。多分恥ずかしかったのだと思った。
(何だか微笑ましいな)とうっすらと笑みを浮かべた。
「あらあら、起きられたのですね。初めましてですね。体の方はどうですか?」
ドアから入って来てアルトに声を掛けたのは40代くらいの年齢を重ねているであろう温厚そうな笑みを浮かべた女性だった。
その人はベッドの横に椅子を頬を真っ赤にしていた黒髪の少女の隣に置いてと座ると体調について聞いてきた。
まず初めに思ったのが、この二人は親子か何かで、此処は彼女等の家なのではないか?だった。
それは後で誤解だと知った。
ひとまず今の体調を聞かれたのでベッド上で軽く体を動かしてみた。
どことなく違和感の様なものを感じる。何となく重しを乗せているような感覚があったのだ。
ただ身体機能に関しては特に問題はないと感じたので、「大丈夫です」と答えた。
「そうですか。それはよかったですわ。それでですが、君は此処がどこかお判りでしょうか?」
「……それは……いえ、よく分からないとしか。ここはどこです?貴女方の家でしょうか?ならどうして僕は此処にいるのでしょうか?」
「あらあら、慌てずに。まず此処は私達の家と言うのは間違っていませんが、少し違いますわ。此処は身寄りのない子供や何かしらの理由で親権を手放した子供を預かる施設です。私がこの施設【ふれあいの里】の管理をしています。子供達からは園長先生と呼ばれてます」
なるほど、と相槌を打つ。
「貴方が此処にいるのは、ですが、正直言いましてよくわからないが正直なところなのです」
園長先生は困ったような困惑しているような表情を浮かべそう言った。
「それはどういう…」
「貴方は数時間前に、突然とこの施設の前で倒れていたのです。ちなみですが君を見つけたのはこの子なの」
話していた女性の横に座っている黒髪ポニーの女の子に顔を向ける。
そうだと言うかのように少女も頷いた。
「君が倒れていた僕を…」
「そうだよ。凄く驚いたわよ、施設の前に突然と倒れているんですもの。本当に大丈夫?体、何処も悪くない?えっと、そうだ。あなたの名前を聞いていい?私の名前は瀬々羅優菜と言うのよ」
「あらあら、そういえば肝心な事をまず聞くのを忘れてましたわね」
此方の名前を聞かれ、自分の名前を答えようとして、そこで、自分の名前ってなんだっけ?と言うか自分の事なのに何も頭に浮んでこないのに今更ながら気づいた。
「どうしたの?」
思い出せない事で顔色を青くしていたのだろうか、心配そうな表情で聞いてくる少女。
隣の年配の女性も「もしかして?」と何か感づいたのか怪訝そうであった。
黙っていても仕方ない。そう思い溜息を付いた瞬間、
『”アルトー!”』
と脳裏に『アルト』と呼ぶ声が聞こえた気がした。幻聴だったのかもしれない。気のせいだったのかもしれない。
しかしその名を口遊むと何だか心地良く馴染んでいた。
恐らく間違いないと思い2人の女性に告げた。
「アルト――」
「え?」
「僕の名前はアルト。シン・アルト。それが僕の名前だと思います」
「ふむふむ。思う、と言う事はやはりですが、記憶がないと見て宜しいですか?」
「……はい。名前も先程思い出したと言うか、そう呼ばれていたような気がしていただけで。でも名前に関しては間違いない思うんです。ただ…はい。他の事は正直言って何も記憶にない状態です」
「そうですか……とりあえず私達も君の事はアルト君と呼ぶことにしますわ」
「アルト…シン・アルト。なんだか不思議な響きね。もしかしたらアルトは外国の人なのかしら?」
「よくわからない。それを言ったら君のユウナの名前の響きは多分だけど聞きなれてないと思うから合ってるのかもしれないね」
黒髪ポニーの少女ユウナとお互いに不思議ねと言いあった。
その後に女性、園長先生に倒れていた時に着ていたらしいコートとか見せてくれた。
勝手に調べるのもどうかと思い一緒に確認することにしようと、此方が目覚めるのを待っていたらしい。
記憶がないのでこれ等が自分の物か判断し難かったけど、何となく着ていたような懐かしさがあったので自分ので間違いないだろうと答えた。
それとよく見たらコートやら今着ている服やズボンはボロボロに近く細かい裂けた傷跡がチラホラあった。たぶん最初に体調とか体の具合を聞かれたのはこれが大きいのだろうと思った。
あとはコートのポケットに金、銀、銅のコインの様な物が入った袋があった。たぶん硬貨だと思ったのだけど、どうやら違うらしい。少なくとも二人の知らない硬貨らしい。
他には指先くらいの大きさの宝石が幾つかあった。
「そちらですがお預かりしてもよいですか?」
「えっ?ああ、今あっても意味なさそうですしどうぞ。こうして見ず知らずの僕を助けてくれたのですしいいですよ」
少なくとも今の自分には必要と思えず園長先生に渡した。
その後は今後について話し合うことになった。
記憶がなくこの国の通貨を所持していないで生きて行くには身分もないと不憫であると説明を受けた。
そして園長先生から提案された。
「どうでしょうか。アルト君さえ良ければここで生活してみませんか?」
「……いいのですか?僕は身分も身元も不明の、しかも記憶のない存在ですよ?」
「ええ、問題ありませんわ。そもそもが此処はそう言う目的の保護施設なのです。他にも身元が分からない子供もおりますから。優菜はどう思いますか?」
「えっ、私はいいよ。歓迎するわ!私、何だかあなたに…アルトに興味あるもの。だから歓迎するわ!」
「そうなんだ……分かりました。…その、お世話になります」
2人の提案には魅力があったので、提案を呑むと「お世話になります」と頭を下げた。
園長先生とユウナは「こちらこそ、よろしくね」とアルトを受け入れてくれた。
こうして新しい生活の始まりとなった。