序章
――子供のころ、自分の家の隣にあるのは、大きな森だと思っていた。
小さな子供の行動半径は狭い。ソレが自転車も乗れないような年頃なら尚更だ。小さな歩幅で進める距離はせいぜい1kmあるかないか。それでも当人にとっては大冒険だ。それ以上の距離となると親と一緒にいる時でないとまず進もうとはしないだろう。だから大抵は、親との散歩などによって徐々にその行動半径を広げていくのだ。
だから、俺は随分と変わった子供だったのかもしれない。
親が言うに、小さな頃の俺は、目を離せばどこにでもひょこひょこ歩き回ってしまい随分と親に手間をかけさせたそうだ。好奇心旺盛といえば聞こえは良いだろうが、俺の場合は単純に落ち着きがなかったそうだ。色々な物に興味を惹かれては、あっちへふらふらー、こっちへふらふらーと、なんともまあ呆れてしまう程だったと言う。
そんな俺は、家の窓からいつも映る、木ばかりが立ち並ぶ風景を見て、親にこう質問したそうだ。
あっちには何があるの、と。
落ち着きのなかった、放浪癖とも言える困った性格だった俺を半ば諦め掛けていた親ではあったが、その森に入ることだけは硬く禁じていた。理由は詳しく説明しなかった、もしくは説明したところで理解できるとは思わなかったのかもしれないが、それでも返ってくる答えはいつも同じだった。
曰く、
あっちはずっと森。だか絶対に入ってはいけないよ、と。
その頃には、自分の足で行ける場所をほぼ網羅したとも言える俺が、そんな場所に興味を覚えたのはある意味必然だった。それが例え、親に禁じていられようともだ。
未知の場所。
立ち入る事を禁じられた空間。
そんな場所に心惹かれない訳がない。
そして俺はある日思ってしまったのだった。
ずっと森とは、どれくらい森なんだろう、と。
子供の頃の俺は、そんな訳の分からない事にすら疑問を覚え、興味を持ってしまった。
そう、持ってしまったのだ。
そうなってしまえば後は早い。
親の忠告何の其の。
良く晴れた春の昼下がり、俺は嬉々としてその森へと突っ込んだ。
子供の浅知恵か、子供用のヒーロー番組の主人公が描かれた小さなリュックサックにその日の分と次の日の分のおやつをこっそりと失敬して詰め込み、何に使うかも分からないようなスーパーボール、お気に入りの赤い車のミニカー、なんだか良く分からない紐や、釣りで使う10gの鉛の重りを3つでズボンのポケットをパンパンに膨らませて。
意気揚々とその頃好きだったテレビ番組の主題歌を歌いながら。
目に映るのは背の高い木、木、木。
先なんてとても見えそうにない。
行き先なんてない。
目的地なんて最初から決めていない。
それでもあえてどこかに行くかと問われれば、この足が次に踏みしめる場所が目的地だ。
後ろを振り返れば、まだ木々の隙間から自分の家の姿が確認出来たが、ソレも直ぐに見えなくなる。
森の中は思ったより明るく、所謂、藪などとは違って背の低い草木は生えていなかった為に、非常に歩き易い。
……今にして思えば、あれは生えていなかったのではなく、きちんと人の手によって管理された場所だからだったのだろう。
そんな事情を全く知らない俺はズンズン歩き続ける。
落ち葉を踏み締めズンズン歩く。
怖くなかったのかと尋ねられたら、怖くなどなかったのだろう。
目に映る木の洞や、やたらと綺麗に整ったY字型の小枝を拾い上げ、そのすべてが新鮮で怖いと思う暇すらなかったのだと思う。
それこそ、時間すら忘れてしまう程に。
どれくらい歩き続けたかも忘れ、流石に子供の体力に疲れを感じ始めた頃、ふと、目の前が明るくなった。
実際に明るくなったのではない。
いくら明るかったとは言え、それは森の中での話だ。張り巡らされた葉によって遮られていた太陽の光は、幾分か遮られる。
それが無くなったから明るくなったように感じたのだ。
少しだけ光に眩んだ目を細る。
やがて、白い輪郭と共に現れたのは、なんと言うか随分と開けた場所だった。
あれ程乱立していた木々は突如としてなくなり、かわりに緑も眩しい芝生が敷き詰められている。
後ろを振り返れば、背の高い木は綺麗な一直線を保つかのようにそれ以上芝生の方には入ってきていない。まるで芝生が、ココから先は自分の領土だとでも主張しているかのように。
そんな、余りの風景の変わりように、眩暈にも似たような感覚を覚えた子供の頃の俺は辺りをグルリと見回した。
――その時だった。
「――アナタ、誰?」
そうして俺は出会ったのだった。
その小さくも、この世のモノとは思えない程、美しい美しい少女に、俺は出会ったのだった。




