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ひとつ屋根の下  作者: 瑞原唯子
番外編

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かつて彼女と暮らした男

『すみませんが、いまからこちらに来てもらえますか』

 真壁拓海は、南野誠一にそう電話で呼び出された。

 張り込みの任務中だが、交代のタイミングを見計らってのことだろう。ちょうど引き継ぎをすませたところである。気は進まないが断ることはできない。すぐに向かいますと答え、携帯電話をスーツの内ポケットに戻して歩き出した。


 南野誠一は、拓海の上司ということになっている。

 もともとは刑事だが、十年ほど前に警視庁捜査一課から警察庁に移ってきたのだ。彼自身の希望ではない。国の安全保障に関わる最重要機密に関わってしまったため、公安が手元に置こうと判断したのである。

 けれど飼い殺されているわけではない。最初こそ誰でもできる雑務ばかりだったが、橘財閥の令嬢と結婚したからか、あるいは意外と優秀だったからか、次第に管理職のような仕事を任されるようになった。

 拓海も南野の下につくことで仕事を続けられることになった。楠の子飼いだったので、彼の退職とともにお払い箱になると思っていたが、楠や南野がそうならないよう取り計らってくれたようだ。

 拓海にはもう仕事しか残っていなかったので、ありがたかった。あの橘の姻戚である南野が上司だとしても——。


「どうぞ、お掛けください」

 警察庁に着くなり、南野に空いている会議室へと連れてこられた。どうやら上層部が使うところのようだ。椅子も机もいかにも上質そうで、床には絨毯まで敷かれており、落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 勧められるままキャスターの付いた黒い革張りの椅子に座ると、南野自身も隣に腰を下ろした。そして懐から小さな二つ折りの紙を取り出し、長机をすべらせるようにすっと差し出してきた。

 拓海はためらわずに開く。そこには几帳面な字で住所と日時が記されていた。日時は明日の午前である。

「何をすればいいのでしょうか」

「任務ではありません」

 南野はふっと笑いながら答えた。からかわれたように感じて思わず横目で睨むが、彼はこちらに目を向けることなく真顔になり、言葉を継ぐ。

「坂崎七海さん、覚えていますか?」

「…………」

 拓海は静かに息をのむ。

 かつて彼女にした仕打ちを忘れたことはない。父親を殺したあげく、素知らぬ顔をして幼い彼女をそそのかし、復讐の道具として仕立て上げたのだ。最終目的は果たせなかったが、四年半にわたり軟禁して人殺しの訓練をさせるなど、十分に取り返しのつかないことをしてしまった。

「彼女の結婚式です」

「……えっ?」

 我にかえると、隣の南野がさきほど拓海に渡した紙片を指さしていた。十数年も前のことに思いを馳せていたせいか、話の内容があまりにも意外だったせいか、にわかに理解が追いつかない。

 七海が、結婚する——?

 小さな子供だったときのイメージしかないので混乱したが、よくよく考えてみればもう二十歳である。早いといえば早いがありえなくはない。彼女の両親が結婚したのは高校卒業してすぐだった。

 しかし、その日時や場所まで拓海に知らせる意図がわからない。七海とはとっくに縁が切れている。もう会うことはないとまで言われた。拓海を結婚式に呼ぶなんて万が一にもないはずなのに。

「どういうつもりですか」

「晴れていれば、式のあとで新郎新婦はいったん外に出ます。正面扉のまえの誰でも見られるところです。ご自分の目で見てみたくないですか? 七海さんの成長ぶりを、晴れ姿を、幸せになるところを」

 南野は思っていた以上にお節介だった。

 おそらく彼の独断で、七海には許可さえ取っていないように感じる。気付かれないようにこっそりと見るだけなら、彼女に迷惑をかけることはないかもしれないが、だからといって許されるのだろうか。

「まあ、行く行かないはお好きにどうぞ。ただし明日は休暇を取ってください。上司命令です」

 すこし冗談めかしてそう言い添えると、会議室をあとにする。

 拓海はじっとうつむいたまま扉が閉まる音を聞いた。手にしていた紙をたたんで机に置くが、そのときには住所も日時もすっかり脳内に刻み込まれ、忘れようにも忘れられなくなっていた。


 翌日、空はきれいに晴れ渡っていた。

 商業ビルの二階にあるカフェのテラス席に、拓海は買ったばかりのホットコーヒーを置いて腰を下ろす。道路を挟んだ向かいが南野に教えられた住所だ。そこにはチャペルと思しき建物があった。

 見に行くかどうかはギリギリまで悩んでいた。

 知らなければよかったのに、知ってしまった以上どうしても気になってしまう。見に行かなければきっといつまでも心に棘が残る。それならいっそ、と重い腰を上げてここまでやって来たのだ。

 開始時刻はすこし過ぎているが、式のあとに新郎新婦が出てくると言っていたので、おそらくそれには間に合っているはずだ。立派な両開きの扉にチラチラと目をやりつつ、コーヒーを口に運ぶ。

 紙カップの中身がほぼなくなったころ、重厚な扉が開かれて参列者がわらわらと出てきた。その中には橘財閥会長や妻子を連れた南野の姿もあった。七海は橘の里子になったのでその関係だろう。

 七海、か——?

 続いて新郎新婦が出てきたが、それがあまりにも記憶の中の彼女とかけ離れていて、にわかには同一人物だと認識できなかった。困惑しつつ、念のためにと持参していた双眼鏡を取り出して確認する。

 確かに七海だった。顔にはあのころの面影が色濃く残っている。ただ背が高くなり、胸がふくらみ、腰がくびれて、女性らしく均整のとれた体型になっていた。それゆえか驚くほどドレスが似合っている。

 隣の新郎は、彼女よりさらに頭半分くらい背が高い。細身ゆえ若干たくましさには欠けるものの、顔が小さく、手足が長く、まるでモデルのようだ。二人が寄り添うさまはとても絵になっている。

 新郎がどういう人物かは聞いていない。気にならないわけではないが、詮索したところで口出しできないのだから意味がない。だが、橘財閥会長が認めたのならおかしな男ではないだろう。

 ん、もしかして——?

 ふと見知った男によく似ていることに気づき、双眼鏡であらためて顔を確認する。やはり橘の御曹司だった。七海の保護者を気取っていたくせに、自ら手を出したのか、と思わず眉をひそめる。

 だが、無理やり事を進めたわけではなさそうだ。新郎新婦ともフラワーシャワーを浴びて幸せそうに笑っているし、まわりの人たちも笑顔で祝福していた。これがすべて演技だとは思えない。

 彼女は楽しそうに何か言いながらブーケを掲げると、それを高く放り投げる。受け取ったのはおろおろしていた若い男性だ。恥ずかしそうに顔を紅潮させて戸惑う彼を、みんな拍手で囃し立てた。

 周囲の人たちに恵まれていることは雰囲気で伝わってくる。唯一心配なのは七海に橘財閥後継者の妻が務まるかだが、真面目で根性もあるので、どうにかやっていけるのではないかと思う。

 七海、どうか末永く幸せに——。

 彼女を見ているうちに無性に俊輔に会いたくなった。久しぶりに墓参りに行こうと、わずかに残っていたコーヒーを飲み干して席を立つ。そのとき背後でチャペルの鐘が華やかに鳴り響いた。


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