修辞の魔女アヤと姉弟子エリカ
「水晶の魔女」シリーズ第8弾。弟子世代から師匠世代を中心にすると、途端にファンタジー度が上がりますね。特に「双璧」のこの二人は。しかも今回は「工房の魔女」集団の「村」の「探知結界」だとか、「攻撃術式」だとか、挙げ句の果てには「魔導連盟」だとか、実にファンタジックな用語がぽんぽん飛び出します。
しかし、今回やってることはといえば、ひたすら石の解説と、アクセサリーの説明と、各々の価値鑑定という……いつも通りの地味営業。
二酸化ケイ素を主体とする、大シリカ・グループの鉱物……つまり石英系鉱物を媒体に、「世界」と交流して「チカラ」を分けてもらう魔法を使う「水晶の魔女」。
その文系最高峰「三学」の一角をなす、自由七科の「七大魔女」が一角、「修辞の魔女」アヤ。
その伴侶にして、対魔女融和派に属する「錬金の魔術師」リョウ。
世界の声を「聴く」魔女に対し、魔術師は人間に「囁く」存在だ。ある意味では対極にあり、だが、背中合わせ・表裏一体の存在である。
それを体現していくように、アヤとリョウの夫婦は、聴くことと囁くことを同時進行で使い分けることで、連携術式を行使する「魔道」を編み出しつつある。杖や補助礼装、あるいは媒介を必要とするが、二人は「魔法での戦闘」すら出来る。
そんな「歴史の魔女」マヤと「詩歌の魔女」マリの門下において、最強の称号を冠されていてもおかしくないほどの超強力夫婦であるが、上には上がいるものだ。
孤高の引きこもり魔女・エリカ。
あまりに規格外れの能力が故に、いまだに師匠からは弟子取りの許可が下りない。いや、見習いの道に足を踏み入れた時点で、即座に「未来の魔女」という通常の名乗りではなく、「未知の魔女」という特別称号を授与された。どの分野においてもぶっちぎりの才能を見せながら、だがあまりにもオールマイティでありすぎるが故に、彼女の称号はいまだに「未知の魔女」のままである。
言ってみるならば、半人前として工房に入ったら、実は超絶大天才だった。そう、師匠が「隣に天使の絵をちょこっと描いてみろよ」と言って描かせてみたら、師匠より上手くてエライことになった、ヴィンチ村のレオナルド氏のごとく。
進歩していないから称号が変わらない……のではなく、最初から桁外れだったから、凡人……アヤだとて「大天才」に分類される強力な魔女であるが、政治パラメーターを外したエリカに敵いはしない……とは異なり、最初から「ほぼ一人前」扱いを受けていた、というわけだ。
昨今では「孤高の魔女」という異名もついているが、門下生としての正式の名乗りは「未知の魔女」のままである。誰からも知識を吸収し、誰よりも効率的に、一足飛びに能力を開花させる。本能で最適解を導き出し、杖もなしに喉一つで自在に水を操る「魔女」。
桁外れすぎる能力の故に、社会に適合することが出来ず、山奥に猫一匹と引きこもり、「工芸の魔女」集団と交流しながら、独自に「護符」や、時には「魔道具」とも呼べそうなシロモノを開発して、アヤや妹弟子サヤの店に卸すことで、生計を立てている。他にも、薬草酒やハーブティーなどを調合したりして、民間療法の治療の御礼という名目の物々交換、という、法的にギリギリな稼ぎの手段も持っているようだが。
とりあえず、一言で言うならば「隠者」である。
もっと身も蓋もない言い方をすれば「引きこもり魔女」である。
アヤはそんな姉弟子を、弟弟子の能力向上への貢献、などもチラつかせつつ、山奥からなんとか引っ張り出した。本音を言うと、その桁外れの能力の一端でも、解析したかったのだが。
優秀極まりない姉弟子は、いくらかの情報で、実に色々な事情を察してくれた。
ここまでものが見えるのに「政治」パラメーターは限りなくゼロに近い。多分、見えすぎていて、そして見えているものの正しさを確信しているが故に、遠慮なしにズバズバものを言ってしまうあたりが、バランス感覚のなさに繋がっているのだろう。
人間は残念ながら、正論をバッサリ言われると、イラッとくる存在だ。
エリカは正し過ぎるほどに正しい。生まれてこの方、劣等感を感じたことは一度もないという。いわく「全力で努力して得られた結果がそれであるなら、全力を尽くした自分を誇り、自分を上回った存在に対しては敬意を払うのが人として当然だから」である。嫉妬の感情がないのだ。
だから人の負の感情については、とことん鈍感だった。
その結果が、兄弟子アンリの「闇堕ち」である。
多分、今でもエリカは理解していないだろう。どうしてもっと努力をしないのだろうか、と。そして、自分の全力を自分自身に誇ればいいだけではないだろうか、と。
違う。人間、そんなに清々しく生きられる者ばかりではないのだよ、と、アヤが言ったとしても、人間の悪性をとことんまで見てきたはずであるのに、それでも人間に希望することを止められない性分らしいエリカは、軋轢を最小限に抑えるために引っ込むこと以外の方法を思いつけない。
自分を曲げる、ということが、一切できない人間である。
真っ直ぐと言えば聞こえは良い。
素直と言えば、実に良さそうに聞こえる。
しかし、真っすぐを極めると、柔軟性を失うのだ。
融通の利かない一本芯が通ってしまうと、もはや「へいくゎいもの」だ。
そして、エリカは全く悪気がない。
一切の悪気なく、人の傷をぐさぐさ抉って、何故傷つくのか分からない。
そういう人間であるから、むしろ一時は就職できたということが奇跡に思える。
悪気も何もないから、何故人から悪意や敵意を向けられるのか分からない。
実に、コミュニケーション能力の低い人物だ。
だがしかし、それは、あくまでも対人関係に限った話である。
人間以外の存在とは、むしろ恐ろしいほどにスムーズに交信してみせる。
エリカの大魔法の代名詞「月夜の歌」……植物質ケイ素に、タイドプール仮説を交えた、独自理論(仮)を用いて、歌という振動を用いて、植物の成長に干渉する、げに凄まじき大技である……を見れば、人間ではなく植物相手なら、驚くほどスムーズに「コミュニケーション」できているということが、理解できるだろう。それこそ「人間離れ」して。
ちなみに「理論」に「(仮)」がついているのは、エリカ自身が言語感覚にこれを落とし込めないからだ。本能のままに最適解を叩き出す、天才が故の難点である。
アヤは、時々はエリカと交流をして、エリカの術式の理論的解析、に取り組んでいる。今回の実験も、弟弟子の成長のためと同時に、この規格外の魔女の「魔法」の一端を、少しでも明確に解析できないか、という企みのもとに実行されているのだ。
この歩く無自覚危険人物を山から引っ張り出した際には、アヤとリョウの喫茶店・兼工房・兼自宅に泊めるのが通常だ。もはや現代社会から飛び出した仙人みたいな存在なのだ。
なお、現在の勤務校に在籍する、三人の弟子たちには、しばらく塾はお休みに入る、と述べて、各自に大量の課題を出しておいた。
まず、黄水晶が適合水晶の山瀬秋津には、鉄関連の鉱物のうち、石英と関連の高いものをなるべく多くピックアップし、連想法を用いた「科学反応」の基本骨子を考えてくるように、だ。多分、針鉄鉱から蜜柑水晶を引っ張ってくるだろう。そこから何を思いつくのか、実に楽しみである。
次に、紅水晶が適合水晶の坂之上桃には、古事記の伊弉諾尊が、火の神を産んで黄泉に行った、伊邪那美を迎えに行く神話を、現代語訳と古文とで読み込む課題。そして、世界の類似神話を出来るだけ探してくることと、桃の神聖性の由来についての調査、そして「己の名前のチカラ」の分析だ。
最後に、番の石の幽霊水晶にぶち当たった、上代麻衣。四元素……もとい、火(=プラズマ)、風(=気体)、水(=液体)、土(=固体)の、どの属性にも適性を有さない、適性「空」……虚無にして無限の可能性を持つ、超危険因子ながら、超絶成長の可能性も秘めた、アヤ内心での秘蔵っ子には、ギリシア古典哲学の課題、特にソクラテスをどっさりと。そして、彼女に限っては、文章化ではなく、口頭での試験の予定である。
これらの課題によって、それぞれの特性の基礎固めは、できるはずだ。
カランカラン、と、店の玄関から入る。
「……讃岐石に変えたのね、このドアベル」
そう、入り口のベルは、大阪と奈良の間に横たわる、二上山産の讃岐石製だ。細い楔形に研磨された黒い石は、非常に緻密な構造をした、古銅輝石……いや、現在では頑火輝石と呼ぶべきか……を含む、安山岩だ。安山岩特有の斑紋がなく、黒くてつるりとしている。化学式はMg2Si2O6……ケイ素と酸素にマグネシウムが加わった組成は、水晶の魔女との相性も、案外悪くない。
ちなみに名前の通り、讃岐こと香川県でも採れる。ドアベルに使われているように、固いもので叩くと高く澄んだ音が鳴る。別名をカンカン石といい、鉄琴ならぬ石琴が作られるほどだ。ちなみに、この石琴の楽器名は、そのまんま「サヌカイト」。捻りもへったくれもない。
が、綺麗な音という理由だけで、アヤがわざわざ、他でもないこの石をドアベルに使っているわけではない。
足を踏み入れた瞬間、エリカの体が、ピッ、と痺れたように震えた。
「人工着色の煙水晶による、不法侵入者探知結界……で、連動して攻撃術式が発動する仕組みかぁ。属性は、風と火ねぇ」
マグネシウムを燃やすと、凄まじい白色の炎を上げる。そのイメージが強いおかげで、魔術的には「火」との相性が高い鉱物だ。もっと高次の魔術になれば、水のイメージも使えるのだが、瞬間最大「火力」を考えると、これが一番効率が良かった。
「……解除したはずなんですが」
「うん。ちゃんと、攻撃の意志はない、って聴こえてたよ」
ウワァ、とアヤは、姉弟子から見えない角度で、顔をしかめた。
まったく、何という受信能力だ。解除した攻撃術式の「声」まで聴くとは。
「讃岐石と煙水晶かぁ……魔術工房っぽいねぇ」
のんきな調子で、エリカは喫茶店の中に足を踏み入れていく。
受信をしたなら、術式の内容も理解しているはずだが、なんともそれを感じさせない余裕っぷりだ。実におそろしい。
ちなみに、アヤとリョウが合同で組んだこの「防犯システム」は、煙水晶の探知した反応を、アヤが自分の手持ちの水晶との共鳴で受信し、そこから半自動的に、マグネシウムのイメージを借りた、リョウお得意の「目眩まし」なフラッシュ攻撃を仕掛けるブツだ。
侵入者の攻撃意志が強い場合は、最大出力で「プチ火炎放射器」にもできる。
物騒なシステムのはずだが、エリカは気に留める様子もない。大物だ。
「実際、半分は魔術工房ですけどね」
ちなみに、あえてリョウとの連携用杖で使っている「黒水晶」にしなかったのは、そこまで人工要素を強くすると、アヤの受信感度を支える燃費が、さすがに高くついてしまうからだ。うっすら程度の着色で、アヤとしては十分な探知が可能だった。燃費最悪の代名詞「天文の魔女」である妹弟子のサヤが聞いていたら、コンチクショウとわなわな震えそうだが。
「工房の村に、大規模な探知結界があるんだけど、ちょっと似てるかな。面白い」
なんだか雲行きのあやしいことを、エリカ様はのたまった。
「……その結界の管理者は?」
「ポイントごとに別人よ。もっとも、それをカバーするシステムとして、この間の集会で、私の広域探知網の術が採用されたけど」
「それの媒介は?」
「そこらへんの植物と水分。木賊の仲間って、すごく重宝するわね」
ひどい回答だ。適当すぎるにもほどがある。しかも、それが実採用とは。
これは「工房の魔女」集団も、なかなか苦労していそうである。
「そこで適合水晶を使わないんですね……」
「宝石質オパールなんか設置したら、高くつくじゃない」
いや、それはまさに、ごもっとも、なのだが。
エリカは「番の石」に出会っている。オーストラリア産の貝オパールだ。ある日、突如として「呼んでる声が聞こえてくるので、明日の授業休みます!」と言って、あの当時はまだ「魔女」の道にいた兄弟子アンリともども、ポカーンと口を開けたことは、アヤの脳裏にまだまだ鮮明だ。
ツーソンのミネラルショーで入荷されたばかり、という貝オパールを、貯金をすっからかんにしつつも購入して戻ってきたエリカは、にこにこ笑って「私を呼んでたのは、この子です!」と、マリ先生および、マヤ大先生に差し出して見せた。
師匠方二人すら、驚愕に目を見開いていた。
それほどに、エリカの受信能力はずば抜けている。100kmではきかない距離をおいて、しかも、まだ目を合わせてすらいなかったのに、彼女は「番の石」の声を聴き取ったのである。
この、ぶち抜けた才能。
下手にエリカの弟子入りが早かったのも、悪かった。
小学生の女の子なんて、当時のアンリには「妹分」つまり「目下」にしか見えなかっただろう。それが超長距離受信をやってのけ、実際に「番の石」を捕まえてきたのだ。
コンプレックスなんてものは基本的に抱かない、努力の人アヤであるけれども、母たるマリに幼少期から直々に教えを受けていたアンリが、ショックを受けたことはよく分かった。
店の中に入ると、エリカは黒いローブを脱いだ。まったく、実に「魔女」であるが、これは別に、いわゆる一般的なイメージでいうところの、魔女や魔法使いのコスプレ、というわけではない。実際にエリカは桁外れの魔女であるが、それはさておき、実用の問題があるのだ。
エリカの唯一の弱点は、紫外線である。
光線過敏症であり、日光を浴びると肌が赤くはれ上がる。
そのため、紫外線避けとして、フード付きのローブを着ているのだ。
まともに日にあたるわけでなければ、ある程度までは耐えられるらしく、室内用の明かり程度なら、何とか大丈夫だそうであるが、アヤは念のため、紫外線カットフィルムを貼っている。
「はー……また色々付け加わったわねぇ。本当に、面白い店」
エリカは、どんどんダンジョン化していくアヤの店を見やって、楽しそうに笑う。
消防法? うん、催眠術使いの「魔術師」の店で、まともな監査ができるとでも?
「『工芸の魔女』のうち、設計試験会場の一つですからね。優秀作品は残してるんですよ」
「楽しいわね! わくわくする!」
素直に無邪気に笑う。ここは、こちらも素直に受け取っておこう。
「面白そうなら、適当に探検してください。何なら、夕食は気に入った部屋でとることにしても、構いませんよ」
「それ、素敵ね!」
笑いながら、エリカは慣れた様子で、宿泊場所である、店主夫妻の居住空間へ入る。
「……あれ? こっちの探知結界も、前より強化されてない?」
「あ、計算し直して、新しいのに変えたんで」
「へへぇ……本当にアヤは器用ね」
ヤマ勘で最適解を叩き出し、コンピューター並みの精密作業を平然とやってのける人間に言われても、という話だが、エリカに悪気は全くない。素直にアヤを褒め称えているつもりであり、嫌味のつもりは欠片もない。ひたすら正直で、素直なだけである。
どこかの魔法学校に行きそうな、大きなトランクをぶら下げて……十キログラムを超える飼い猫を、軽々と抱っこしているのだから、この程度、エリカにとっては大した重さではない……足取りも軽やかに、彼女は階段を上っていく。
本日からの逗留場所である、仲間家の客用寝室に入ると、トランクをばさりと広げる。中から出てくるのは着替えに衛生・美容用品、簡易食に保存食……
そして、アヤとサヤの店に卸す、手作り商品の数々だ。
「シャワーいい? 実験で水被っちゃったから、ついでにこの服も洗いたいんだけど」
「……いいですよ」
「ありがと!」
そう言うと、エリカはシャンプーやら石鹸やらを詰め込んだポーチを手に、そのまま勝手知ったる調子で、階下へ降りていった。開けっ放しにされたトランクからのぞく品々に、アヤはもう、乾いた笑いの後に、呆れと諦めの溜息しか出せなかった。
「……なんで姉さんは、こうも無駄に天才なんでしょうね?」
草木染の風呂敷の隙間からは、ビニール袋に小分けにされたアクセサリーの一部が、トランクを開けた時の衝撃でこぼれ出た。ペンダント、ブローチ、ブレスレット、イヤリング等々、石英系鉱物を中心に用い、銀や真鍮と組み合わせて作り上げられたアクセサリー。あるいは、その風呂敷と並べられるように、無造作に置かれている、ショールやストールや、テーブルランナーなどのファブリック。
(これは、表の店に置ける分と、裏用との分類が、大変なことになるな)
エリカの作るアクセサリーは、ほとんどが「護符」や「呪符」の機能を持つ。本人にそのつもりはないらしいのだが……と言ったら、リョウは絶叫していた……なぜか、彼女が作ると、奇妙なことに、不思議なチカラを呼び寄せる機能が付加されるのだ。
弱めのものは、一般客向けに販売できるが、あまりに強力な機能を持ってしまったものについては、下手に一般人が身に着けていると、こっちの世界の人間と勘違いされて、「黒」の魔術師の標的などにされる恐れがある。
無論、厄災避けの機能がついているものもあるが、困ったことに、エリカは全くそんなことを気にせずに、気分の赴くままに色々とやらかすので、厄災避けの機能がついていないものも、中には混じっていたりするのである。そういうものは、もはや「同業者」にしか売れない。
今回の商品は、とんでもない意味で「アタリ」揃いだ。
こっちの弟子の状況を把握しているのか、と問いたくなる。
大粒の紅水晶を六つも並べた、ベルト状の飾り……もうちょっと成長したら、モモに武装代わりの補助礼装として渡してやりたいぐらいの代物だ。アヤの「魔女」の目で鑑定するに、ほぼ間違いなく、最高水準の効率で、防衛術式を発動する補助になる。紫外線による褪色が避けられず、消耗しやすい紅水晶であるが、このベルト型なら、日光によるダメージを最小限に抑えられる。しかも、軽く30カラットを超す大粒の石を使うことで、連続使用にも相当耐えられる仕様になっている。
そして、黄水晶のパリュール。イヤリング、ネックレス、ブレスレット二種、リング、ブローチ、バックル飾り、靴用クリップ、髪飾り三種の、超本気フルセット仕様である。成長したアキに、これをフル装備させたら、長時間戦闘も平気でこなせるだろう。
そして、大ぶりな白色幽霊水晶のペンダント。良質の標本を、また大胆に銀で囲っている。台座は単純な六角形ではなく、自然を感じさせる意匠であるが、さらにそこへ、銀線による複雑な幾何学文様の編み上げを加えてある。多分夫が見れば、間違いなく「複素数!」とか叫ぶことだろう。
こちらの事情を看破して、狙い撃ちされているかのような凄さだ。この三つは、アヤが個人的に買い取って、来たるべき卒業記念の日のために、弟子たち用に確保しておくべきものに違いない。
他にも、リビアン・グラス……アフリカ北部でとれる、隕石が衝突した衝撃波によって、近辺の珪砂がガラス状になったものだ……のピアスだとか、檸檬水晶のラリエットだとか、実に、アヤの戦闘スタイルを熟知しているかのような品が、ぞろぞろ出てくる。気になって、ちょっと風呂敷を緩めて、さらに中を覗いてみた。
シンプルな鮑貝殻のカフスが出てきて、ようやく一安心した。
(普通に「店」に出せるレベルの品物も、あった……)
紫水晶のペンダント。うん、問題ない。厄災避け機能付きだ。まぁ、紫水晶はもともと危険回避系の機能を補助する傾向がある。
同じく紫水晶のブローチ、ブレスレット、イヤリング、ピアス、リング。
とりあえず、ざっと見えた限りでは、紫水晶系は「表」に置ける。
紅水晶も、さっきのを除けば、わりかし「マトモ」なものが多い。
無色透明の水晶は、言わずもがな。
だが……これはもしや……というものを、一つ見つけてしまった。
「……リオ用?」
両錐光輝水晶を、細い細い真鍮のネットで包むように編み込み、あるいはサザレの水晶ビーズに通したりして作られた、性別を問わないデザインの、ブレスレット。いや、ブレスレットとするならば、想定される手首の太さとしては、男性向けだ。
後で確認しよう、と思いながら、とりあえず、アヤは客間を出た。
ちょっと気になって漁ってしまったが、まぁエリカのことだ、気にするまい。
シャワーを終えた姉弟子が、仲間家のドライヤーで髪を乾かす音がする。
「アヤー? 商品見てくれたー?」
……見せるつもりだったなら、分かり易く取り出しておいてくれよ。
という声を呑み込んで、ちょっとだけー、とアヤは返す。
ちなみに、現在はハーブティーの抽出中だ。ポットから、不織布のパックを取り上げて、アヤは二人分のティーセットを盆に載せ、二階の客用寝室へと向かう準備をする。
「お茶入れましたから、テーブル組み立てといて下さーい」
はーぁい、と声が、階段の途中からした。
「あー、そういえばさー。なんか、サヤから、檸檬水晶を使った爆破の術を編み出した、って聞いたから、それに使えそうな感じの品を模索してみたんだけど、どう?」
多分、さっきのラリエットだろう。
「良かったと思いますよ。っていうか、なんかリオ用のがなかったですか?」
「あ、気づいた?」
「ハーキマーダイヤモンドを、わざわざ真鍮でアクセに加工してる、っていうのは、ちょっと珍しいですからね。あの石は、裸石の標本で十分に鑑賞に堪えますから」
階段を上がっていくと、茶飲み用の座卓を組み立て終え、姉弟子は座布団を敷いて……いや、座布団ではない。今回持ってきた商品らしいブツだ。
「……ちょっ!」
「ん? 家で使用済みのやつだよ」
「ウチにも座布団ぐらいあるのは知ってるでしょうが」
「いやぁ、この座布団を作った後から、ちょっと体調が良くてね! ひょっとしたら何か効果があるのかな、って思って、リョウさんに鑑定してもらおうかと思ったのよ」
ああ、なるほど。そしてまた夫の胃壁に、ダメージがやってくるわけだ。
アヤは、ちょっと遠い目になりながら、ハーブティーをカップに注ぐ。この姉弟子が来た時は、ウェッジウッドの「インディア」の、ピオニー型を使うのが慣いである。
ふぅ、とエリカは一口、ハーブティーを飲む。ミントを利かせた味わいは、この天才姉弟子の気にも入ったようだ。ちなみにペパーミントではなく、アップルミントを使ってみた。そしてレモングラスにレモンバーム。安定安心の鎮静系「まずくない」ブレンドである。風呂上がりの水分が足りない状態には、するする飲める、穏やかな味が向いている。
一杯目を飲み干したエリカは、件のブレスレットを出して卓上に置く。
「ハーキマーは、大きな結晶になると、さすがに出回る量も限られるし、あれはいじらない方が特質が生きるしで……結論の一つがコレなのよね。今リオが使っているペンダントは、銀のケージの核こそハーキマーだけど、その先の『交信用媒体』は、『第二適性』のアーカンソー産ポイントでしょ? こっちの水晶は全部、正真正銘、ニューヨーク州ハーキマー産よ。ビーズも含めてね」
「ビーズに加工したんですか……」
いじらない方が能力を発揮する石。それがハーキマーダイヤモンドなのに。
「いや、デザインの都合上、さすがにいくつかはそうしないと、バランスが悪くなっちゃってねぇ……これでも、一応『お伺い』を立てながらいじったのよ?」
鑑定する目を「魔女」モードに切り換える。たしかに「落ち着いて」いる。
「……リオにはいくらで売るつもりで?」
「物々交換。なんか色々また入荷してきたみたいだしね」
「さいですか……」
そこらへんは、きちんと勘定のうちだったようだ。
リオは基本的に金欠である。定期収入もなく、世界中を旅して回っているのだ。各地の鉱山で、こっそり宝石を掘り当てて、ちょろまかしたりもしているらしいが、宝石の鉱山というやつは、産出について、基本的には厳しい監視の目がついている。政府以上に、現地勢力が。
いっぺんコロンビアで、うっかり大粒のエメラルドを掘り当てた時には、なかなかの騒動になったそうだ。なんでも、かの地では鉱脈の走る土地が、家系ごとに代々継承されているそうなのだが、その境目あたりを「聴こえるな~」という感覚でテキトーに砕いたら、見事なものにブチ当たり、出てきたエメラルドの所有権をめぐって、銃を持ち出す寸前まで揉めたらしい。
地力は一応あるリオは、本能的に「催眠」を発動して、事態を半ば強引に沈静化させた。しばらくコロンビアには近づきたくないそうである。まぁ、さもありなん。おそらく、突如としてインドに出発した理由には、かの騒ぎもあったのだろう。そしてソーマという友に出会い、改めて勉学に目覚めた。
人生、何がどう転ぶか分からないものである。
なおリオは、この実験に一区切り着いたら、今度はソーマと一緒に、マダガスカルに突撃するらしい。クーデター頻発の微妙な政治情勢の所へ行くとは、コロンビアでの件を、懲りているのか、いないのか。
まぁ、マダガスカルが、新規の有望な鉱脈を多数擁する注目の宝石の新産地であることを考えれば、今から人脈を作っておくのは、リオの収入源確保的にはいいかもしれない。
命の安全については、もう、頑張りやがれ、としか言えないが。
とりあえず姉弟子として、出発前に、あの二人にリョウから「目眩まし」の術ぐらいは、教授させておくつもりである。なにがしかの手助けにはなるだろう。
「んで、まぁ、これはリオ用として……アヤ用に組んでみたのは、このあたり」
二杯目のハーブティーを要求しつつ、どさっ、とエリカは卓上に、小袋の山を作った。
「……これ、全部買えと?」
「卸を増やす、って言ったわよね?」
「ソウデスネ……」
振動効果実験の時に、たしかに了解したことである。
「まぁ、即金でとは言わない。っていうか、リョウさんにも見てもらわないと、相場が計算できないし、とりあえず品物を楽しんでよ」
それもそうだ。この天才なる姉弟子様は、自分がどれほど凄まじいモノを作り上げているのか、実に、実に自覚が足りていないので、捨て値をつける悪癖がある。
「姉さんの感覚で値段を付けられたら、魔女も魔術師も商売あがったりですよ」
「らしいわねぇ」
他人事じゃなくて自分事ですよと、内心でボヤく。まったく、この人は。
とりあえず、何気なく取り出した一つ目から、アヤは撃沈した。
「何ですか、このカラット数の透明度!」
アヤが最初に取り出したのは、目にも鮮やかなカナリア色の、檸檬水晶だった。しかも、空豆大という、クォーツ系にしたって凄まじいカラット数だ。
「あー、61カラットだったかな?」
「ひどい……これ、ルースでも7万は下らないじゃないですか」
いかに産出量の多い石英系鉱物とはいえ、ここまで大きな粒を削りだしてなお、内部に目立った汚れや傷がないというのは、そうそうあるものではない。
「サヤが、なんか君が手榴弾がわりに水晶を投げていた、と言っていたからね。それは勿体ないと思って、連続使用しても耐えられるクラスを目指してみたんだけど」
うん、これならイケるだろう。
凄まじい量の硫黄。
でありながら、アヤの「適合水晶」にも通じる、高い透明度。
そして、恐ろしいことに、補助用の飾りにつけられている、囲みの石は、黄鉄鉱を内包した水晶である。黄鉄鉱。化学式はFeS2。つまりは鉄と硫黄であり、両方とも「火」属性と極めて相性の良い元素だ。むしろ、黄鉄鉱は、ハンマーで叩くと火花が出る。
完全に、例の「爆破」術式を想定した「こちら側」の品である。
「ちなみに、いくらつけるつもりだったんです?」
「あ? ルース7万なら、9万円ぐらい? 10万取れる?」
ガクッ、とアヤはテーブルで額を打ちそうになった。
完全なる赤字だ。捨て値なんてレベルじゃない。
「バカですか姉さんは! こんなの、黒魔術師なら20万円出しても『安く買えた』ってホクホクしますよ! っつーか、ぶっちゃけ魔導連盟なら、50万円はつけます!」
なお「魔導連盟」とは、魔術・魔法・呪術を行使する者たちの組織の一部が、相互に友好的交流を行おうと協定を結んだものである。マヤ以下「水晶の魔女」一門も所属する他、リョウの出身の一つである、ゴールドスミス魔術一門も所属している。
「でも、リオから物々交換で仕入れた原石を、自前で研磨したからなぁ……」
なんという裏技。しかし、やはりモノには適正価格というものがある。エリカの感覚では事実上タダで仕入れた石であったとしても、しかし、これには価値が存在する。
「アウト! はい、アウト!」
そう言いながら、先に見ていた、三人の弟子用のブツを取り分ける。
「あ、それも概算出してくれると助かるな」
ということは、これらも自前研磨か……リオとこの姉弟子のつながりは、何やらとんでもない方向に、とんでもないブツを生み出す加速装置と化しているようだ。
次に取り出したのは、見事な赤橙色の、マデイラシトリンだった。
「長径2センチ近くあるんですが……」
しかも、素晴らしいテリに透明度。目立つ内包物も傷もない。
「あ、それは高いよー」
「珍しいですね、姉さんが『高い』って明言するだなんて」
「や、元々は、『館長』がミネラルショーで仕入れたものだから」
ああ、とアヤも納得した。横流し品か。
マヤとマリの二人三脚から復興し、ネットワークを拡大していった「水晶の魔女」の一団の中で、特別扱いを受けるグループがある。すなわち「工芸の魔女」集団だ。これに所属する者や、それに師事する者たちは、某地域の某山間部に、関係者だけの村を作り、ハンドクラフトとアートに情熱を燃やす、芸術家と職人たちの村……を演出している。表向きには。
あの村は、他の系統の魔術・呪術・魔法使いの集団とも交流が深く、「魔導連盟」に重宝される、中立の緩衝地帯としても機能している。ヤマトの神道系呪術使い「神子柴」一族も、アイヌ系の伝統儀式継承に情熱を傾ける「摩霧」一族も、沖縄系の伝統呪術使いの「玉城」一族も、お互いに衝突は厳禁である。摩霧の神子柴に対する感情の複雑さは察するに余りあるが、二次大戦の敗戦以後、神子柴だってぴーぴーだ。
同化政策や占領時代などに失われかけた諸々の復活・復興に、あの村を構成する「工芸の魔女」たちは全面的に協力する。道具や知識も貸す。時には人脈も貸す。そんな、いわば「越境交流中立地帯」と化している「村」ではあるが、元々は「水晶の魔女」のうち、工芸系に情熱を燃やしだした面々が集まった、やはり「水晶の魔女の村」である。
そんなわけで、あそこには、博物館級の超レア品を含む、素晴らしい標本の数々を展示した「水晶の魔女」のための「適合水晶探し博物館」が存在するのだ。そこの館長は、足繁くミネラルショーに顔を出しては、面白そうな「水晶」を集めて回る。
で、新しくより良いものが出てきたら、古いものは引っ込めたり、あるいは今、アヤが眼前に眺めているブツのように、職人たちに「横流し」するのである。
「……コレが横流しに出るって、いったいどんな『代わり』が来たのやら」
ボヤキはしっかり拾われていたようで、さらりと答えが返ってきた。
「240カラットのシトリン」
ゴン、とまたもテーブルに額を打ち付けそうになる。
「何万円したんだ……確実に6桁……いや、品質によっては7桁?!」
「さすがに、それは知らない……っていうか、私にとっては、石は話しかけてくる存在であって、値踏みの対象じゃないし。友だちに値段つけるなんてしないわ」
超大天才魔女らしいトンデモ発言が飛び出した。
うん、ボールがお友だちな誰かのように、エリカにとって石は友だちである。
宮沢賢治の詩と、とすさまじく相性が良いのも、何となく理解できる。
「詩歌の魔女」マリを別にすれば、門下でアヤとエリカだけが、実戦級で操れる「呪文」となる「詩」……『原体剣舞連』。膨大なエネルギーを原初のままに宿すこの詩を、エリカはイマジネーションの赴くままに、アヤは厳密な研究に基づいて、操る。
「久しぶりに、決闘がしたくなりました。『原体剣舞連』で」
そう言うアヤに、エリカは楽しそうに笑う。
「じゃあ、リョウさんが返ってきたら、やろっか?」
夫の胃壁に穴を増やすようで悪いが、やはり「三学」の一角たる「修辞の魔女」として、この「未知の魔女」にもある程度対抗できる「単独戦闘能力」は、必要最低限の素養だと思う。姿を眩ませたアンリの動きを、魔術師の共同体経由で、ちょこちょこ知るからには、彼がやはり妬み嫉み恨みから、こちらを攻撃してくる可能性は高い。
そしておそらく、彼が一人で、襲撃をかけてくる可能性は、低い。
エリカとアヤ。それにリョウ。この三人が力を合わせれば、アンリの素養や努力など、才能の前で粉微塵に消し飛ぶ。その気になれば、エリカは人体の水分を操作して、人さえ殺せる。それをやらないのは、彼女がひとえに「白の魔女」でありたい、と願っているからだ。
飽きるな。倦むな。見下すな。
その瞬間を迎えた時、エリカは史上最強最悪の「黒の魔女」になる。
だから、才能の差は全力の努力で補って、彼女に胸を張れる「双璧」であろう。
とりあえず、子どもたちを迎えに行っている夫には、内心で謝っておいた。
とりあえずは短編にしましたが、後編のごとく「いざ!」と、模擬試合のノリで『原体剣舞連』の詠唱勝負をする「双璧」の話を書くかも知れません。お互いに全力で対決できるので、引き戻し作業をするリョウ氏の負担が激増ですね。
あと、健康になる座布団の謎を解いたり、丼勘定を極めたエリカの原価計算に青筋立てたりと、仕事は増える一方だ。
第1弾の「もろもろ」の謎がついに判明。アヤ先生は既婚者でしたが、なおかつ、すでに子持ちでありました。男女の双子です。
子どもについては、少なくとも弟子世代視点では、まだしばらく登場しないですが、とりあえず名前と適合水晶は決めている。
でも彼らは「魔術師」でも「魔女」でもない「魔道士」になる予定。
エリカを中心に据えた長編を別途執筆中なのですが、それが書き上がったら、弟子世代視点の話でも登場できるかも。まぁ……夏休みをテーマにして書いているのに、そして30日間ぐらいを書く予定の作品なのに、5日目ですでに120頁に達しているという……いつ完結するんだコレ。