出産
維心は、維月の中に生きて動いている、自分の気と同じ命が嬉しくて仕方がなかった。維月と我の子…維月と、我の子が居るのだ!
「どちらかの。」維心は、居間の椅子で維月の腹に耳を当てて言った。「最初は、どちらでも良いの。臣下達は、皇子が欲しいようであるが。これから、幾人でも出来るしの。」
「まあ…維心様…。」
維月は、維心の髪を撫でながら、そんな姿をいとおしげに見ていた。あれから数ヶ月、もう腹はせり出ていて、そろそろ男女の別が分かるのだが、維月の体を透視出来ない治癒の龍達には、それがどちらかまだ分からなかったのだ。
「…どうも、男のような気がするが…」維心は、じっと気を読みながら言った。「名を考えねばならぬから、どちらか知りたいと思うたが、良いか。両方考えておくかの。」
維月は、はしゃぐ維心を、微笑ましく見て頷いた。
「維心様に、お任せ致しまするわ。私は、維心様にそっくりのお子が欲しいと思うておりまする。」
維心は、眉を上げた。
「我は、主に似た子が良いと思うておった。では、どちらでも良いか。」
嬉しそうな維心に、維月はいとおしかった。本当に…こんな幸せは、考えたこともなかった…。
すると、窓際で声がした。
「おーい維心、維月。どうだ、生まれそうか?」
十六夜だった。
「十六夜!」
維月が、立ち上がってそちらへ歩く。維心は、いつもいきなり来て割り込む十六夜に、機嫌を悪くした。いつもいつも、結界を事も無げに通って来おって。
「なんだ、また来たのか。」
十六夜は、不機嫌な維心に、意地悪げに笑った。
「邪魔で悪かったな。だがあいにく、維月はオレの嫁でもあるんだよ。」と、維月を見た。「で、どうだ?月でお前の波動が変わったのを感じて来てみたんだが。まだ陣痛は来てないようだな。」
維月は、頷いた。
「私の波動が?分からなかったわ、自分のことなのに。」
十六夜は、頷いた。
「お前はまだ月になって日が浅いからな。力のことだって、まだよく分かってねぇだろう。空だって満足に飛べねぇってのに。だが、月の命を生んだ時と同じ波動に思えてな。まだならいいんだ。何かあったら月へ夜呼ぶんだぞ。」
維月は、頷いた。
「うん。ありがとう。」
維心が、不機嫌に突っ立っている。十六夜は、そんな維心を振り返った。
「何ぼーっと立ってるんだよ。名前を考えるなら、急いだほうがいいぞ。もうそろそろだから。」
維心は、ふんと横を向いた。
「まだ9ヶ月だ。治癒の龍は、人なら来月だと言うておった。」
維月は、慌てて維心に歩み寄った。
「あの、私は月ですし、それは個人差がありますわ。神は三年でしょう。元人でも月の私なら、もしかして、9ヶ月でも出て参るやもしれません。何しろ、蒼の月の命の時は、形がなかったとはいえ3ヶ月ほどで生まれましたので。」
維心は、仰天した顔をした。
「三月?!では…では今にも生まれるのではないのか!」
維月は、苦笑した。
「いえ、生むには時間が掛かりまするし。陣痛が来ても、そんなに一瞬のことではありませぬ。維心様、そのように構えてしまってはなりませぬわ。」
十六夜は、呆れたように維心を見た。
「お前ってさあ、維月が心配で仕方がないんだな。まあ、オレもそうだから分かるけどよ。」と、維月の額に口付けた。「じゃあな、維月。頑張って生めよ。オレは戻る。」
維月は、頷いた。
「またね、十六夜。」
そうして、また十六夜は月へと戻って行った。維心は、急いで維月に走り寄ると、手を引いて慎重に椅子へと座らせた。
「さ、無理をしてはならぬ。もしや本当に生まれでもしたらどうするのだ。ああ、そうだ名よな。めぼしい名を書き出しておくゆえ、主はどれが良いか決めてくれぬか。二人で選ぼうぞ。」
維心は、慌てて懐紙を出すと、すらすらといろいろな名を書き始めた。維月は、急に慌しいのに、ため息を付いたのだった。
その夜半、維月は覚えのある痛みを腰に感じて、目を覚ました。
隣りには、維心が眠っている…今、痛むと言ったら、維心のことだから大騒ぎするだろう。今は深夜、臣下達は皆眠っている。維月は、維心がそんなことも構わずに臣下達全てをたたき起こすだろうことは、もう分かっていた。何しろ、この数ヶ月で維心の愛情の深さは身に沁みて分かっていた。ちょっと具合を悪くすると、それは大騒ぎして皆それに振り回されて大変なのだ。結局見かねた十六夜が来て、問題ないと言って、やっと納得することになる。なので、今現在陣痛らしき痛みが来ているのが分かってはいたが、維心を起こす気にはなれなかった。
維月は、維心をちらと見上げた。維心は、いつものように維月を横からしっかりと抱きしめて眠っている。その寝顔は、寝ている時まで自分を律しているように、しっかりと薄い唇を結び、寝息すら静かだった。
維月は、目を閉じた。確かに痛いが、過去の出産から考えても、痛みが来てからも数時間掛かった。痛みの感覚が狭くなるまで、待とう。きっと明け方までそれで何とかなるはず。
維月は、せっかく眠っている皆を起こさないように、じっと痛みに耐え続けたのだった。
一方、維心は維月の気を心地よく感じて眠っていたが、それが途中で何やら時に小さく乱れ、そして元に戻るのを繰り返しているのを感じ取った。維月が何も言わない上じっとしているので、夢でも見ているのかとそのまま眠っていたが、乱れる感覚が次第に狭くなって来る。その上、頻繁だった。
どちらにしても、もう夜明けが近いので、どんな夢を見ているにしても、一度起こしてやるべきかと、目を開いて維月を見ると、維月は維心に背を向けて、腹を抱えるように身を丸めて小刻みに震えていた。驚いた維心は、維月の顔を覗き込んだ。
「維月、いったいな何の夢を…、」
慌てて起こそうと声を掛けると、維月は眠っていなかった。それどころか、額に汗を滲ませて、黙って歯を食いしばっていたのだ。
「どうした?!維月、何事ぞ!」
維月は、しばらくそのままだったが、ふっと体の力を抜いて、維心を見た。
「維心様、お起こししてしまいました。あの、夜半から痛みが来ておりまして…ですが、まだしばらくは。」
維心は、仰天して上布団を跳ね上げた。
「なんと!なぜに言わなかった!」と、維月をすぐに抱き上げると、叫びながら宮を飛んだ。「治癒の者!維月が…維月が産気づいておるぞ!」
途端に、宮がいっせいに起き出すのを維月は感じた。夜明け近い宮の中、維心は必死に奥宮に準備されてあった産所へと飛び込んで、維月をそこへ寝かせた。治癒の龍達が、わらわらと駆け込んで来る。
再び痛みが来た維月は、顔をしかめている。維心は、おろおろと維月の手を握った。
「おおどうしたら良い!どうしたら楽であるのだ!」
治癒の龍達が、慌てふためいたように足元の方を準備している。治癒の長の立花が、維月の足元を見て、眉を寄せた。
「…もはや、間近。殿方は、部屋の外でお待ちくださいませ。」
しかし、維心は断固として首を振った。
「我はここに居る!維月に何かあったらどうするのだ!」と、維月の額の汗を拭いた。「夜半より痛みが来ておったのだ…それなのに皆を起こすまいと一人でここまで耐えて。我が気付かなかったせいぞ。」
立花が、じっと見ていたが、叫んだ。
「はい、維月様!お気張りくださいませ!」
維月は、痛みの波に合わせて力を入れた。維心は、必死に力を入れる維月の手を、これまた必死に握り締めて気を送った。ああ、子を産むのがこれほどに大変なことであるとは。維月が、これほどに苦しまねばならぬとは…思ってもいなかった…!
痛みの波が去る。力を抜いた維月に、維心は言った。
「維月、水は要らぬか?どうしたら楽ぞ。我の気は痛みを抑える効のあるものを送っておるぞ。どこか擦れば楽になるか?」
維心は、それこそ自分が痛んでいるのかというほど、つらそうな顔をしていた。維月は、汗にまみれた顔で微笑んだ。
「維心様…大丈夫でございます。今までの出産に比べたら、本当に楽でありまするわ。」
立花や治癒の龍達が、慌しく動いている。
「王、もうご誕生かと。頭がほとんど見えておりまするので。」
「!!来ました…!」
維月の手に力が入る。維心は、またその手を握った。もう、生まれる…!
「はい!いま少し!維月様!最後でございます、お気張りください!」
維心は、それを聞いて思った。痛みに耐えておるのに、まだ頑張れと申すか。どこまで維月に無理をさせるのだ。
しかし、維月は更に顔をしかめて力を入れた。
「んんー!!」
立花が、何かを維月の足元から引き上げた。そして、叫んだ。
「力を抜いて!」
維月は、ハッと息を付くと、必死に力を逃した。何と難しいことを言う!今力を入れろというたところではないか!
維心は憤ったが、途端に、赤子の声が響き渡った。
「第一皇子様のご誕生でございます!」
治癒の龍の声が告げる。維心はその声に、そちらを見た。
「おお!生まれたか…。」
維月を見ると、維心を見て微笑んでいる。
「まあ…皇子でありましたのね。早よう顔が見たいこと。」
維心は、頷いた。
「大儀であったの、維月。ああこれほどに辛い思いをさせねばならぬとは…我は、知らなかった。」
維月は、首を振った。
「皆同じように母になるのですわ。大丈夫、私は月なのですから。ご案じなさいますな。」
治癒の龍が、洗って産着にくるまれた包みを、維心に恭しく差し出した。
「第一皇子様でございまする。」
維心は、頷いてそれを受け取った。そして、その顔を見た。赤子は、今はもう泣き止んでいて、しかし閉じた目の端には涙が滲んでいる。髪は黒く、顔立ちは間違いなく維心そっくりだった。維心は、ためらいながら維月に見せた。
「まあ…!何と愛らしいこと…!維心様に瓜二つでございまするわ。苦労して生んだ甲斐がありましたこと。」
維心は、苦笑した。
「主がそう申すなら、良かったことよ。しかし、これほどに我に似ておるとは…主が生んだというのに。不思議な感じぞ。」と、皇子の頬に指で触れた。「これ。目を開けぬか。」
維月は、苦笑しながら維心を見た。
「維心様ったら、今生まれたばかりなのですわ。そのようにせっつかないでくださいませ。」
しかし、皇子は維心の指が触れた瞬間、薄っすらと目を開けた。そして、人の子では考えられないしっかりとした視線を維心に向けた。その瞳は、維心と全く同じ、深い青色だった。
「まあ!ああ何と可愛らしい。」維月は、皇子に手を伸ばして抱き寄せた。「母よ。何と愛らしいの。これからよろしくね。」
維月は、皇子の頬に自分の頬を摺り寄せて軽く口付けた。皇子は、じっと維月の顔を見ている。維心は、息をついて言った。
「これは…我が気圧されてしまうやもしれぬの。皇子にばかり構わず、我の面倒も見るのだぞ?」
維月は、ふふと笑った。
「もう維心様ったら。」
維心は笑うと、皇子を抱いて立ち上がった。
「目通りに参る。」
そうして、維心は次の間に控える、臣下達の前へと出た。
臣下達は、皇子との初の対面に備えて、皆正装をして頭を下げて控えていた。維心は皇子を抱いたまま、その前に進み出ると、言った。
「世継ぎの皇子、名を将維とする。」
洪が進み出て、言った。
「将維様のご誕生、誠におめでたきことと、臣下一同お慶び申し上げます。維月様には将維様をお生みくださるという大役を果たして頂き、心の底から御礼申し上げますると共に、一刻も早いお体のご回復をお祈り申し上げまする。」
維心は、頷いた。
「伝えておこうぞ。」と、将維を皆へと向けた。「我の第一皇子。主らが望んだ、世継ぎの皇子よ。」
洪は顔を上げて、食い入るように将維を見た。その顔は、維心に瓜二つで、龍王に受け継がれる強い気と、独特な深い青い色の瞳を持っていた。洪は、涙ぐんだ。誠に、誠に王のお子。この1500年、これまでの臣下達が待ち望んで来た、世継ぎの皇子が、誕生したのだ。
維心は、笑って将維を抱き直すと、言った。
「本日は無礼講ぞ。近隣の宮へ告示の後、主らは宴を。蔵を開けることを許す。」
「ははー!」
そうして、奥へと引き返したのだった。