湯殿にて
「え、共に入るのですか?!」
湯殿の前で、維月はびっくりしたように維心に言った。維心は、頷いた。
「なぜに別に入る。我らは夫婦なのだから、そんなものだろうが。」
維月は、ぶんぶんと首を振った。
「そんな、あの、世間の夫婦とは違いまするわ。だって、まだ…」
維心は、同じように首を振った。
「それは主の希望を汲んでおるから。他は妃らしくするという約束ではないか。さあ、参る。」
維月は、しばらく絶句して維心の背を見送っていたが、仕方なく維心について、脱衣場へと入って行った。
維心は、何のためらいもなくさっさと着物を脱ぐと、布一枚を持ってさっさと大浴場へと向かって行く。維月は、慌てて自分も着物を脱ぐと、小さな布を縦に持ち、体の前が全て隠れるようにと気を遣いながら、そっと大浴場の戸を押し開いた。
すると、体格の良い背が、体を洗う場所の椅子にあるのが見えた。維心の体を初めて見る維月は、頬を赤らめてそっとそこから椅子二つぐらい離れた場所へと腰掛けると、激しく石鹸を泡立てて全身を覆い隠すように必死で洗った。
すると、それを見ていた維心が言った。
「維月。」維月がびくっとして維心の方を恐々見ると、維心は別に隠す様子もなく座ってこちらを見ながら、言った。「我の背を流さぬか。」
維月は、びっくりした。だが、今は体を覆う白い泡がある。意を決すると、泡のついた布を手に、維月は維心の背後へと回った。
「では、お背中流させて頂きます。」
維心の背中は、広かった。闘神だと聞いていたので、さぞや傷がと思っていたが、維心の背中には全く傷がなかった。よく考えたら、維心は最強なのだと聞いている。つまりは、傷を負わされるようなことがないのだろう。
ひたすら黙々と背を流していると、維心が言った。
「他者に背を洗わせると、楽であるな。」
維月は、少し驚いて維心を見た。
「え、前に居た妃の皆様は?」
維心は、面倒そうに手を振った。
「顔を見たのも、宮へ入った日の挨拶の場のみぞ。臣下が勝手に連れて参った女。それから見たこともない。」
維月は、どこまでも女を馬鹿にしていたのだわ、と思いながらも、続けた。
「でも…ならば、居間へ連れて来ておった女達は?」
それにも、維心はふんと鼻を鳴らした。
「なぜに我の肌をあやつらに触れさせねばならぬのよ。着物も着ておらぬ湯殿などに、連れ入ることなどないわ。」
維月は、ぴたと手を止めた。
「それって…あの、女遊びって、維心様は相手の体に触れたりなさらぬのですか?」
維心は背後の維月をちらと振り返った。
「だから物だと言うたではないか。我に媚びるように作られた人形のように見えておったし。着物の上から触れるのは許しても、我から触れることはないし、それに肌に触れることは絶対に許さなかった。皆同じにしか見えぬのに、この龍王の我が、そんな物を相手にすると思うなど、主は我を侮辱しておるのか。」
維月は、急いで首を振った。
「そのような。あの…そんな風には思っておりませんでしたの。さぞかしあっちこっちのかたと、その、身を繋いだりとしてらしたのだと…皆、そう思っておったのではありませぬか?」
維心は、驚いたように維月を見た。
「皆?では、我は全て相手にしておったと回りには思われておったのか。」
維月は、頷いた。
「はい。ですので私も、そのように。」
維心は、黙って前の大きな浴槽にも見えなくはない湯を溜めてある場所から手桶で水を汲むと、さっと自分の体に掛けて石鹸の泡を落とした。維月は慌てて自分に掛からないように避けてから、すぐに自分の椅子へと向かうと、同じように水を手桶に汲んだ。
維心を見ると、泡を落としてから立ち上がって大きな浴槽へと向かって行く。維月は自分もさっさと流し終えると、また布を前にぴったりとつけて体を隠し、浴槽へと向かった。
維心は、先に浴槽に浸かって、大きな窓から見える庭を見ている。維月は、そっとそこから離れた場所へと入ると、ホッと息をついた。本当に…ここのお風呂は、素晴らしい。維月が和んでいると、何かを考えているようだった維心が言った。
「…知らなかった。」その目は、真剣だった。「我に、そのようなことを知る術はない。世間が我を影でなんと言っておろうとも、耳に入ることなどない。何しろ、そんなことを耳に入れたなら斬って捨てられると臣下達は思うておるから、言わぬのだ。我もわざわざ聞かぬし、それに主のように問う者も居らぬから、女を呼んで何をしておるのかも言わぬだろう。我はただ…何やら虚しい気がするこの心地を、誰かと過ごすことで紛らわそうと思うておっただけなのだ。龍王としての誇りを捨ててまで、愚かに戯れるようなことはせぬ。」
維月は、初めて知る維心の心に、ただ驚いて聞いていた。きっと、維心は寂しかったのだ。しかし、その感情が寂しいということだということすら知らなくて、側に誰かを置くことで紛らわせようとしていたのだろう。その証拠に、維月が側に居る今は、全く他の女を寄せ付けなくなった。そして、維月が居なければ探し回り、いつも側に居たがった。身を繋げなくても、維月を抱きしめたり、どこかしら触れて居たがるのだ。それは、きっと無意識に愛情を感じたいと、心のどこかで思っているからではないだろうか…。
「維心様…」維月は、思い切って水の中を進んで、維心の横へ並んだ。維心は驚いた顔をした。「これからは、私がいろいろとお話ししましょう。分からぬことがあれば、お聞きくださいませ。今の維心様を見て、誰も女好きとは言わぬでしょう。維心様は、世間の誤解を解けるのですから。私も、誤解しておったので、申し訳なく思います。」
維心は、驚くほど側に寄って来た維月に、微笑して肩を抱いた。
「世間が何と思おうと別に良いのだ。主が誤解していたのが、我には衝撃であった。確かに主が今言うたような王であれば、主とて婚姻などと思わぬであろうの。最初あれほど抵抗した意味も、やっと分かって参ったような気がする。」
維月は、ダイレクトに肩に感じる維心の手に少し緊張していたが、微笑んで頷いた。
「はい。分かって参って、良かったですわ。」
維心もそれに微笑み返し、そして、維月に唇を寄せた。いつものことなので、これには維月ももう慣れていて、すんなりとそれを受けると、維心は深く、長く口付け始めた。
湯の中で、維心は維月を抱き寄せて、ぴったりと体をくっつけて来る。口付けている間に、維心の息が上がって来るのを感じた維月は、急いで唇を放した。
「い、維心様…もう、湯から出ましょう。」
しかし、維心は抱く腕を解かなかった。
「いま少し。維月…良いではないか。まだ我を疎ましく思うか?」
維心の目は、真剣だった。維月が言葉を詰まらせていると、維心は我慢がならぬように、再び維月に口付けた。ぴったりとくっついているので、体の変化もわかる。維月は、再び維心から身を離そうと横を向いた。
「維心様、本当にこのような場所では…」
「では、どこなら良い?」維心は、最早薄っすらと感情が高ぶって光る瞳で維月を見て言った。「奥の間へ戻れば良いか?我は…もう我慢ならぬ。」
それは分かるけれど。
維月は思いながら、長く湯に浸かっているので、ぼーっとなって来ているのを感じていた。でも、維心様と婚姻…今が幸せなのに、まだ少し知っただけで、婚姻なんて…後悔、する、かも…。
維月は、そこで気が遠くなるのを感じた。
「維月?!」
維心の慌てた声が聴こえる。維月はそのまま、何も分からなくなった…。