プロポーズ?
維心は、一部始終を見ていた。
飛び込んだ女神を追って、迷いもなく飛び込む女。そして男と見紛う腕の振りで張り手を食らわし、正気に戻して、あまつさえ父王を脅せと言い放つ女…。
そんな女は、初めて見た。
維心は、その女が脇の茂みに入って行くのを見て、もっと知りたいと後を追った。北東の屋敷と言っていた…洪が呼んだぐらいだから、王族のはず。
維心は、その茂みに踏み込んだ。
「!!」
維月は、びっくりして振り返った。襦袢を脱いで、まだ中身の着物を着ている最中だった。
そこには、見たこともないほど凛々しく美しい顔の、黒髪に深い青い瞳の男が立っていた。あまりにも美しいので、維月は呆けたように一瞬反応出来なかった。しかし、自分の格好を思い出し、慌てて前を向いて着物を閉じた。
「あ、あの…!池に落ちましたの!着替えておりますから、あちらへいらしてくださいませ!」
しかし、相手はそこを動かなかった。
「主、名は?」
維月は、一生懸命腰ひもを結びながら、言った。
「名を訊ねる時は、先に名乗るのが礼儀では?」
維心は、驚いた。自分を知らぬ神が居るとは思わなかったからだ。
「我は、維心。」
維月は、やっと腰ひもを結んで、袿に手を伸ばしながら言った。
「私は、維月と申します。ところで維心様、皆様あちらの席にいらっしゃいますわよ?」
維心は、頷いた。
「知っておる。面倒になって出て参った。」と、維月の前にわざわざ回り込んだ。「主、見たところ女であるのに。男のようよな。本当に女か?」
維月は、あまりに無作法なので、少しムッとしながら言った。
「生まれた時から女ですわ。でも…まあ、前は人でしたし、女神達とは違うかと思いまするけど。」
維心は、尚も言った。
「人?主は、何ぞ?変わった気よな。」
維月は、あまりにも美しい顔に、気恥ずかしくなりながら答えた。
「月ですわ。一度死んで、月の命を分けられたのです。」
維心はまじまじと維月を見た。
「ずっと見ておったが…主のようなのは初めてぞ。どれ、試してみるか。」と、ぐいと維月の腕を掴んだ。「興味が湧いた。我を退屈させなければ、妃にしても良い。」
維月は、仰天して維心を見上げた。
「え…維心様?!王様ですの?!」
維心は、頷いた。
「我は、龍族の王。」
維月は、あまりのことに袖で口を押さえた。龍王?!女の癖の悪い?!
「な…!放してくださいませ!」維月は、維心の手を振りほどいた。「龍王様の、お相手など出来ませぬ!もっと美しい女を選んでくださいませ!」
維心は、首を振った。
「見目だけの女などには用はないわ。我は、愚かな者は男も女も好かぬ。しかし、主は利口そうぞ。何より、何やらそそられる。女にこのように心が踊るのは、初めてのことぞ。参れ。」
維月は、尚もぶんぶんと首を振って後ろへ飛び退いた。
「お断りします!女の癖の悪いかたは、どうあってもお相手など出来ませぬ!」
維心は、眉を寄せて足を踏み出した。
「何を申す!妃として遇すると申しておるのだぞ?子も、主なら生ませて良い。龍王の我の子ぞ。」
維月は、また後ろへ下がった。
「嫌です!そんな気まぐれで子供なんて!とにかくお断りします!あなた様のお子など生みたくありませぬから!」
維月は、必死に飛び立った。維心は、事も無げに回り込むと維月を、抱え込んだ。
「龍王の求めを拒むとは。否とは言わせぬ!共に来い。」
維月は、じたばたと暴れた。
「嫌!絶対に維心様の妃になんてならないわ!女を神とも思っておられぬかたなのに!私は、お互いただ一人として仲睦まじく愛し合ってしか、婚姻はしません!放して!」
維心は、軽く気を放った。途端に、維月は気を失ってぐったりと維心に身を預ける。
維心は、そのまま維月を抱いて、自分の奥の間へと戻って行ったのだった。
維月が目を覚ますと、そこは、大きな寝台の上だった。辺りは、もう暗くなっている。慌てて起き上がると、横には維心か居て、じっと維月を見ていた。自分が襦袢しか着ていないのを見て、急いで維心に背を向けると、混乱した頭で考えた。何かあったってことはないわよね。まだ体に異変は無さそうだし、きっと何も…。
すると、維心が言った。
「…なぜに背を向ける。目覚めるまで、我は待ったではないか。我の妃になるのだ、維月。」
維月は、絶体絶命だと思いながらも、首を振った。
「先程も言いました!絶対に嫌です!」
怒り出すかもと覚悟したが、維心は、しばらく黙った。維月は、どうしたのだろうと、ちらと維心を見た。維心は、無表情のまま、言った。
「主は、我の事をどのように聞いておるのだ。」
維月は、目を合わさずに言った。
「それは…あの、妃には通わず、奥に他の女ばかりを連れ込んでらっしゃると。」
維心は、また黙った。そして、言った。
「…奥とて、我が許しておったのは居間まで。この奥の間には踏み込めば切り殺しておったわ。臣下は身を繋いでおると思うておったようだが、なぜに龍王の我がそのようなことを女などにしてやらねばならぬ。我からあやつらに奉仕などせぬ。あれらは物よ。」
維月は、身を固くした。だから何?私にも、何もしないってこと?それならいいけど…。
しかし、維心は維月を抱いて自分の方へ向けた。
「主は、ここへ連れて来た。己を与えて良いかと思うたからだ。」と、指先で維月の唇をなぞった。「先程主に口付けた時、柄も言われぬ心地よさがあった。体を重ねれば、いかほどのことか…。お互いに、良い思いができるぞ。」
維月は、気を失っている間に口付けられていたのだと、口惜しかった。
「嫌です…私は、本当に神の王となんて、婚姻出来ないのです!考え方が違うのですから!」
維心は、維月の上に移った。
「そのようなもの、いくらでも合わせて参れるわ。我の妃になるのだ…今宵、我は主に全てを与えるつもりでおるゆえ。」
維月は、目を丸くした。それって…それってつまりは、子供が出来るようなものも、ってこと?!
「いや!せめて…せめて他のその辺の女と同じように、一夜だけにしてくださいませ!妃になんて、なれませんから!」
維心は、険しい顔をして、首を振った。
「我が決めたのだ。主は我のものになる…我の子を産むのだ。」
維心は、維月に口付けた。維月は必死に力を振り絞って、維心の胸を思い切り押しのけて、寝台から転がり降りた。そして、側の衣桁に掛けてあった袿を掴むと、慌てて袖に手を通しながら言った。
「嫌だと言ってるのに!そんな自分勝手な様が、好きになれぬのですわ!どうしてお分かりになりませぬの!」
維心は、寝台から身を起こして落ち着いた様子で維月を見た。
「なぜに抗う。我から逃れることなど出来ぬぞ。我が決めたら、主に抗う力などない。いい加減諦めぬか。」
維月は、それでも維心を睨み付けた。
「無理やりに自分のものにして、それで満足ですの?よろしいわ、ならば私を抱けば良いのよ。私は人の頃でも子を産んでいるし、経験がないわけでもないわ。生娘じゃあるまいし、狂犬にかまれたぐらいに思って、一晩ぐらいお相手してあげても良いわよ。でも、絶対に心までは屈しませんからね!そんな風に無理に抱かれて、心から服従しているなんて思うなら、甘いですわ!」
維心は、それを聞いてグッと眉根を寄せると、寝台から降り立った。その体格がよく背の高い姿に、維月はさすがに怖くて後ろへとじりじり下がった。それでも睨みつけていると、維心はその目を睨み返しながら言った。
「…ならば、己から身を委ねようと思うようになれば良いということであるな?」
維月は、じっとその美しいけれど冷たい青い瞳を見つめて、言った。
「そのようなこと…無いと思いまするけど、そうですわね。」
維心は、維月を睨んだまま頷いた。
「分かった。試してみようではないか。」と、窓の外を見た。「今は真夜中。このまま夜明けまでこの奥の間で共に過ごせば、主は我の妃とされる。我の手がついていようといまいとの。我は主を妃に迎えると言ったことを、違えるつもりはないゆえ、このままここに共に居てもらうぞ。そうして、ここで共に過ごすのだ。毎日共にの。宮の中は好きにしておってよい。我の妃として、何不自由ないであろうぞ。主が許すまで、我は主の身を抱くことはない。そう取り決める。」
維月は、反論しようと口を開いた。どっちにしても妃って!そんな勝手な…。
「そんな、私はそんな結婚は…!」
「譲歩したのだぞ?」維心は、強い口調でそれを遮った。「我には主の気持ちなどどうでも良い。だがそのように抗うゆえ、試してやろうと思うたのだ。そんな大それた口を叩く主が、我に服従するその様を見てやろうと思うてな。」
維月は、ぐっと黙って維心を睨みつけた。誰が…!誰がこんなヤツに服従なんてするものですか!
しかし、その夜はどうしても奥の間から出ることが出来ず、そのうちに部屋の隅に座り込み、維月はうとうとと寝入ったのだった。