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名無しのななちゃん

 ななちゃんは、自分の名前がきらいです。

 英語の授業で自己紹介のやり方を教わった時、男子の一人がななちゃんの名前を囃し立てるまでは、大好きな名前でした。

 けれど、志田(しだ) 南那(なな)という名前は、名前を先に読むやり方だと『ななしだ』、つまり『名無しだ』になってしまうのです。


 ななちゃんは、自分の容姿がきらいです。クラスの人気者、つまり一軍の女子はみんな目が大きくてかわいらしい服がお似合いですが、ななちゃんは切れ長の目で、かわいらしい服よりはボーイッシュな格好が似合うタイプです。

 それでも一軍の子たちに少しでも近づきたくて、お揃いの服を買ったり、着こなしを取り入れたりします。

 一軍の子たちといると、それだけで自分がキラキラ輝いているような気持ちになります。

 彼女たちは、今までななちゃんが知らなかったこと――子供だけでカフェに入る、馴染みのお洋服屋さんで店員さんに挨拶される、メイクをする――がとても上手です。

 ななちゃんは一軍の子にあこがれているので、いつでも一緒に遊びます。

 毎日が楽しくて、刺激的で。それなのに、何故なのでしょう。

 なんだか最近、息苦しいような気持ちになるのです。時には、自分は名無しののっぺらぼうになったような、そんな気にさえ。


 日曜日は朝からさんざんでした。髪についたねぐせはいくらブラシを通しても直らないし、出がけにお母さんから小言を言われてしまいました。

「南那、出掛けるの? 日曜日はお父さんもいるから、みんなでお買い物に行こうって約束していたじゃない」

「ごめんね! お友達に期間限定のショップに誘われて、どうしてもそっちに行きたいの!」

 聞こえるように吐かれたお母さんの大きなため息にななちゃんはイラッとしました。けれど、家族でお買い物に行くと聞いていたのはお友達に誘われるより前の約束で、しかもななちゃんが約束を破るのはこれが初めてではありません。お小言をくらって当然です。ななちゃん本人も、自分が悪いとは分かっていましたが、ショップは楽しそうですし、せっかくのお誘いを辞退したらもう声を掛けてもらえないのではと思うと、どうしても断れません。

 気まずいななちゃんは「遅れそうだからもう行くね」と、お母さんのそれ以上の言葉を聞かずにドアを閉めてしまいました。

 自転車に乗って漕ぎ出すと、ひときわ強い風が行く手をこばむようにななちゃんと自転車に吹きつけてきます。おかげで、漕いでも漕いでもなかなか進みません。

 ――こんな寒い日は、お父さんの車で送ってほしかったな。

 そう思ってから、慌てて打ち消して、楽しいことにスポットライトを当ててみました。

 ――今日は、ショップで何を買おうかな。今月はお小遣いを使いすぎてるから、みんなみたいにたくさんお買い物は出来ないけど、なにかわたしにも買えるいい小物があるといいな。

 楽しみだな。


 必死に漕いで待ち合わせの駅に着くと、みんなはもう到着していました。

「なな遅ーい」

「ごめーん、風強いから自転車が進まなくって」

 わいわいとおしゃべりしながら、期間限定のショップが開いているテナントビルに入って行きます。そして、他の女の子たちが沢山のお買い物をする中、予算の都合上、みんなが買っていたシャープペンシルだけを手に取りました。

 ――ほら、大丈夫。みんなとお揃いは楽しいもん。

 そんな風に、自分に言い聞かせました。

 その言葉が、じわじわとななちゃんの心に黒いしみを広げているとも知らずに。


 翌日、学校にそのシャープペンシルを持っていきましたが、おしゃれ重視のそれは頭にチェーンが付いていて、ぶらさがった重たい星の形の飾りがペンを動かすたびぶんぶんと揺れるのでうまく書けません。早々に使うのをやめて、いつもの書きやすいものに持ち替えます。

 ――高かったのに残念。

 そう思いながら、ペンケースにそっと戻しました。


 その日の二〇分休み、ななちゃんは返却期限のせまっていた本を図書室へ返しに行ったので、一軍のみんなとは遊べませんでした。天気もいいし、外に行っているかな、今から追いつくかな、と思いながら教室まで戻ってきて扉に手を掛けた時、中から誰かのおしゃべりする声が聞こえました。

「最近ウザいよねあの子」

「せっかくあのショップ連れてってあげたのに、買ったのシャーペン一本てウケない?」

「てかすっごい必死過ぎだよねー、カワイソー!」

 そこまで聞いて、静かにその場を離れました。


 話をしていたのは一軍のみんなで、名前こそ呼ばれなかったものの、話題になっていたのは明らかにななちゃんでした。


 ななちゃんは渡り廊下を走って管理棟へ行き、誰もいないお手洗いに入りました。

 走ったせいだけではなく、胸がいやな感じでドキドキしています。

 ――みんながあんな風に思ってたなんて、知らなかった。

 鏡を見ると、そこには似合わないパステルピンクのパーカーを着て、伸ばした髪をサイドで結んだ、さえない女の子が映っています。

 そのパーカーは、仲間の一人が着ていた子供服のブランドもので、ななちゃんがお母さんに頼み込んで、セールになった時にようやく買ってもらえた大切なアイテムです。パステルピンクは似合わないし、たくさん着倒して毛玉も出来ていますが、それでもとびきりお気に入りのパーカーでした。胸元につけた名札には、先生に怒られないよう、裏にこっそりスパンコールを入れてあります。ななちゃんはピンを外して、名札の裏面を上にして手に乗せ、じっとそれを見ました。

 凍てつく冬の夜空の色をしたスパンコールは、小さい頃に着ていたワンピースから外したもので、手芸屋さんでもなかなかお目にかかれないものです。教室で名札を裏返して見ていた時、一軍の子もそれを見ていて『おしゃれな色じゃん』と褒めてもらった、自慢の一品です。

 けれど、陰で笑われていると知った今は、その時と同じ気持ちにはなれません。

 ――こんなもの!

 カッとなったななちゃんが、名札を振り上げると。

『いらないなら、ちょうだい』

 か細い声が、耳のすぐ横から聞こえてきました。

 鏡には何も映っていません。けれど、声のした方の耳や体は、ぞくぞくとした冷気を感じました。

『名札、ちょうだい。それ、ほしいの』

 いやだ、と首を横に振り、きっぱりと断りたいのに、体は言うことを聞きません。冷気はどんどん広がって、もうななちゃんの体を全部すっぽり覆ってしまいそうです。

 ――誰か!

 強く助けを求めた瞬間、お手洗いの入口の扉がカラリと開き、校長先生が中に足を踏み入れました。

 そしてななちゃんのすぐ横、冷気を発しているあたりに目をやり、厳しい表情で告げます。

「それはその子のものです。手を離しなさい」

『いやよ。だって捨てようとしていたもの』

「それでも、拾うのは君じゃない、この子です」

『ほしいの!!』

 か細かった声は強く主張しました。

『ほしい、ほしい、わたしにないもの、ほしい、ちょうだい、ちょうだい!』

 垂れ流しにされた欲望は、まるでななちゃんそのものです。

 ――この子とわたしは同じだ。自分にないものばっかり欲しがって。

 そう思うと、恐がる心は落ち着いて、「ねえ」と冷気の方に話しかけていました。

「名札はあげられないから、これあげる」

 そう言うと、名札の裏に手を入れて、スパンコールを出しました。

『いいの?』

「いいよ」

『ありがとう……』

 その言葉と同時に、冷たい空気が消えました。てのひらに乗せた一粒のスパンコールも。


「本当によかったのですか」

「はい」

 スパンコールのストックは、まだおうちにあります。またこっそり入れて持ってこようと思っていると、校長先生がいたずらっぽく「学校への私物の持ち込みは注意しないといけませんけれど、今回だけはよしとしましょうか。もう、なくなってしまいましたからね」と笑い掛け、ななちゃんをお手洗いの外へと連れ出しました。

「もう五時間目が始まっていますから、教室まで送りましょう」と、校長先生はななちゃんと並んで歩きます。そして、渡り廊下で静かに問いかけました。

「あれは、人の心の陰から生まれるものですが、心当たりはありますか」

「……はい」

 他人をうらやむばかりの心。

 ないものを欲しがる心。

 自分より、人の心に同調する時に生まれる、心のひずみ。

「でも、もう大丈夫だと思います」

 はっきり見せつけられて、ななちゃんは目が覚める思いでした。

 自分には、このピンクのパーカーは似合わない。毎週お金をたくさん使う遊びも出来ない。けむたがられて、ばかにされて、それでもしがみつこうとはもう思えない。

 少しさびしいけれど、どこかすっきりした気持ちで教室へ戻りました。


 ――そういえば、あのトイレの声の子だけじゃなく、校長先生の姿も、鏡に映っていなかったような気がする。

 家に帰ってからななちゃんはふとそう気が付きましたが、勘違いしたのだと思うことにしました。あの時どうして声には出せなかったSOSに気付いてくれたのか、お手洗いにいた『あれ』は何なのか、いくつか疑問は残りましたが、忙しいななちゃんはそんなことにいつまでも構ってはいられません。


 休み明けの月曜日、学校へ行くと一軍の子もそうじゃない子も、みんなななちゃんを見て驚きました。

「どうかな?」

 照れくさそうに笑うななちゃんは長かった髪をバッサリと切りショートにして、グレーのパーカーとカーゴパンツの、男の子のようなスタイルです。

「へえ! なな、かっこいいじゃん」

「ありがと」

 その日はクラスメイトだけでなく、担任の先生や委員会の友人にも驚かれましたが、みんな口々に「似合ってる!」と褒めてくれました。

 ななちゃんは、人の真似だけするのをやめました。いいところは取り入れて、似合わないものは無理にコピーしないと決めたのです。

 一軍の子について回るのもやめました。以前のやり方ではお小遣いも月末まで持ちませんし、自分も相手も楽しくないと分かりましたから。今ではたまに、無理のない程度に遊びに行くくらいです。でも、その方が前よりも彼女たちと仲がいいような気がしています。

 そして、ブランド物の新品を買うより、自分にぴったりな方法も見つけました。

 ななちゃんはフリーマーケットで手に入れた品に手を加えて、似合うようにアレンジするのが得意だと気付きました。丈を切ったり、ボタンを付けたり、ななちゃんの工夫は家庭科の先生に褒められるほどです。

 いつも着ているグレーのパーカーにも、あのスパンコールを星の形に並べて縫い付けました。もちろん、おなじものが名札の裏にもこっそりと入っています。


 そんな風にしているうちに、きらいになってしまった自分の名前も、『やっぱり好き。お父さんとお母さんが、私のために一生懸命考えてくれたんだもん』と思い直しました。英語の時間に「名無しだ!」とからかわれても「それ、面白くないよ」と言い返せば、もう誰も口にしなくなりました。


 ――わたしは、志田 南那。切れ長の目が印象的な、ボーイッシュな女の子。趣味は、お洋服のリメイク。

 今は胸を張って、自分が何者なのかを言えます。


 ――トイレのあの子も、何か見つけられるといいな。

 ななちゃんはそう思いながら、お裁縫箱のふたを閉めました。


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― 新着の感想 ―
[一言] 南那ちゃんは、少し背伸びしていたのをトイレのあの子と校長先生に気付かされて、自分自身を取り戻したのですね。 一軍の子たちの言葉には傷つけられたでしょうが、それをきっかけに自分の得意な事も見付…
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