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会いにいける保健室

 ゆみちゃんは、この小学校に通う一年生の女の子です。毎日、お母さんがえらんでくれたピンクのランドセルをしょって登校します。

 ゆみちゃんはいつもにこにこしているのがトレードマークです。けれど、三ヶ月ほど前から、笑顔が消えてしまいました。

 ゆみちゃんは、大好きなお母さんを病でなくしてしまったのです。


「……ただいま」

 がちゃりと玄関のかぎを開け、うす暗いろうかを通り、ゆみちゃんはリビングに向かいます。そして、まだ新しいお仏壇の前にちょこんとすわります。

「ただいま」

 おかえり、ゆみ!

 学校はどうだった? 給食、今日はなんだった? いいなあ、お母さんもそれ食べたい!

 今にもそう話しだしそうな写真の、笑顔のお母さんをじっと見つめるのが、ゆみちゃんのいちばん好きなじかんです。


 お母さんがなくなってしばらくのあいだ、ゆみちゃんはいつも泣いていました。見かねたお父さんが、「そんなに泣いているとお母さんが天国にいけなくなってしまう」と言うと、なみだは止まりました。

 そして、笑顔も消えてしまいました。でも、ただでさえ仕事でいそがしい上に家事をぜんぶするようになったお父さんは、そのことに気づくよゆうがありません。お父さん自身もまだ悲しみのなかにいるので、そのせいもあるのでしょう。

 ゆみちゃんの異変に気づいたのは、担任の先生でした。そして、担任の先生から養護の先生につたえられた数日後のお昼やすみ、ゆみちゃんは保健室によばれました。

「こんにちは! 急に呼んでごめんねー」

「いいえ」

 やはり表情はなく声もちいさかったのですが、それでもしっかりしたおへんじでした。

「あの、担任の先生からは『掃除のじかんに保健室に行ってらっしゃい』としか聞いていないのですが……」

 ゆみちゃんがそうきりだすと、うんうんと鳥居(とりい)先生がうなずきます。

「そうなの、すっごくひみつのことだから、他の人の前では言えなかったんだよね」

 私があなたを呼び出したのはね、と先生はゆみちゃんに近づいて耳うちしました。

「あなたが、いっちばん会いたい人に会うためのおてつだいをさせてくださいってことなんだ」

「いちばん、会いたい人……?」

「うん。実はね、ここはただの保健室じゃないの。会いたい人に会える保健室、なんだ。その人がどんなにとおくにいても、たとえ世界のはてにいても、空の上にいても、ここでなら会えるの。……しんじてくれる?」

 にわかにはしんじられない話です。けれど、ゆみちゃんにはたしかに会いたい人――お母さんがいますし、先生はまじめな顔をしています。なので、こくりと小さくうなずきました。

「ただし、会える回数は決まってるの。週に一度、最大で一〇回。それ以上はぜったいにむり。会うことで、逆にとてもつらい思いをするかもしれない。それでも、会いたいならどうにかしてくるわ」

「おねがいします!」

 ゆみちゃんは、無表情だったのがうそのように目をきらきらとかがやかせています。

「お母さんに、会わせてください!」

 力強くそううったえると、先生はじいっとゆみちゃんを見つめて、そして「分かった」とうけおいました。

「じゃあ、今度は一週間後、来週の水曜日のお昼休みにいらっしゃい。早く会いたいからって、急いで給食をのどにつまらせないようにするのよ」

「はい!」

 一週間待てば、お母さんに会える!

 ゆみちゃんの心は、春色に塗り替えられたように明るくなりました。こんなにもまちどおしいことがあるのは久しぶりです。


 保健室に行ってひみつのお話をしてから、ゆみちゃんは以前のような笑顔をとりもどしてお友達ともよく遊ぶようになりましたし、家のおてつだいも火と包丁を使う以外のことはなるべくして、お父さんの笑顔もすこしだけとりもどしました。

 それにしても、一週間ってなんて長いのでしょう!

 待ちきれないゆみちゃんは、用もないのに保健室の前を歩くようになりました。けれど保健室の前には『先生はふざいです』の札がかかっているばかり。この日も空振りでがっかりしていると、扉がすっと開き、中から用務員の丸地さんがあらわれました。

 丸地さんはやさしい目を細めて「どうしたんだい? けがをした? それとも具合が悪いのかい?」とゆみちゃんに問いかけます。

「いいえ、だいじょうぶです」

「そう、でもなにかあったらすぐにここに来るんだよ。鳥居先生はいらっしゃらないけど、その間は私が臨時の保健の先生でお部屋にいるからね」

「はい、ありがとうございます」

 ぺこりとおじぎをして、ゆみちゃんは教室に帰りました。


 そして、やくそくの水曜日がやってきました。

「失礼します」

「おー、来たね」

 一週間ぶりにみた鳥居先生は、なぜか疲れた様子で、白衣の下のいつもおしゃれな服もなんだかよれよれです。けれど、ゆみちゃんはそれよりも、気になることがありました。

「先生、ほんとうに、お母さんに会えるんですか」

「もちろんですとも」

「どうやってですか」

「今からしましょう。ここに座って」

 先生がいつも使っている椅子のすぐ横に、ちいさな丸椅子が置いてあります。ゆみちゃんは言われたとおりにそこへ腰かけました。反対に先生は椅子から立ち上がり、つくえの上におおきなろうそくとちいさなタイマーを置きました。

「今からこのろうそくに火をつけるね。たくさんけむりが出るけど害はないから心配しないで。けむりであたりが真っ白になったらお母さんの姿が見れるようになるよ。でも絶対にさわらないこと。生きている人間がふれると、その人の体はくだけてしまうから」

「はい」

 会えるのにさわれないなんて、ほんとうに残念なことです。『とてもつらい思いをする』ってこのことかな、とゆみちゃんは思いました。

「会えるのは、一回で一五分まで。じかんになったらタイマーが鳴るから、ろうそくを吹き消すんだよ」

「はい」

 いよいよ、ろうそくに火がともりました。


 先生が言っていたとおり、もくもくとけむりがわいてきます。害はないと聞いていても不安なゆみちゃんは、口元をハンカチでおさえ、目をぎゅっとつむりました。

 そうして、どれくらいたったでしょう。 

「ゆみ」

 聞き覚えのあるその声にはっと顔を上げて目を開くと。

「お母さん!」

 ぽっかりとあいていたはずの先生の椅子に、お母さんが腰かけて笑っていました。

 ゆみちゃんは、すぐそこにあったその手を思わずつかもうとしてしまいましたが、先生とのやくそくを思い出してぎゅっとこぶしを握りました。そうしてから、じいっとお母さんを見つめました。

 ながい髪、いつもつけていたかんきつ系の香水、笑うとほそいお月様みたいになる目。たしかに、今ここにいるのは自分のお母さんです。

 ゆうれいなのかな、それにしたって自分の知っているお母さんとなにひとつ変わりはないし、ゆうれいでもいいや。ゆみちゃんは、そう思いました。

 お母さんに話したいことが、たくさんたくさんあります。なのに、むねがいっぱいになってしまって、うまく言葉にできません。ゆみちゃんがだまりこんでいると、お母さんは「髪、伸びたね。それに背も伸びた」と目を細めました。いとおしげにゆみちゃんの頭に手を伸ばして、ふれないぎりぎりのところで「よしよし」となでるふりをします。

 それからお母さんは、「今日の給食はなんだった?」「こくごは今なにを習っているの?」と以前とおんなじに聞いてきました。

「スラッピージョーっていうのが出たよ」と答えれば「人の名前みたいだねえ」と感心しましたし、習った漢字をゆびでつくえに書いて見せれば「じょうず!」とほめてくれました。


 ただおしゃべりをしているだけで、楽しくてあっという間にじかんが過ぎてしまいました。ひさしぶりに会ったばかりなのに、つくえに置いたタイマーが「ピピピピ」とようしゃなく終わりをつげます。それを聞いたお母さんは「いけない、もうじかんだ。じゃ、また来週ね!」と立ち上がって手をふりました。ゆみちゃんもつられて笑顔で手をふりかえすことができました。

 先生とのやくそくどおりろうそくの火を吹き消すと、火をつけた時のように白いけむりが立ち込めて、そしてそれがきれいに消えると、お母さんのすがたはもうどこにも見当たりませんでした。


 それから、毎週水曜日はお母さんに会える、一週間でいちばんたのしみでスペシャルなじかんになりました。けしてさわれはしないけれど、おりがみをしたり、しりとりをしたり、時にはお絵かきバトルだってします。

 たのしくて、たのしくて……。だから、さいしょに先生に言われたことを、ゆみちゃんはすっかりとわすれていました。


 あしたは、お母さんに会う七回目の日です。

 なにをしようかな。お母さん、たしかだいすきな『   』があったからそれをいっしょに、


 そうかんがえてゆみちゃんははっとしました。


 お母さんの好きだったものがなんなのか、おもいだせなかったのです。

 なんだか、むねのなかがもやもやと、いやなかんじがしています。だって、ゆみちゃんはお母さんのことならなんだっておぼえているはずなのです。おもいだせないなんて、ありえません。

 お仏壇のところへ小走りしていって、かざってある写真を見ました。

 そこには、髪のながい、かわいいかんじの女の人がうつっています。

 それは、もちろんお母さんです。ゆみちゃんだってとうぜん分かっています。なのに、どうしてもあたまのなかがぼんやりとしていて、写真にうつるすがたとお母さんとがむすびつきません。

 じぶんのなかで、ものすごいいきおいでお母さんとのおもいでがうすれている。ゆみちゃんは、おそろしい事実をかかえたまま、朝をむかえました。


「おはよう。どうしたの?」

 朝、『あたまがいたい』と担任の先生に言って(ゆみちゃんはよくねむれなかったせいで、ほんとうに頭痛がしていました)保健室に行くと、いつものように鳥居先生が笑ってむかえてくれました。けれど、ゆみちゃんが、「わたし、お母さんのことをどんどんわすれてしまうみたいなんです!」とうったえると、笑顔をひっこめてまじめな顔つきになりました。

「そう……そうよね」

 先生はつぶやくと、ふかくため息をつきました。そして、ゆみちゃんに語りかけました。

「ゆみちゃんは、おかいものをする時におかねをはらうよね。ただで持って行ったりしないよね」

「はい」

「それとおんなじにね、ここで会いたい人に会うために、ひきかえにするものがあるの。ゆみちゃんは、お母さんとのきおく。お母さんは、」

「お母さんは?」

「つぎに生まれ変わるための命のちからを」

「!」

「会うのは一〇回が限度だと言ったでしょう? それをこえると、ゆみちゃんはお母さんとのきおくがすっかりなくなってしまうの。今はまだ、だいじょうぶ。一時的に記憶がうすれているだけで、少しすればちゃんととりもどせるから」

「じゃあ、お母さんも少しすれば命のちからをとりもどせるんですか?」

 ゆみちゃんの問いに、先生は泣きそうな笑顔をこしらえました。

「お母さんがここへいらっしゃるのは、とてもとてもたいへんなの。片道三日かけて砂漠をこえて、どうもうな獣のいる山もこえて、いのちがけでやってくるの。ゆみちゃんとたった一五分会うためにね。そしてまた三日かけてもどっていく。そんなことをつづけていたら、生きている人だってちからがなくなってしまうわ。なくなった方は、生きている人間とはちがうから、うしなったちからをとりもどすことはむずかしいの。でも、私がお母さんに会いに行ってはなしを持ちかけたら、お母さんは『行きます』って即答した。もしつづけて一〇回以上会えばゆみちゃんにわすれられてしまうことも、お母さんが生まれ変われなくなることもつたえたけど、笑って『だってわたしはあの子の母親ですから』って、そうおっしゃったわ」


 先生のはなしを、ゆみちゃんはなんどもあたまのなかでくりかえして、そしてこたえを出しました。

 おかあさんと会える回数は、今日をふくめるとあと四回あります。けれど、今日でおしまいにしようと決めました。いっときとはいえ、これいじょうお母さんをわすれたくありませんし、これいじょうお母さんのちからをなくすことはぜったいにいやだったのです。


 そして、さいごのじかんがやってきました。


 鳥居先生とはなしをしたあと教室にもどったゆみちゃんは、給食をすませるといそいで保健室に行きました。すると、いつも笑顔で出むかえてくれた先生が、今日はかなしそうな顔をしています。

「先生?」

 ゆみちゃんがたずねると、「……ごめんね」と鳥居先生はうなだれました。

「ゆみちゃんに少しでもげんきになってほしくてしたことだけど、けっきょくつらい思いばかりをさせてしまったわね」

「いいえ!」

 ゆみちゃんはじぶんでもびっくりするくらい、おおきな声でそう言いました。

「会えなくなるのはつらいけど、でも、会っておしゃべりできて、よかったです」

 ゆめのようなじかんでした。ほんとうならありえない、まぼろしのたからもののような。

 ゆみちゃんは、これからの一五分間を、じぶんのできるかぎりだいじにしようと思いました。

 ありったけのちからで、お母さんとのじかんをおぼえておこう。


 お母さんはとても三日かけてやってきたとは思えない笑顔で、今日もげんきにおしゃべりをします。ゆみちゃんもまけじと笑顔をかえします。

 早回しのように、今日もあっという間に時がすぎて、もうじきにおわかれのじかんがきてしまいます。

 ゆみちゃんにはどうしてもしたいことがありましたが、さいしょにそれはしてはいけないと止められていたのでできません。

 がまん、がまん。呪文のようにくりかえして、両手をぎゅっとつよくむすんでいました。すると。

「ゆみ、おいで! ハグしよう!」

 お母さんが、手をひろげました。それは、ゆみちゃんがのぞんでいたことでしたが。

「だめだよ、しらないの? 体がくだけちゃうんだよ」

「いいよ」

 お母さんは、にっこりとお月様の目で笑います。

「子どもをだきしめるのは、親のしあわせなしごとの一つだもん。ほら、おいで」

 さあ、とうながされて、ゆみちゃんはとうとうそのむねにとびこみました。

 お母さんのかんきつ系の香水のにおいを深くすいこみました。

 そして、お母さんがくだけてしまう前に「お母さん、だいすき!」とつたえました。

「わたしも!」

 お母さんがそう言って笑った時、お母さんの体はほろほろと花びらにかわり、そしてどこからか吹いた風に乗って飛んでいきました。

 たった一枚つくえに残ったその白い花びらを手にとると、かんきつ系の匂いがしました。

「神様も粋なことをなさるわ」

 ろうそくの火を吹き消した先生は目元を指でぬぐうと、ゆみちゃんにこう教えました。

「お母さんは、くだけてなくならなかった。だから、じかんはかかるかもしれないけれどきっと生まれ変わるわよ」

 それをきいて、ゆみちゃんはじんわりとうれしくなりました。



 残されたひとひらは、ゆみちゃんのたいせつなたからものになりました。

 おし花にして、香りがうすれてもいつまでも持っていました。なぜだか、それがお母さんの分身に思えました。

 こまったことや分からないことがある時は、その押し花を手に、むねのなかにいるお母さんにそうだんしました。お母さんは、『うーん、こまったねえ!』とか『それはゆかい!』など、あまり参考にならないこたえをよくくれますが、それでもゆみちゃんはお母さんへの問いかけをずっとながく、おとなになるまでつづけました。

 ――肉体がほろびても。声がきけなくても。

 ここに。たしかに、お母さんはいます。

 やさしい色のひとひらとともに。


 いつかお母さんは、私のこどもに生まれてきてくれるかしら。それとも、孫かしら。

 私も生まれ変わって、今度はおともだちになるのもいいな。


 ゆみちゃんはそんなふうに、いつか来るみらいをたのしみにしています。

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