表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

陣田先生のひみつ

 陣田(じんた)先生は整った顔立ちと穏やかな性格で、今年度着任するやいなや女子からの絶大な人気を獲得した教師です。

 ぬけるように白い肌、明るい茶色のくせ毛、男性にしては少しなで肩。そう、まるで物語の世界から抜け出たかのような存在です。

 本当は、物語の世界ではなく、理科室から抜け出たのですが、それは生徒たちには内緒です。

 実は、学校に昔からある人体模型が、長い年月をかけて意識を持ったのが、陣田先生なのでした。


 先生になる前の人体模型は、子供たちの興味を大いに引く存在でしたが、興味を引きすぎて掃除の時にパーツをバラバラにされたり、逆に怖がって泣く子がいたり、授業に関係のないところでトラブルを引き寄せる存在でもありました。ですので、使われる時以外はかぎのかかる準備室にいるのが常でした。

 その人体模型は、壁越しに聞こえてくる実験の様子や、先生のすすめる授業の内容に、いつも耳をすませていました。そして、自分もちゃんと勉強をしてみたいなあと思ったのです。

 そんなねがいがそうそうかなうはずもないことも、かしこい人体模型にはよーく分かっていました。それでも、夢を見るのは自由だと、けして動かない体でありながらも、想像の中でろうかを友達と歩いてみたり、給食を食べてみたり、勉強をしている自分を想像して過ごしていました。


 その日も、いつもと同じように壁越しに聞こえてくる実験の内容に、一生けんめい耳をかたむけていました。先生の説明する内容はもうすっかり覚えていましたが、それでも子供たちの反応を聞いているだけで、自分も実験に参加したような楽しい気分になるのです。


 授業が終わると、今度は理科室当番の高学年の子が掃除にやってきます。一週間で当番は変わりますが、今週の子たちはちょっぴりいたずらが過ぎるので、人体模型は心配です。そして、その予感は的中してしまったのでした。


 掃除の時間が始まりました。人体模型が耳をそばだてて理科室の様子をうかがうと、どうやら掃除当番の一人がアルコールランプに火を付けて遊んでいるようでした。マッチは先生が厳重に管理しているので、おそらく家からライターか何かを持ち出してきたのでしょう。

 最初こそ、「おおー」とみんなが注目していた風ですが、そのうち火をながめるのにあきた子たちが、追いかけっこをバタバタと始めました。すると、実験テーブルの周りを走っていた時に触ってしまったのでしょうか、何かかたいものが落ちた音がして、騒いでいた子らが急に声を潜めました。そして、「やばい」「にげよう」と口にすると、大慌てで理科室を出ていきました。

 人体模型には、嗅覚はありません。ですが、よくないことが起きているのは分かります。きっと、子供たちは火がついたままのアルコールランプを落としてしまったのでしょう。あの子らがすぐに先生に報告をすればよいのですが、今のところ誰かがくる様子はないようです。このままでは理科室が燃えてしまうと焦っても、自分にはどうしようもありません。

 先生はここでの掃除をいつも見ている訳ではありませんから、ちょっとしたケンカや悪ふざけはよくおきます。でもまさか、こんなことになるだなんて。

 人体模型は、けして動くことのない自分の体がもどかしくて、舌打ちしたい気分(出来るかどうかは別として)でした。

 かける足があれば、異変をいち早く伝えられるのに。声を発せられたなら、「火事だ! だれか!」と呼ぶことができるのに。

 何も出来ないまま、どうにかなってしまいそうなほどにもどかしい思いをしていると、校長先生がからりと準備室の扉を開けて中に入ってきました。そして、こちらをひたと見つめて、「知らせてくれてありがとう」と頭を下げ、そして理科室へと入っていきます。

 あまりにも当たり前にそうしたので、最初のうち人体模型は自分の他に誰かがいるのかと思ってしまいました。でもそのうち、もしかして自分のせっぱつまった気持ちが校長先生に届いたのかもしれないと推測しました。

 ――燃え広がってはいないのだろうか。

 人体模型が心配していると、「大丈夫ですよ、もう鎮火しました」と、使用したらしい消火器を手に、校長先生が戻ってきました。

 ――掃除当番の中に、マッチかライターを持っている子がいます。

「分かりました」

 人体模型は、心底驚きました。どうやら、この先生は自分の言葉が聞こえるようなのです。そう考えたことも筒抜けらしく、「ええ、聞こえていますよ」と人体模型に向かって笑いかけました。

「私は少々人とは違うところがあるので、君の願いも、君が火を何とかしたいと思っていたことも、ぜんぶ聞こえていました。おかげで、今日は助かりましたよ」

 そうばくろされて、人体模型は顔が赤くなる思いでした。では、「歌を歌ってみたいな」「給食を食べてみたいな」というささやかなねがいごとも、ぜんぶぜんぶ聞かれていたということです。

 ――あの、僕のかないっこない願望については、全部聞かなかったことにして下さい!

「おや、なぜですか?」

「だって、動けないのにそんな夢を見るだなんて――え?」

 目をみはる、とはこんなに目が渇くものなのかと思いつつ、人体模型は目をぱちぱちしました。

「――え?」

 ぐるり。首が、目が、動きます。恐る恐る手を広げて、閉じて。

「う、ごいてる」

 それに、さっきから声も出ています。

 なんで、どうして。

 そうとまどうきもちよりも願望をかなえるのが先と、人体模型は今度は足をふみ出しました。ちゃんと歩けることを確認すると、今度はもっと一歩を大きくしました。それでも転んだりせず、スピードを上げてぐるぐると狭い準備室の中を歩けば、顔やうでや髪に、風を感じます。

「すごいぞ!」

 人体模型がそのまま準備室の扉を開いて廊下へ出ようとすると、校長先生が「さすがに、その姿のままここから出すわけにはいきませんね」と苦笑して、その時ようやく人体模型は自分が裸であることに気づいたのでした。


 そのあと、校長先生がどこからか調達してきた服と下着を一式身に付けて、「何かを身にまとう」という新たな体験を感動とともにすませると、人体模型は校長先生と二人で校長室へと歩きました。

 はじめて歩く廊下は想像と違って薄暗く、スリッパの立てる音は間抜けです。でも、何もかもが嬉しくて楽しい人体模型は、自分でも気づかずににこにこしていました。


 はじめてソファに座り、はじめてお茶を飲み、はじめておせんべいを食べました。

 ひとしきりはじめてを堪能して、それから気になっていたことを校長先生に質問しました。

「あの、どうして僕は今動けているのですか」

「私が、あなたの強い思いをほんのちょっと後押ししたからですよ」

 よく分からなくてさらに質問しようとすると、「まあ、まほうを使ったとでも思ってもらえれば」と云われて、ますます混乱しました。だって、普通の人間はまほうなんて使えないはずです。でも、世間知らずの人体模型がそう思っているだけで本当は使えるのかもしれないと思い、だまっていました。

「時間がたったら、また動けなくなるのですか」

「もし、あなたがそれを望むならそうしましょう。でも、もしよければ、このまま人間でいてはいかがでしょう」

 その願ってもない申し出には、迷うことなく頷きました。すると、校長先生からさらに提案されます。

「きちんと勉強をした上で、あなたこの学校の先生になりませんか?」

「――え?」

 今度は、口をぽかんとしてしまいました。人間がおどろくと口を開くって、本当なんだと感心します。

「あなたのその学びたい意欲は、きっと子供たちにいい影響を与えますよ」

 とてもかしこい人体模型は、今度の提案には飛びつきませんでした。

「――いいんですか?」

「何がですか」

「こんな、得体のしれない僕をそこまで信用するだなんて」

「得体のしれなさなら、私だって負けませんよ」

「それに、学力だって低いかもしれないんですよ」

「なあに、先生なら山ほどいますから、きちんと身に付くまでおしえてさしあげますよ」

「――なぜそこまでしてくださるんですか」

 だって、人体模型は何一つ持ってはいないのです。

「私は、がんばる人が好きなんですよ」

 そんな、理由にもならないような理由をもらって、それでも断る理由などない人体模型は、その提案をよろこんで受け入れました。


 その日から、人体模型は陣田と名乗り、校長先生の家に身を寄せると、こつこつと勉強に励みました。基礎学力を身に付けると、先生になるために大学にも通いました。

 その頃になると、普通の人間にはやはりまほうなど使えないと知りましたし、自分の戸籍などどうなっているのだろうと不安になることもありましたが、校長先生はそのたびに笑って、「どうとでもなるものですよ、『まほう』でね」といって、指先を杖のようにふりました。


 そして、かつて人体模型だった彼は、念願かなって、今学期より教師として学校で働いています。

 給食は、想像したよりおいしく、子供たちは想像したより手のかかる存在です。いたずらする子も多く、自分の後輩の人体模型がかつての自分のようにパーツをばらばらにされたことだってあります。でも陣田先生は厳しくはしからずに、「人体模型にいたずらすると、夜に家まで飛んできてのろいをかけられるってうわさだよ」と、勝手に七不思議にしたその作り話を、子供たちにそっと耳打ちするのです。

 すると、いたずらはぴたりとやみました。陣田先生はほっとしましたが、少し残念にも思います。それでもやまないようなら、校長先生にたのんで本当に人体模型をその子の家まで飛ばそうと思っていたのです(さすがに、のろいはかけようとは思いません)。あの、まほうつかいのような人なら、たいていのふしぎはかなえられてしまうと、身をもって体験していますからね。


 あなたの学校には、理科室に人体模型はありますか? もしかしたら、昔からあるそれには意識が宿っていて、あなたたちのお話を聞いていたり、先生として働いているかもしれませんよ。


 そんなふしぎが、まだまだ学校にはたくさんあります。みなさんも、ぜひ探してみてくださいね。

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ