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守ってあげる

 さゆりは、怖がりな女の子です。小さい人たちはみな怖がりだと思いますが、そのなかでもとびきりの怖がりでした。

 図工の時間、みんなと同じスピードで絵を書けないのが怖い。階段を上るときにふと上を見ると誰かが立っていそうで怖い。そんな具合で、毎日家でも学校でも怖がってばかりです。

 そういう怖がる心って、怖がらせるモノたちの大好物なんですよ。ですから、さゆりは人よりうんと怖がりなのに、人よりうんと怖い目にあうことが多い子でした。


 授業中、ふと外を見ると手の形をした枝が、風もないのにゆらゆらとさゆりに向けて『オイデオイデ』と揺れています。

 テスト中、用紙にえんぴつで書きこみをする音と消しゴムでまちがえたところを直す音、先生の見回る足音しかしないはずなのに、耳元でくつくつと笑う男の人の声が聞こえてきます。

 そんなことが、もうずっと続いていました。


 その日も、さゆりは『本当なら見えないもの』から、いたずらをされていました。えんぴつを何度も落とされたり、拾おうとすれば、もっと遠くへ転がされたり。

 もう少しがまんすれば、休み時間だから。あと一〇分だけ。さゆりはそう必死に自分をはげましていましたが、何度目かのいたずらのあと、落とされたノートを拾おうと机の下をのぞきこんで、体育座りでさゆりの足元にうずくまっていたものと目が合った瞬間、とうとうがまん出来なくなって授業中の教室から飛び出してしまいました。先生がさゆりを止める声が聞こえましたが、もう無理でした。


 さゆりは避難訓練でもないのに上履きのまま校庭を突っ切って、フェンス近くに植わっているケヤキの木のところまで来てしまいました。運動はあまり得意でないくせに、三階の教室から足を一度も止めずにかけて来たので、はあはあと息が切れています。

 ようやくそれが収まると、さゆりの目にはじわりと涙が浮かびました。

 どうしてわたしは普通に授業が受けられないの。どうしてこんなに怖がりなの。どうして。考えても仕方のないことが、涙と一緒にあとからあとからわき出てきます。そんなさゆりの耳に、「おまえ、泣き虫なちびだなあ」という男の子の声が飛び込んできました。

 ――それは、雨が降りやまない土地のように暗くしめったさゆりの心の中をさっとふきぬける、さわやかな風に思えました。

 さゆりは、自分以外にも授業をさぼる子がいるなんてと、少しどきどきしながら涙でぼやけて見える校庭にそのすがたを探しましたが、誰もいません。またへんなものにからかわれたのかと落ち込んでいると、「ここだよ、ここ!」と、高いケヤキの枝に腰かけ、はだしの足をぶらぶらさせているその男の子と目があいました。

 さゆりはびっくりして、思わずその子をまじまじと見つめてしまいました。さゆりをちびだという、その男の子の方が、よっぽどちびです。なのにそのちびすけときたら、「ちび、おまえはおれがまもってやる!」と力強く宣言したのです。

「ムリだよ」とさゆりは蚊が泣くよりも小さい声でいいました。

「なんでだ?」

「きみの方が小っちゃいじゃない……」

 その子は名札も付けていませんでしたが、見るからに低学年の子です。

 さゆりは心の中の勇気をありったけかき集めておねえさんらしくほほえむと、その子にいいました。

「わたしなら大丈夫だから、きみも教室にもどろうね」

「だれが教室なんか!」

 そういい捨てると、その子はからからと笑います。

「あんなせまっくるしいところでおとなしくなんかしていられねえ! おれは行かないからな!」

 男の子は高らかに宣言してひらりと身を翻し、高い枝から飛びおりると、遊具のある方へぴゅーっとかけ出してしまいました。

「あ、ねえ、きみ!」

「きみじゃない! おれ、けやき!」

「けやきくん、駄目だよ、戻りなよ!」

「くんはいらねえ!」

「けやき、ちょっと!」

 さゆりがいくら声を掛けてもけやきときたらどこ吹く風で、ブランコに乗ったり鉄棒で遊んだり。それを見ているうちに、なんだかさゆりは注意するのがバカらしくなってきました。四年生なのでさすがに一緒にはしゃいだりはしませんが、もう注意せずに体育座りをして、気ままに遊ぶけやきをただ眺めます。そうしているうちに、ずっしりと重たかったた心がスーッと軽くなっていくのがわかりました。


 そして数分後、授業の終わりをつげるチャイムが鳴りひびきました。教室に戻らなくちゃとさゆりがもう一度けやきに声を掛けようとすると、もうそこにけやきの姿はありません。足の速い子だなあと思いながら、さゆりは教室へと戻ります。

 クラスでは、普段おとなしいさゆりの突然の行動に、クラスメイトも担任の先生もひどく驚いていました。さゆりは「すみませんでした」と謝って、急に具合が悪くなったとうそをつきました。

 その日、それからの授業では不思議と怖いものからの嫌がらせはありませんでした。自由なけやきのことを何度も思い出していたせいで、いつものように『怖い目にあったらどうしよう』と、怖い目に合う前からびくびくしているひまがなかったからかな、とさゆりは思いました。


 それからも、怖いものを見てしまったり、おどかされたりすることは時々ありました。でも二〇分休みやお昼休みにケヤキの木へ行って、いつだって必ずそこにいるけやきとおしゃべりをしてたくさん笑うと、自然と怖がる気持ちは小さくなるし、それにつれて怖いなにかが起きることも少なくなってきたのです。

 そして、二人でいる時にうっかり怖いものを見てしまっても、ケヤキが「うせろ!」と一言放てば、どんな力がはたらいているのか、それはいなくなってしまうのでした。


「けやきってふしぎ」

「なんでだよ」

「なんで守ってくれる、なんていうの」

「大きい奴が小さいのを守るのは、当たり前だ」

「けやきは私より小さいのに」

「それはな、よをしのぶ仮の姿ってやつよ」

 本当は俺、おまえよりうんとなん十さいも年上なんだからな、なんて見えすいたウソをつくところは、ちいさくてもやっぱり男子だなあと、さゆりは大いにあきれました。


 こんなふうに、けやきに守られながらのさゆりの学校生活がしばらく続き、――突然にたち切られました。


 その日、朝は雲一つないお天気でしたが、二時間目になるとだんだんに低い雲がたれこめてきました。どろろろっ、という低い太鼓のような音のあと、びしゃっ! とどこかへ雷が落ちた音もしています。

 そのせいでしょうか、今日のさゆりは、なんだか心がもやもやするし、妙に不安になっています。近頃ではめったに見られなくなった、さゆりを怖がらせるものの気配をひしひしと感じるのです。二〇分休みになる頃にはぽつぽつと雨が降り始めましたが、さゆりはどうしてもけやきに会いたい、というよりも会わなくちゃいけないようなあせった気持ちになって、雨粒の水玉模様がどんどん広がっていく校庭を突っ切りいつものケヤキの木へとむかいました。

「よう、ちび」

「けやき! 雨の日くらい中にいなってば!」

 こんなお天気でも変わらず元気なけやきを見て(この時は枝にぶら下がって『ぶたの丸焼きごっこ』をしていました)、さゆりはほっとします。でも。

「何か今日、いやな感じ」

「ちびもか――気を付けろよ」

「うん」

 そう話している間にもどんどんと雨脚は強くなり、とうとう雷はまぶしいほどになんども光り、音をとどろかせながら学校のまわりにも落ちはじめました。


「ちび、おまえはもう中に入った方がいい」

 どしゃぶりの中、ケヤキの下から出て昇降口まで走るのはちょっとためらいますが、たしかにこのまま木の下にいるのは安全ではありません。

「なら、けやきも」と手をのばすと「おれは、いけない」としずかに答えます。

「でも」

「いいから、いくんだ」

「――うん……」

 たしかに、けやきはあんなに身軽なのだから、わたしと違って校舎に入らなくても雨や雷をしのげるかもしれない。さゆりはそう判断しました。

「気を付けるんだよ」

「おまえこそ!」

 けやきがべーってしたので、さゆりは笑ってしまいます。でも、足を二、三歩ふみ出したところで、さゆりははげしい雨の中で立ちどまり、泣きそうな顔でけやきをふりかえりました。

「けやき……」

「どうした、ちび」

「足……、つかまれてる……」

 そう云われてさゆりの足元を見れば、靴の爪先も、ほっそりとした足首も、地面から突き出ている骨ばかりの手にからめとられています。

 けやきは木の下を飛び出し、さゆりをつかんでいたものを引きちぎるようにして足からはがし、自由にしました。そしてハッとなにかに気付き空を見上げるとさゆりに向かって「にげろ!」と叫びますが、今怖い体験をしたばかりのさゆりの足は、急には走れません。するとその様子を見たけやきはさゆりの背中を校舎の方へと押しやりました。その力があんまり強かったので、さゆりはよろよろっと何歩か進んだところでべしゃりと前につんのめり、せっかくのお気に入りの服がどろどろになってしまいました。なんとか上体は起こしましたが、怖い思いをしたり、けやきにつきとばされたりしたのが悲しくて、しゃがんだまま涙ぐんでいたら、うしろで聞いたこともないような大きな音がばりばりととどろきました。地面にもさゆりの体にもその音の衝撃が伝わるほどです。あまりの驚きにすぐには動けず、胸のどきどきがおさまってから、さゆりはようやく気付いたのでした。

 ――うしろには、けやきが。

 恐る恐る振り返ったさゆりが目にしたのは、立ち並ぶケヤキの木の一本に雷が落ちて、半分から上が折れて横倒しになった光景でした。

 どうして。

 もっと背の高い木があるのに。

 それは、けやきのお気に入りなのに。

 それだけではなく、むざんな姿になったケヤキの木の前で、けやきが倒れています。

「け、けやき……!」

 ふるえる手足を何とか少しずつ進めてそばに近よると、けやきはぐったりとしたまま微かに顔をさゆりに向けて、笑いました。

「ちび、ぶじで、よかった……」

「しゃべらないで! 今保健の先生呼んでくるから……!」

「いい」

「でも!」

「いい……。なんとか、生きてる。直撃して折れたから、だいぶ力、ないけど」

「……けやき、何をいってるの」

「ほんっと、ちびは、ばかだなあ」

「なに、今それ関係ないでしょう?」

「あるよ……。おれ、ケヤキなんだよ」

「……あたりまえじゃない、けやきはけやきでしょう」

「そうじゃ、ないって。いいかげん、気が付けよ。おれは、その真っ二つになった、ケヤキの木なんだって」

「……え」

「おまえ、以外のやつに、たぶんおれは見えてないぜ」

 確かに、いつも外にいるけやきを注意する先生はいませんでした。

「ど、して」

「いつも怖がってるおまえを守りたくて、ひとのかたち、してた。人より目のいいおまえにだけ、おれが、見えてた」

「そうだったの……」

 それだけいうと、さゆりは口をつぐみました。

 けやきはぐったりしているし、木は、まっぷたつに折れてしまった。そこからさゆりがみちびきだした答えは、けやきが死んでしまうのではないか、というおそろしいものでした。こわばった表情でだまりこんでしまったさゆりに「だいじょうぶ、だって、いっただろ」と、けやきは弱弱しい口調のくせにつよがります。

「ちゃんと生きてるから、心配すんな。……でももうしばらくは、ひとのかたちに、なれない」

「うん、」

「おまえを、まもれなく、なる」

「う、んっ」

「ごめん、な」

「いいよ……、大丈夫だから、人のことばっかり心配しないで……」

 こらえていた涙が、けやきのほほにおちると、けやきは「やっぱりおまえ、なきむし、だな」と笑いました。そして、笑ったまますうっと姿を消してしまいました。

 さゆりが動けずに木のそばでひざをついたまま雨に打たれていると、「さゆりさん、大丈夫!?」と担任の先生がやってきて、ずぶ濡れのさゆりを立たせてくれました。


 あれから、けやきの姿を校庭で見ることはありません。

 真っ二つになってしまったケヤキの木は、折れてささくれていた部分がきれいに切られ、背の高いきり株のようになっています。校長先生のお友達の樹木のお医者さんが「大丈夫、また伸びるよ」と太鼓判を押してくれたので、さゆりはほっとしました。

 たまに二〇分休みに来ては、木の周りを歩くふりをして家から持ってきた樹木用の肥料をこっそりとまきます。放課後やってきて根っこと地面のすきまにチョコレートを何粒か置いたりもします。すると、チョコレートは次の日にはなくなっています。野ねずみや鳥の仕業なのかもしれませんが、さゆりはそれをけやきが食べたのだと思うことにしました。

 あったかい春の日や、心地よい風のふく秋の日のお昼休みは、けやきにそそのかされたように、木にもたれてうたたねすることだってあります。

 ――と、そんな風にしているうちに、さゆりは周囲の人からすっかり『外が大好きな子』と思われるようになりました。


 ある日の二〇分休み、さゆりがまた木にもたれてうたたねをしていたら、校長先生と用務員の丸地さんがおしゃべりをしながらこちらにやって来るのが聞こえました。

 さゆりが半分寝ている状態でいると、二人はケヤキの木の前で立ち止まり、眠っているさゆりに気を使ってか、小声で「あのやんちゃなけやきくんに、早くまた会いたいものですね」「人に気付かれないのをいいことに、授業中遊び回っていましたね。なんどつかまえに行こうと思ったことか」とかわしあって、再び校舎の方へと歩いて行きました。話しながら遠ざかる声を聞いて、さゆりはうっすらと笑います。


 よかったね、けやき。

 わたし以外にも、けやきが見える人、いたよ。


 あれ以来、さゆりはすっかり怖がることをやめました。今でもたまにヘンなものが見えたりもするけど、もうそれで怖がったりはしません。だって、さゆりはもう一生分の怖い思いをしたのです。

 あの時。ケヤキに雷が落ちて、けやきが死んでしまったらどうしようと、それだけが唯一さゆりにとっておそろしいことでした。お話は出来ないけど、ケヤキからぴょこんとかわいい新芽が出ている今、もう怖いものなどありません。

 姿が見えなくても、話が出来なくても、そこにけやきはいるのですから。



 季節がいくつもめぐって、さゆりはすっかりおとなになりました。

 引っ越しをしたり、一人暮らしをしたりで、かよった小学校のある町からは長らく遠ざかっていましたが、旦那さんのお仕事の都合で、再びここに戻ってきたのです。

 あの時のけやきよりもまだ小さい子供二人を連れて遊びに来てみれば、当時と何も変わらない小学校が、さゆりと子供たちを迎えてくれました。


 けやき、ひさしぶり。わたし、お母さんになったよ。

 立ち並ぶケヤキの中で、一本だけ背の低い木の幹に触れてそういうと、木の上の方から懐かしい声が「おー! よく来たなちび!」と聞こえて、わさわさと枝をゆすりました。そうするとおっきな葉っぱがいく枚も落ちて、子供たちがきゃっきゃと嬉しそうに笑います。さゆりに似たのか、子供たちにもどうやらけやきの姿が見えているようです。

「おにいちゃんあんな高いところにいて、すごい」という、上の女の子の言葉にうんうんと下の子も頷き、二人が尊敬のまなざしでけやきをみつめると、「照れるじゃねえかー」とけやきが枝の上で身をよじらせました。その動きに合わせて、また葉が落ちるので、けやきのいる木の下だけ、いち早く赤や黄のじゅうたんをしきつめたようになっています。

「今からそんなに葉を落とすと、冬が来る前にかぜひくよ」とさゆりが声を掛けたら、「平気だよ! まったくちびは心配性だなあ!」っていう、以前よりすこーしだけ低くなった声とともに、さゆりの上にもどさどさっと沢山の葉が落とされました。

 さゆりは服や髪に引っかかる葉をはらいながら、「もう! 相変わらずいたずら好きだね」と苦笑しました。

 当時で樹齢三〇年の木は、それでも木の中では若い方だったのでしょう。今はさらに二〇数年がたっているのですが、どうやらまだまだ落ち着いてはいないようですね。

 むかしと同じにやんちゃな顔した小さな男の子なら今でも喜んでくれるかなと、ポケットの中に忍ばせていた筒状のいれものを取り出し、「チョコレート食べる人、よっといで!」と声を掛けると、さゆりの子供二人とはだしのけやきが、目を輝かせてさゆりの元にかけてきました。

 けやきはさしだされた粒のチョコレートをにこにこ顔で受け取ると「これ、すきなんだよおれ」とむしゃむしゃ食べて、さゆりの子供たちに「なー、今から鬼ごっこしようぜ!」と声を掛けながら一番に走りだしました。

「おにいちゃんずるーい!」「まってー!」と追いかけていく子供たちと、遠くで自分のおしりをぺんぺんしているけやきを、さゆりは笑いながらずっと見ていました。

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