未来を想う人、過去を振り返る人 part4
早々と合流した、ちょっと不気味なくらい機嫌の良いセルジスとお茶をした帰り道、キーブンは師匠の次なる計画を聞かされていた。
「あの人たち単純だから、きっと、いえ、絶対そうするわ。ふふ、楽しみね」
「師匠、本当に人が悪いです。僕、夜は外出禁止ですからね。手伝いませんよ」
「えぇ? 残念ね、他人の間抜け面を見るのは楽しいものよ?」
「師匠……。もしかして人が悪いわけじゃなくて、趣味が悪いのですか? それだけは考えたくなかったのですが、過去の経験と今日の話を合わせたら、そうとしか思えないのですけど」
言いたい放題のセルジスにキーブンは改めて呆れた。まさかこの人は誰かに悪戯して楽しむために封来術を究めているのではなかろうかと、本気で疑うのはこれで何度目だろう。朝の寂しげな表情は何だったのか知らないが、とりあえずあの台詞を言わなくて良かったと自分の判断に安堵し、溜め息を吐くキーブンだった。
「それにしても、師匠の使う封来術って結構音とか肌に感じるものとかが封じてありますよね。目に見えないものをどうやって封じているのですか? 知覚できれば何でも封じられるものじゃないと思いますが」
「理論が分かれば難しくないわよ。まず、術を発動させるでしょ? その後封術式が閉じないように制御して発動させたまま、開きっ放しにするの。そうすると音みたいな目に見えないものも封じられるわよ」
「式が閉じないように? 閉じないように……?」
封来術を行使する際に書き込む知識は封術式と呼ばれる。式を書くにあたって使用する文字、構成する形、更には文字数などは封来術の性質・性能を左右する大切なものだ。特別に手を加えていない限り封来術を使うときに書き込んだ全ての文字は発光し、以後は――
「全然分からないですよ、師匠。式を書き込んで術を発動したら、式は勝手に消えてしまいますよ? 式の構成だけでそれを制御なんて出来るのですか?」
そう、消えるのだ。これを『式が閉じる』と術師は言う。そしてそれは、僅か一秒も無い。油の表面で火の手が上がるように一瞬で燃え、それと同じくらい一瞬で消えてしまう。
この副産物的効果に気を払ったことなど、キーブンはあまり無かった。せいぜいセルジスの悪戯に使うのだから、発光しないように式をいじっておこうという程度だ。封来術の完成を長引かせることにメリットを感じたことは無く、敢えて長引かせるとは思い付きもしなかった。
「式の構成だけだとかなり難しいわよ。でもね、術にあらかじめ術をかけておくの。式が閉じないように術をかけて、目的のものを封じられる段階までいったら最初にかけた術を解くのよ。出来そうでしょう?」
「封来術に封来術を? 師匠ってすごいことを考えますね……。
確かに理論的には成り立つのでしょうけど……難しいですね。一つ目の術が発動しないくらいに要素量を抑えて、その間に二つ目の、術の発動を抑える式を……。
あれ? これって、通常なら一つ目の術を封印してしまいますよね? 封じることで術を止めてしまうわけですし、発現を抑える、遅らせるなんてできないんじゃないですか? ……結局分からないですよ、師匠」
「ふふ、でもその理論で私は封術式を書いているのよ。あとはキーブン、自分で考えなさい。何もかもを説明してしまったら、貴方の好奇心を削いでしまうでしょうしね」
茶目っ気を塗りたくった甘いウインクをされたキーブンは、何を言いたいのかそれだけで雄弁に語られてしまい、渋々黙った。からかい半分、助言も半分なその意味は、楽に教えてしまえば上達しないし、セルジス自身への興味も薄れてしまうから、と。後半部分はさておき、キーブンの師としてそれは順当な言葉だ。
色々考えて沈黙してしまったキーブンだが、自分の口にした言葉に思うところがあったのか、それとも単に可愛らしかったからか、横顔を見つめていたセルジスが不意にその頭を撫でた。驚いてセルジスを見上げるキーブンを、彼女は愛おしいとも悲しいとも思う。
年頃で、頭を撫でるような子供扱いを受けたくない、そういった不服そうな反応ではない。ただ単純に驚く、という反応は、頭を撫でられ慣れていない子供だから。彼女には自分と重なって見えた。
遠い過去の日。父母に、恋人に、触れることで安心した日々。今となってはなんと遥かなことか。
「あの……?」
困惑した表情で足を止めたキーブンの頭を、返事もせずにセルジスは撫で続ける。もう少しでセルジスの雑貨屋に着くというところ。大通りが近いので、喧騒がはっきりと聞こえてくる。
「師匠?」
「ん~?」
「何ですか? 急に」
段々と不機嫌な色に変わり始めたキーブンを、それでもまだセルジスは撫でる。振り払おうかどうかキーブンが悩んでいるのも、セルジスは分かっているのに。
「別に、何となく、ね」
「何となく、で難しい年頃の少年の頭を撫でないでください」
遂に振り払おうとキーブンが腕を上げたので、セルジスはすかさず彼の後ろに回った。
セルジスのしつこい手の平を逃し、キーブンの腕は空を切る。
……はっきりと苛立ったのが十分過ぎるほど手の平から伝わった。
どうするのかとまだまだ撫で続けて見ていると、キーブンは頭に被せていたフードを両手できつく握って脱兎の如く駈け出した。
「待ちなさい、キーブン!」
「嫌ですよ! 小さい子供じゃあるまいし、何なんですか!」
「もうしないわよ!」
「絶対嘘です! 背が低いの気にしてるって前に言ったじゃないですか! なのに、頭撫でるなんて――」
「分かった、分かったから! ごめんって、キーブン!」
「今日はもう帰りますからね!」
「もお、いいじゃない!」
「よくないですよ!」
キーブンとセルジスは服の裾をはためかせ、町中を叫びながら、店まで全速力で走った。二人とも馬鹿な事をしていて、それを分かっていて、不機嫌になっていたはずのキーブンまで、子供のように無邪気に笑っていた。
キーブンは普段運動したり、体を鍛えたりしていない。雑貨屋を通り越して家に着いたときには、犬のように全身で呼吸していた。――いや、語弊があるかもしれない。路上を常日頃散歩する犬よりも体力がないのだから、もっと酷い有様と言えよう。
何とか息を整えようと玄関先に膝をついて苦しんでいると、真上からアーレンの声が降ってきた。
「どうしたのですか?」
外ではざっくりした口調だが、家の中だとさすがにラグルやレックスに聞かれた際にうるさいので、アーレンも丁寧な言葉遣いになる。
「ちょっと……走って……来たので」
「そんなに息が切れるほどですか? まぁ、とにかく、少し待っていなさい」
アーレンは奥へ取って返すと、タオルを持って戻ってきた。キーブンがそれを受け取って汗を拭いていると、やや心配そうな声色でアーレンが訊く。
「どうしたのです? 誰かに追われたとか――」
「いえ、そんなことではないので大丈夫です。御心配かけてすみませんが、師匠とじゃれあって帰ってきただけなので」
じゃれあっていたというのが一番ぴったりだな、と照れ笑いになりながらキーブンがそう答えると、アーレンは唇を吊り上げてにやりと笑った。他人に見られたら、何をしているのかと勘繰られてしまいそうな笑みだ。つい言い返してしまう。
「……たぶん、貴方の、思っている、こととは、違うと、思うのですが」
「そうですか? 他の方と仲良くするのは良いことですよ。これからも仲良くなさってくださいね」
そう言って笑う表情は、アーレンを敬愛し、神聖視する人間なら、邪気のない満面の笑みに見えるかもしれない。キーブンにとっては邪気だらけだが。思わず深呼吸とも、溜め息ともいえない深い吐息が漏れる。
「ええ、そうします」
「仲良く」の内容については、また次に街中で会ったときに話し合う必要があるだろう。
鞄を持っていたところを見ると、アーレンは学院へ出勤しようとしていたらしい。キーブンの目線に気付いてにやにや笑いを引っ込めたアーレンは「遅刻するといけませんので」とそのまま家を出て行き、キーブンはそれを見送って裏庭へ向かった。
顔の汗だけでも流してしまわないと、とても昼食を食べる気になれない。
日が真っ直ぐ上にあるので、いつもは日当たりのよくない裏庭にも今の時間は日差しが入って適当に暖かく、横になれば寝られそうなくらい気持ちがいい。
ローブを脱いで埃を叩き落とした後、丸めて足元から少し離れた場所に置き、やっと顔を拭こうと汲み置きの多少生ぬるい水にタオルに浸した瞬間、それが瓶の中の糸を連想させて、昨日完成させた純白の麻糸のことを思い出した。タオルを絞りながら、バルドは今頃何を作っているだろうかとキーブンは思い描く。
渡したのは麻糸一束、服を作れるほどの量はないから、他の繊維と混ぜて布を作っているかもしれない。
どうせなら布が一枚織れるくらい渡してしまえばよかったかと思わなくもないが、一角獣の尾はたまたま母親から素材を分けてもらったものなので、キーブンのおこづかい程度の稼ぎでは手に入らない。二番茶ではないが、もう一束染めたところで、最初のそれには敵わないだろう。
瓶にはまだほんの数本だが、麻糸が何本か入っている。あれは売ってしまうか、それとも二・三本はセルジスに譲って雑貨にしてもらったほうがいいかと思案しながら、汲み置きの水を零して顔を拭き終わったタオルを軽くゆすぎ、きつく絞り直す。
「お帰りでしたか。お食事の用意は出来ております」
戸口からレックスの静かな声がかかり、キーブンは振り返った。
無表情な、でも時たま折に触れて感情を強く宿す瞳がキーブンへ向けられている。今その瞳は穏やかにキーブンを見ている。
いつものレックスだった。もしあのカフェに、バルドと一緒にいたのだとしても、セルジスと話した後で帰ってきたキーブンよりも、余裕を持って帰りついただろう。そもそも、キーブンの関与しないところで誰と会って何をしていても、レックスにそれを聞くのはおかしなことだ。親友だし、助手ではあるけれど、逆を言えばそれだけなのだから。
昨日のレックスの、相手を責めるような瞳を思い出す。相手の心配を理解してはいても、あの瞳を向けられるのは辛いものだ。キーブンは、そんな目をレックス相手に向けたくはなかった。だから、カフェで見聞きしたことを問い質す言葉を呑みこんで笑った。
……レックス本人だったかも、分からないし。
家族だとしても、友人だとしても、踏み込んではいけないことだってあるはずだ。
「ありがとう。部屋に一度戻ってからすぐに行きます」
「分かりました。冷めてしまいますから、お早めにお戻りください」
最近のレックスは、ラグルさんにだんだん似てきたな。そんなことを思うとおかしくなってしまって、口元を見られないように俯いて丸めたローブを拾い上げると綺麗にたたみ、キーブンはレックスの脇をすり抜けて家に入った。
朝早くから出かけたうえに全速力で帰って来たので、もう腹の虫が鳴りそうなくらい空いていた。そして、リビングからはラグルとレックスが用意した昼食のいい香りが流れてくる。
こんなときに物思いをすると誰だってろくな結果にならないのはキーブンも知っていたので、さっさと昼食にしようと、筋肉痛らしき痛みを訴え始めた体に鞭打って階段を駆け上がった。
二階にあがってすぐ、食事の香りとは違う、何か甘い香りが鼻をかすめたが、嫌な匂いではなかったのでそのまま気にせず自室に入った。
香水とも、食べ物とも違う香り……なんだろうか? そういえば、さっきレックスのそばを通った時も同じ匂いがした気がする。もしかして、タバコ? そう考えると、レックスの部屋の方から香ってきていたようにも思える。
「あ、ゼアニス」
思考の途中で、弟のことを思い出す。上がってきたときにゼアニスとルミアの部屋――といっても、ルミアが家に戻ることはほとんどないので、実質ゼアニスの部屋――から音がしていたから、きっとまだ昼食は摂っていないだろう。
さっと全身の汗を拭ってから、ゼアニスの部屋の扉をノックすると、案の定可愛らしい返事が返ってきた。
「ゼアニス、ご飯をいただきましょう。もうできているそうですよ」
「はい!」
アーレンのそれとは違う、本当に無邪気な笑顔が飛び出してくる。
つられて笑顔でリビングに向かいながら弟と話していると、いつもどこか懐かしく思う。
つらいこともあったけれど、笑いながら一緒に勉強したレックス。アーレンと共に武術を習うのを、応援してみたこともあったっけ。
なぁ、レックス。
だんだん笑顔が減ってきたよね……。
自分のせい、なのだろうか。龍にそそのかされるほど心が弱いから、心配ばかりかけているから、レックスは笑わなくなってしまったのだろうか……。
ねむねむ……奈々月です。
寝る前に投稿しよう! と心に決めていたはずなのに、完全に寝落ちました……そんな奈々月でございます;
こたつはなによりも睡眠を誘う危ない機械ですね。しかもお腹いっぱいだったので、完璧に負けました。座り疲れたから、ちょっとごろごろしよう……そんな誘惑に乗った時点で、負けが確定していた気がします(汗)
しかし、こたつで寝ると風邪をひきますので……みなさまどうぞ、お気をつけください……。
それでは、おやすみなさいませ……。