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鳥籠で眠る龍  作者: 奈々月 郁
第一章
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師匠と弟子 part4

 夕暮れで紅く染まっていく室内で、キーブンは紙とペンを机に置いて身動き一つせず、星が輝き始めるのを待っていた。

 星天学とは、地球にある土地、雲や海の水、生物と地球以外の星を関係づける学問。

 星の位置が変われば、地球のどんなものに影響を及ぼすのか。

 自分が何をすると、どの星に影響を与えることが出来るのか。

 こういったことの積み重ねで、最終的には未来を測るという学問――――いや、試みといったほうが近いかもしれない。

 未来を思うとき、キーブンは部屋の中でひっそりと星が瞬くのを待つ。当主を目指す以上研究を進めなければいけないのは重々分かっているが、夕焼けのこの時間だけはどうしても感傷的になりやすい。最近は作業の手が止まることも多くなっていた。


「あの災厄をこの世に二度と起こさぬように、我らは新たなる学問、星天学を子々孫々まで伝えることとする」


 繰り返し読んだリーン家の始まりを記録した粗末な本の中身を、キーブンはもう暗記してしまっていて空で言える。

 日は間もなく地平線に沈みきりそうで、一日を終わりかけた最後の光が、壁や机を否応なく包んでいく。


「地球の環境や人以外の生物を軽んじた我らは、伝説でしかなかった神獣に追われ、明日どころか一時間後の生も約束されていない」


 部屋の扉の三分の二ほどの大きさで、開いたそこからは夕方の少し冷たい風が吹き込んでくる。光がしっかり入るように格子状の造りにした窓がほとんどだが、キーブンの部屋には窓自体がなく、雨戸だけがついている。日が落ちれば街中も明かりの点く場所は数ヶ所しか無く、蝋燭の類がない彼の部屋は真っ暗だ。


「いつの日か、彼との研究が成功すれば我らは生き延びる術を手に入れるだろう。その日のために我らは遺す」


 薄闇に呑まれていく部屋でキーブンは立ち上がり、雨戸に手を添えて瞬き始めた星空を見上げた。


「我らに連なり後世に星天学を学ぶ者よ。星の命を軽んじるなかれ。星を見よ。大地に感謝せよ。己の存在の小さき事を、その繋がりの壮大さを知れ」


 視界いっぱいに広がる夜空は、知識の深淵を思わせる。数ある知識の中、触ることを許されず、意味も判然とせずただ眺めるのみ。生物として脆弱で短い寿命しか持たない人間に、知識という手の届かない夢を見せるスクリーン。


「そして、忘れるなかれ。我らは、地球という星である。生きとし生ける全てのものは、星と命を共有していることを……」


 大昔の大災厄は書き手に何をもたらしたのか、キーブンには知りようもない。リーン家の初代である、ガヴォー・リーンが書いたと伝わるこの本自体、一体いつからあるのか分からない。ぼろぼろになっているが、材質も現代に残っているものではないし、とても想像がつかない。きっと書き手も、本として読める形でこの時代まで残せるとは思っていなかっただろう。

 人類のほとんどが滅亡し、魔法とは違う力で動く「機械」というものが作動しなくなり、凶悪な巨大生物に追われて過ごす日々。

 きっと、リーンの初代は何度も死にかけながら、「彼」と呼ぶ誰かと封来術の基礎となる体系を作ったのだろう。そしてそれは完成し、空を駆ける龍を封じて、この地を守るようになったのだろう。

 大災害後の混沌期を現代に伝える書物は、歴史的にも非常に希少で、ほとんど残っていない。単一族から逃げることに必死で、生か死かという毎日だったのなら、書く余裕などないのは当然だ。

 恐慌に捕らわれても活路を見出し、今に繋がる道を残した、偉大な祖先。

 本を読み、記述を音にする度に、幼いころのキーブンは誓ってきた。


「僕の命は、星の命。星の最後の時まで、僕は命を継いでみせる」


 そのためにはまず、翼龍を恐れず封じられるほどの実力をつけなければならない。

 だから学問を夢中で学んだし、嫌がらせはあれど、自分の行いの正しさを信じていたから、学校に通うのは窮屈であれど、そこまで憂鬱ではなかった。

 幼いながらの盲目さで、猪突猛進に邁進していたから、嫌がらせのような、くだらないと思っている行為にまでいちいち気を配っていられなかったことと、武芸を学び始めたアーレンが圧倒的な人望と腕力とで、次第に嫌がらせを鎮静化させるようになったことも、キーブンの盲目的な信心をより強くした。

 ややうんざりした表情をしながら、しかしキーブンの瞳に煌くのは、星明かりを写し取ったような確かな光。


「だから、頑張らないといけないんだけどね……」


 雨戸が閉められると、部屋はすぐには光を見出せない暗闇に包まれた。

 机の上に手を這わせ、拳よりやや大きく硬い石を掴み取る。そのまま手元に持ってくると、指で表面に『月と太陽』と綴る。

 ぼっ、と音を立てて手の中で炎が上がる。熱くはないが、暗闇に突如浮かび上がった光源は眩しすぎて、キーブンは目を細めた。


 ただの石ころに炎を封じた明かりだ。石と炎さえあれば、ジュヴェールでの義務教育を終了した程度の子供でも作ることができる。封じたいものである要素、この場合だと炎に知識を語りかけて封印し、素体である石に対して、炎に語りかけた知識を刻むことで誘導する。それがこの国で基礎となる封来術だ。他国へ行くと、多少やり方は異なるらしいが、基本的な考え方は変わらない。

 語りかける知識はどんなものでもいい。「1+1=2」でも、「自分の名前」でも、本当に何でも構わない。ただし、知識が深遠であればあるほど、封じる力は強くなる。例えば、他者に知られていない知識だったり、複雑な計算などを重ねなければ分からない数式だったり、容易には知ることのできない類のものだ。故に、キーブンは星天学という一族独自の学問を研究しているのである。封印は時間経過によっても徐々に解けてしまうし、解術しようとするものが相応の知識を持つ術者であれば、当然解けてしまうからだ。

 また、語りかけること、そのものには、自身の魔術的な適性が必要となる。目に見えるもの、触れるものには比較的簡単に語りかけることができる。「語る」という形を、可視である分、意識しやすいからだ。

 だが、不可視のものや存在していると認識しづらい要素には、封印をかけづらい。声や空気がこの代表格といえる。より簡易な順に、声・意識・動作・思念で要素に語りかけることになるのだが、声を封じるにあたって声で語りかけると、封じようとしている要素と混ざってしまうため、認識しづらくなる。要素である声を聞きながら意識で語りかけようにも、やはり術者の語りかけようと意識する言葉と混ざる。相手の話す言葉を聞きながら同時に話している状態は、全くできないことではないが、そこに術をかけるという三つ目の動きが加わることで、大抵の人間には行うことが大変に難しい。したがって、最低でも、動作によって語りかけができるようでないと、声という要素は封印できないのだ。

 ちなみに、解術にも同じプロセスが使われている。素体に触れ、封じられた要素を探し出し、要素に語りかけられた知識を理解する。理解した知識を語りかければ、解術することが可能だ。解術することで素体から要素を引きだすことができる。キーブンが今解術した石のように、この場合は炎の明るさと熱だ。


 この石はキーブンが七歳を過ぎた頃から使っていて、当時は指でなぞるだけで解術することは出来なかったので、表面はインクで真っ黒になっている。声での解術は物心ついた頃にはできていたそうで、キーブンはほとんど使ったことはない。意識から動作での解術に繋げるために、当時は書くことで解術していたのだ。アーレンがそうしていたと聞き、ずっと長いこと真似ていた。

 自分の知識をペンとインクで書き記すことなく移すことが出来るようになったのは、割合に最近で――――ここ二、三年だったな、とキーブンは思い出す。

 母ルミアほどの術師であれば、物体などなくとも空間を素体にして知識を移してしまうことが出来る。それが出来なければ、自由に闊歩している状態から単一族を封印することは困難を極める。リーン家で封印している翼龍はすでに凍結され、巨大で分厚い氷に覆われているのでキーブンでも全く手を出せぬ代物ではないが、曾祖父の代には封印を破りかけていたという話も聞く。翼龍を封じる氷に亀裂が入り、割れ目から水が漏れていたというのだ。

 幸いにも一年に一回の儀式前の時期で、危険の無いように点検していた時だったので事無きを得たという。それからというもの、リーン家当主は滅多なことでは翼龍の封印されている町外れの洞窟を離れなくなった。リーンの当主であるルミアを世話して、母の助手を務めるラグルが毎日行き来しているくらいだ。


 一年前、誰もいない洞窟を訪れたのは、本当に偶然だったのだ。母が入院を要するほどに体調を崩し、その場にいたラグルがアーレンを呼びに行くよう人に頼んで入り口で待っているところに、たまたま顔を出しに来たキーブンが、翼龍の封印を見張ることになったのだ。

 本来なら、キーブンよりも封来術に優れているラグルが残るべきだったのかもしれないが、リーンの一族ではないラグルは、星天学の知識量でキーブンにはとうに追い抜かれて久しかったため、万が一のことが起きても、星天学の知識でもってかけられた封印を完全には抑えるすべがないし、今よりさらに身体の小さかったキーブンには、自分の背よりも高い大人の女性一人を運ぶのが難しかった。苦慮の上での判断だったのである。

 結局は、そうした隙を突かれた。誰かに報告なり、相談なりすべきだったのは分かっている。だが、そうするにはあまりにも翼龍の存在が恐ろしかった。

 もっと正確に言うのならば、翼龍に指摘された、誰にも口にすることのできない自分の未来への悩みを知られたことが、恐ろしかった。


〝お前は望んでいない〟

〝リーンの当主となることを、我と対峙することを〟

〝お前にはそうする理由が無い〟

〝心の奥底から望まねば、命や人生を懸けることなど出来はしない〟


〝お前、逃げたいのだろう〟


 気泡一つない透明な氷石に閉じ込められた龍は、瞼を閉じたままだというのに、まるでキーブンを見つめているかのように強烈な意思をこちらへ向けていた。

 このときのキーブンは知らなかったが、「心話」と呼ばれる、単一族の中でも人語を解する種族が行使する、人に話しかけるための魔法。

 心に直接話しかけてくる感覚は、見透かされている、という印象をより濃くしていた。

 巨体や鋭い牙と爪だけで恐れを抱かせるには十分なのに、心中を突かれることで、キーブンはパニックに陥り、その場を動くことも、反論することもできなかった。

 封印が解ければ翼龍は人を見境なく襲うと聞いていたので、よもや単一族が話しかけてくることなど、完全に想定外だったのだ。


〝母のように、誰に会うこともなく多くの一日を過ごして死んでいくことを、お前は望んでいない〟

〝この冷たい洞穴で、我と共に、お前は死ぬことができない〟


〝一族の長となる道を、選ぶことなどできぬ〟


 当主となることを兄と一緒に期待されてきた。そうなることが当然だと思っていた。例えそうなれなくても、結局は家から離れずに町や国を守るのだと。それが、当然のこと。

 盲目的に信じていた、選んでもいない選択を、翼龍は氷の内側から見透かしていた。


 恐ろしかった。

 期待を裏切ること。本当にそう思っているのだとして、それが白日に曝されること。

 よもや、逃げたいと思っている自分がいるなんて。

 翼龍が心に話しかけてきたということは、凍結が解けかけているということ。それを他人に話せば、その内容まで言わなくてはならない。

 言えない。言えるはずがない。

 だったら――――見て見ぬふりをするしかない。

 そうしてキーブンは翼龍の封印が解けかけているかもしれない、そのことを誰にも話していない。

 その行動こそが、まさに翼龍の言った通りなのだと気付いている。それでも、言えなかった。

 家族、町、国の人たち、沢山の命より自分の小さな怯えを優先したのだ。リーン家の人間にあるまじき行為。これだけでもバレればどれだけの非難を浴びるか分からない。リーンの一族と見るや媚を売りたがる人間たちが、どれほど簡単に手の平を返すかは予想するまでもないし、兄や弟やリーンを支える人はどう見るだろう。

 自身に誇りを持ち、家を守る意思の強いアーレン。無邪気に「すごい」と慕うゼアニス。いつだって心配して、それでも最後には信頼してくれるレックス。次期当主として期待し、そうあるようにと育ててくれたラグル。会いに行かない限りは顔を見ることも会話することも容易でないが、一心に町と子供を思って封印に身を捧げるルミア。

 一年かけて積み重なった怯えの連鎖に、キーブンはもう耐えられなかった。キーブンに話しかけたように、翼龍は母に話しかけるかもしれない。いつバレたっておかしくはない。でも、だからこそ、自分でそれを打ち明けるのは怖い。何をおいても封印を頑なに守る崇高な母に、「怖かったから黙っていた」など、裏切り以外のなんだというのか。しかし、このまま知らぬふりを通せば、いずれは同じこと……。

 秘密を明かす恐怖は確かにあるが……何とかしなければならないだろう。


「確かめに、行かないと……」


 ふと、セルジスの穏やかな笑みが浮かんだ。

 セルジスは、このことを知ったら、どう思うのだろう。やっぱり、臆病者だとなじるのだろうか?

 いつだって他人をからかうような飄々としたセルジスの、排斥の言葉も表情も、キーブンには想像することができなかった。

ねむねむ……奈々月です。

これで、第一章は終了です。

封来術についての説明だらけだったので、キャラクターの思いになかなか焦点が当てられませんが、二章以降でお楽しみいただければ!と思いますので、引き続き頑張ります。

キーブンのような生真面目さが作者にもあれば、遅筆とはいえもっと進むのですが……少しずつお待ちいただければと思います;


それでは、おやすみなさいませ……。

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