師匠と弟子 part1
「キーブン、麻紐買って来たわよね? 昨日」
「一角獣の尾っぽの毛で作った染料に浸けておきました」
「あら、悪いわね。そういえば呪樹で織った封筒は……」
「とうに固定済みです。動きかねないと思ったので」
「……龍の鱗は、もう?」
「もちろん破砕しています。いつでも使えますよ」
笑顔のまま言葉を失った師に、弟子は嘆息しながら再び言葉を発する。
「今日のお客様はあと一時間と十八分後にいらっしゃる予定です。師匠、他に御用事が無いなら早く支度してください」
「いつもながら完璧ね。ありがとう、観念して行くとするわ」
遠い過去のこと。
星の大部分を焼き、ありとあらゆる生物を絶滅、もしくはそれに近いところまで追い詰め、何より科学という万物に通じる手段を破壊した大災害があった。
その大災害を境として、世界の理は激しく歪み、人々の記憶の中にしか残っていなかった技能――――『魔法』の行使を可能とした。
この世において見てはならぬ恐怖の箱の中身を丸ごと浴びてしまった人間だったが、箱の底に残っていた『魔法』という希望に縋り、何千年もの間苦心して再び繁栄することに成功していた。
人間に再びの繁栄をもたらした『魔法』は、人口が増えていくにつれて幾つもの体系に枝分かれし、村や町ごとで様々に分岐したそれらを扱っていた。
しかし、大災害後に現れた恐るべき獣に襲われたり、疫病に感染するなど、町や国ごと全滅することも少なくなかったため、年月が経つにつれて減っていき、その多くは再び人間の手から失われてしまった。
現在一般的に使用されているのは『魔法』から派生したうちのたった一つの体系から生まれた術――――封印、保存などに使用される封術と、物質を分解するため、あるいは封術を解く際に使用される解術という表裏一体の『魔法』、封来術だ。
これらは訓練により誰もがある程度までは行使することが可能であり、国によっては義務教育に組み込まれるなどして、生活に必須のものとして溶け込んでいる――――。
この店にやってくる客の多くは、まず初めに女主人よりも、その場にいる小柄な少年に、驚愕を持って目を向ける。
キーブン・クアラ・リーン、この西方大陸において五本の指に入る名家中の名家の二男。未来予知すら可能であると噂される超高等学問、星天学を基にした封来術を行使する一族であり、この世界で確認されている中で恐らくは最も古い単一族、翼龍の封印を守る家系の一人だ。
ここジュヴェール連立国の国家元首よりも余程面会するには難しいはずのその人が、なぜこんなところにいるのか……と。
今日の客も期待を裏切らなかった。
「もしや、そちらにいらっしゃるのは、キーブン・クアラ・リーン殿でございますかな? よもやこのようなところで御目にかかることができようとは……。
お会いできて大変嬉しゅうございます。ワタクシはジェスタ・フォン・イランと申します」
「それはそれは、『このようなところ』でご丁寧にどうも。貴方の御用に必要なのは、私でしょう?」
何も言わずにこやかに笑うキーブンの横からおざなりに女主人が声をかけると、ようやく年老いた依頼主はレジカウンターへと向き直った。質素な木製のカウンターに頬杖をついている彼女は、不機嫌を隠そうともしていない。
師より弟子に尊敬を向けられるのでは無理もなかろうが、幸か不幸かキーブンに師がいることはほとんど知られていない。
彼女の不機嫌を見て取った依頼主は、未練をバターナイフでたっぷりと顔に塗りつけたような渋い表情でキーブンに会釈すると、そのまま渋い声で女主人に事情を説明し始めた。
「まぁ、その通りです。かの高名なキーブン殿の御手を煩わせるわけにはいきませんからな。
簡単なことでございます。指輪を作っていただきたい。材料はお任せしますが、出来るだけ……そう、出来るだけ強固な作りで。
ワタクシの主人の婚約指輪にいたしますからな、あまり弱々しくては縁起が悪いというものでしょう。だからわざわざこうして足を運んだのです」
「ふぅん、婚約指輪、ね。誰と?」
「それは言えませんな。一世一代の大仕事、邪魔をされては適いません。貴女は依頼通り作ってくださればそれで結構」
「確かに、婚約だなんて大仕事には違いないからね」
客の素っ気ない物言いには構わず、クスクス笑って目を伏せると女主人は指先でカウンターを軽く叩いた。その様子をキーブンが内心固唾を飲んで見守っていることも彼女は知っている。
信じてはいるが念のため。きちんと目でそれを確認すると、この店の女主人であり、なぜか封来術において高名なはずのキーブンをその道で弟子とするセルジスは、心中でそっと褒めてやった。
セルジスのように相手の状態を見て取るのが早い人間には気付かれるだろうが、彼の顔は直前と同じで笑ったまま。まぁ、普通の人には気付かれないでしょうね、と満足して依頼主へ意識を向ける。
「報酬は? まさか一世一代の婚約指輪にケチりはしないでしょう?」
「本当にかけるべきはお金ではなく、愛情だと思っておりますので。二十万アルムで十分でしょう」
「上乗せする気は?」
「いえ、全く」
「私の作品をこうして見ていても?」
「ええ、一片も思いませんな」
「ケチね! 仕方ない、良い事を一つ教えてあげましょう。キーブン」
先ほどカウンターを叩いていた指を下唇に乗せ、とろけるような極上の笑顔で彼女は弟子の名を呼んだ。同時に唇を彩る赤い口紅を指でなぞるようにして少量取る。
それを見て、キーブンは苦笑気味に目元を僅か下げた。
理を捻じ曲げられた星には『魔法』と共に、後に人間が単一族と名付ける伝説の生物たちが出現し、人口減少に拍車をかけた。
龍、鳳凰、一角獣、人狼など、種類は多岐に及ぶが、彼らには共通事項が一つあった。
なぜか、似たような種の生物は生息しているものの、まったく同じ造りをした生物は二つと星に存在していなかったのである。
例えば龍族ならば、翼を有し空を支配する翼龍、水を操り水中に暮らす水龍、常に鱗を帯電させ雷を呼び寄せる雷龍など、同じ龍と呼べる種族はあるのだが、それぞれの個体は唯一無二のもので、同一の身体機能や特殊能力を有する個体は無かったのだ。
各々の特性を理解し、対応した封来術を生み出し、それを駆使することができる人間を探し……苦心惨憺した後、遂に人間は自分たちに害を為す単一族を封印することに成功した。
これら封来術の技術革新によって様々な恩得を得ることが出来たうえ、技術不足で単一族の息の根を止めることが出来なかったことすらも、人間にとってはプラスに動いた。
生体凍結封印――――単一族を封印する唯一の封来術は、その名の通り生物を動けない状態にする。その生命の強靭さから止めを刺すことは叶わなかったが、貪欲な人間は彼らの鱗や毛などを自分たちの生活に役立てようと、動けない単一族から奪い始めたのである。
機械が無い以上自分たちの手で出来るところまでしか奪えなかったが、人間は充分それで生活を潤したのだった。
「何ですか、セルジス」
「……? その声は……?」
姿形は間違いなくキーブンだ。なのに、ジェスタの知っているキーブンの声とはまるで違う。
というのも、リーン家の二男であるキーブンが国家元首より面会が困難な人物と言われるのは、あくまで個人として会う場合であって、姿形を見かける機会がまったくないわけではない。一年に一度欠かさず行われるリーン家による凍結の儀は、この町の者ならば参加が義務付けられており、また多くの国民が望んで参加する。翼龍の封印が崩れていないことを確認し、リーン家当主の手で封来術を重ねてかけるこの儀式は、公的には学術研究のためにリーン家以外にも公開しているのだとされているが、一般の俗説では封印に異常があり、翼龍が万が一にも封印を破った時、集まる全員で弱っているうちに再度封印するためなのだとも言われている。
ともかく、当然この儀にはリーン家の次期当主候補であるキーブンは、準主役級の扱いでもって参加している。つまり、国民はリーン家の当主とその後継者を知っているのだ。
いくら遠くから眺めるだけとはいっても、年齢に相応しくないキーブン本来の低い声と、下手をすれば女の子でも通りそうな今のボーイソプラノを聞き間違うには無理がある。
「貴方は……キーブン殿では?」
「さぁ、どうでしょう」
「封来術を、使っておられたのか?」
「はい、僕ではなく、師匠セルジスが。貴方を騙すために」
はっきりと苦笑を浮かべた目の前の少年に、ジェスタはぞっとした。やはりどう聞いても声が違う。
追い打ちをかけるように、愉快そうなセルジスの声がかかる。
「この子はキーブン・クアラ・リーンではない。分かっていただけたかしら?」
「封来術をこのような……犯罪者が使うような手口でもって使うなど、許されませんぞ」
「貴方が仕事を頼んでいる相手は、そのような人間だということがよく分ったでしょう。一般人がここまで術を操るのは無理だということも、よくよくお分かりね?
さぁ、報酬はいくらにするの? ここまで来て、まさか……ね?」
ジェスタは冷や汗を全身にかき、返事をするどころではなかった。
封来術を生業として暮らす者は珍しくはないが、決して多くはない。世の中には仕事が有り余っていて、しかし封来術を行使して解決できる物事は限られている。となれば、自然と封来術を高いレベルで行使できる者のみが封来術を職業的に行使することになる。
質素でごく一般的な木材で造られた小さな店内に並ぶ商品は、色の溢れる質感も様々なレターセット、ちょっとそこいらでは見かけないような形をした羽がついたペン、濃さや粘度のそれぞれ違うインク、さらに視線を移していけばそこには水晶のような輝きを放つレターオープナー、光の加減で色味の変わる麻の紐、なぜか目を向ける度に大きさの違う真っ白な箱――――。どう見ても普通に作ることは出来ない、封来術の使用された物品である。
封来術は何かを封じ込めることが全て。だからこそ人間に害を為す単一族へ、動くことが出来ぬようにと生体凍結封印が使われ、生活になれば火や氷を石に閉じ込めて売ったり、時に犯罪への使用となると何かに風景を閉じ込めて任意の場所で解き、幻を見せたりすることが出来る。
それが――――この女主人のしたことはなんだ。キーブン本人としか思えない姿形をしているのに、全く声が違うなど、ジェスタにはまるで正体が分からなかった。風景を貼り付けているのなら表情は変わらないはずなのに、最初会ったにこやかな笑顔と苦笑いの今では全然表情が違っている。途中で封来術をかけ直したのなら、キーブンの姿からこの声の主に戻る瞬間ジェスタは見ているはずだ。一度も視界から完全に外れてはいないのだから。
ならば声だけ変えたのかとジェスタは考え、それも在り得ないと気付く。
通常、封来術は封印するものを閉じ込める元となる物質に何かの知識を書くことで発動させる。例えば、火を石の中に閉じ込めるとしたら、石に知識を刻む必要がある。解術する際は、その知識を知っているのだと示す必要がある。大概は解術できるよう質問形式になっているので、質問に正しく答えればいい。これもまた、書く必要がある。
ジェスタはセルジスとキーブンの両者が視界に入っていた。何かしていれば分かる。しかし、二人ともこそこそ手元を動かすようなことはしていなかった。第一、自分の問いに違和感なく受け答えしていたではないか。
声帯に封来術をかけていた、という選択肢は無い。単一族にこそ、その強靭な生命力によってはじかれるものの、人間を始めとした一般的な生物にとって封来術は毒に等しい。封来術は封じ込めることが根源的な方向性だ。つまり、生体内のあちこちを止めてしまう。当然、心臓が止まれば生物は死ぬ。かけられた者は例外無く死亡してしまうのだ。
最後の可能性として、もしも……現リーン家の当主のように空間に封来術を書く、なんて真似が出来るのだとしたら、生体凍結封印をも行使出来るということで――――。それだけの術師が本気になれば、封来術で人一人転がすくらい楽なことだ。
封来術を使う以外ではまず作られない指輪などのアクセサリーは、ほとんどは金持ちのいる場所にしか置いておらず、制作者の大半は金持ちお抱えの術師だ。だから封来術と単一族の体の一部を組み合わせてこれらの商品を作っていたこの店の女主人に、ジェスタはこの依頼を持ちかけたのだが、しかし、まさかここまでとは……と内心歯噛みしても、もう遅い。
「百万アルム。これ以上はどうしても出せないのだが。これでよろしいかな」
「最初からそう言ってくれれば早かったのに。ええ、それでいいわ。じゃ、この書面の契約内容を読んで署名してもらえるかしら」
五倍に跳ね上がった金額か、単にこの老人を言い負かしたのが嬉しいのか、浮かれているのがありありと分かる声音でペンと契約書を依頼主に出す女主人を見て、キーブンは世の大人というものの在り方についてしみじみと思いを馳せた。
……ああはなりたくない。
そうして時が経つにつれ、単一族の封印が解けぬよう封来術をかけた家系が守るようになり、ごく稀に相応の力量を持つ当主が生まれずに単一族が暴走することはあっても、人間はこれまでとは段違いに平和な暮らしを手に入れた。
――——ジュヴェール連立国における封来術の歴史授業では、皆このように学んでいる。
現在、国を挙げて封来術を学び、優れた術者となることをここジュヴェールでは奨励している。
それがこの星で生きるために、残された最後の手段だと誰もが知っている。
ねむねむ……奈々月です。
鳥籠~は、何章か区切ってお送りする予定ですが、章ごとで、どばん!っと載せてしまうと、携帯・スマフォでは長すぎるかも……と思考錯誤の量で掲載しております。
読み始める方がいらしたら、ご意見などなど、いただけると嬉しいですね!
人によって、程よい長さって違うと思うので……。
それでは、また来週――――