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鳥籠で眠る龍  作者: 奈々月 郁
プロローグ
1/12

いつか、誰かの故郷だった荒野

 触れることを躊躇う、冷気と鋭利を兼ね備えた堅牢な氷像。

 その中では流水の戯れる音が絶えず、氷像が人ならざる力で形成されていることを聞く者に知らしめる。

 だが、流水は耳に届くのが不自然なほど微かに鳴るだけ。

 知覚できるのはこの氷像の未知なる力にもよるだろうが、もう一つ、明らかな理由があった。

 砂漠に似た、土とも呼べない草木の育たない土壌。砂漠と違い、通り雨も無いのに砂が湿ってはいるが、これだけで生物が生きていくのは不可能だ。

 時折、赤い玉砂利を見かける。―――― 元は煉瓦だと、誰が分かるだろうか。

 地平線の果て、ぐるりと見渡しても遺跡も自然も何一つ瞳に映ることの無い、色彩に乏しい景色。

 この土地は数多の人間に踏みにじられ、一人の少女に憎悪され、もう二度と蘇らない。奇妙に湿っている砂はその証だ。

 人外の何かが形造った氷像以外に跡形も無くなった、かつて町だった記憶もすでに薄い、この地の最後の一人 ――――


「贅沢な望みじゃないと思うの……」


 呟きは湿った砂土を渡る風に反して、濡れた様子はなく乾ききっている。彼女の虚ろな濃緑の虹彩には、景色はおろか、感情すら何一つとして映っていないようで、その身の丈の倍以上もある氷像に寄りかかっている姿と合わせて、精気の感じられない光景だった。

 彼女の生を示すのは、唇から溢れる呟きと、人間の柔肌など楽に傷つける巨大な氷像の鱗に寄り添っているせいで、じわじわと氷像自体を染めていく赤い血の二つだ。

 しかし、寄りかかっている背中を除いても、彼女の体は着衣から肌まで全身余すところなく切り裂かれて傷だらけだった。虚ろな目で地平線を見るともなく眺めているその足元には、黒々と血溜まりが出来ている。

 どこから辿ってきたのか、地平の果ての視界に入るか入らないかという位置から、砂土の湿り気には水とは違うものが混じり、たっぷりと墨を含ませた筆で線を引いたように色が変わっている。

「故郷なんてもう戻らなくてもいいけど……」

 彼女の体からは、既にかなりの量の血が失われている。生命の希薄を想わせる肌の青白さは、この光景をより儚げにしていた。

 彼女は遠からず、この世界から零れ落ちる。濃緑の瞳が閉じられる時、彼女は死を迎えるだろう。

 一つの命の終わりが近づくほど潤沢に流れ落ちているというのに、次にこの地へ帰ったら、一滴たりとも氷像を染める赤は残っていないと、彼女は知っている。

 ここへ何かを残して行くことは、許されない。

 どんなに望んでも拒絶される。

「貴方だけは取り戻したい……ルイ」

 強く砂を踏みしめて己の力のみで体を支えた彼女に、もう忍び寄っていた死の影は欠片も見つからない。

 瞳に、全身に、生が激情のように滾って鼓動している。彼女が自らの足で立ち上がった今となっては、血の赤が命の炎の証として燃え上がり、荒廃した地を鮮やかに彩っている。

 炎が贄として目指すものは、ただ一つ。

「ルイを忘れた世界なんて、認めない。絶対に貴方を取り戻してみせる。意志ある者全てにルイの存在を刻みつけて、二度と失われないように……」

 彼女が流した炎が地表を蛇のごとく這いずると、蔦を思わせる、曲線を主体とした線を描き、氷像を中心に据えた円となる。そのまま高速で文字とも記号ともつかない何かが描かれていき、十重、二十重と奇妙なそれは氷像を取り巻く。

 最後に肌の色をより一層蒼白に変えた彼女が氷像に触れると、全体が牙を剥くように一瞬だけ劇的に輝き、炎を宿して赤くなっていた砂はその熱き血潮を飲み干し、元の無味乾燥な地面に戻った。

「私は行くね。こんな氷叩き割って、必ず貴方を、取り返すから。ルイ……世界で誰よりも……貴方を……愛し……て……る……」

 致死量を遥かに超えた血液を撒き散らした彼女は、崩れ落ちた。

 こうして住民は誰一人いなくなった。


 ぐずぐずと濡れた砂土では、残るものなど一切なかった。



初投稿作品になります!

以前、他で投稿していた作品のリメイクなので、再びお目にかかる方がいらしたら大変光栄です。

みなさまの心が少しでも動く、そんな作品としてお届けできるよう、頑張ります!

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