人魚 1
「エイメィ! 私の商売荒らすんじゃないよこのえせ魔女!」
魔女の店、と看板を掲げた洞窟に、朝からしゃがれ声の怒号が響いた。がつんがつんと魔女のつく杖の音も石の床に響いている。
それにしてもただ石と木がぶつかっているにしては激しい音だ。壊れないように魔法がかけられているという噂だが、あの音だともしかしたら石の床がひび割れているかもしれない。
私は店の奥の寝床からしょうがなく起きだして、店に向かった。
「おはよう魔女。ずいぶん来るのが遅かったのねぇ、あなたのウツボたちは昼寝でもしてたの? 私が店をだしてもう三日も経ってるのに」
「怠け者のウツボはゆうべ三枚におろしてやったよ。あんたも開きにしてやろうか」
「あらやあね、人魚は日干しにするもので開くものじゃあないわよ。ともかく、私が何をしようとあなたに関係ないでしょ? あなたのところは呪い専門だし、私の店は呪いのかかった薬や道具を売ってるの。ほら、恋がかなう指輪とか、相手の心を振り向かせる薬とか」
「全部インチキだろう」
「本人が信じてるんなら本物になるんじゃないの? あ、ねえなんならあなたが本物の呪いをかけてちょうだいよ。儲けは品物ごとに七対三、私が七であなたが三でどう?」
「お断りだよ」
「んー、じゃあ六対四で。大損だけど仕方ないわね」
「私はあんたのインチキ商売の片棒をかつぐ気はないと言っているんだ。だいたい、人魚の姫さんは魔女のまねごとなんてやってないで城でおとなしくしてなよ。あんただってそろそろ縁談の一つや二つ来る年だろう」
魔女の言葉に、エイメィは皮肉気に唇をゆがめた。
「赤い髪緑の目でも、人魚のひれがあれば嫁にとってくださるとかいうありがたい申し出なら何件かあるわよ。人間の船を沈めて溺れた人間を食べるのが大好きなシャチ族の馬鹿王子とか、北の海のジュゴンの貴族とかね。西の人魚の一族は、髪を染めて目に布を巻いてこいと言いやがったわ」
エイメィの髪は赤く、目は暗闇で赤く光る緑色をしている。人魚族の髪色はさまざまだったが目は真珠貝の裏側のように虹色に輝くものばかりで、緑の目というのはここ二百年も現れなかったし、それに海にゆかりのある色が尊ばれる海の国で、赤は忌むべき色だった。
それは目の前の魔女も同じで、魔女の黒い髪は不吉とされている。
その黒い重たげな髪を癇症にかきあげ、白い細い手で魔女はエイメィに手を差し出す。
「その髪と目の色を違える呪いをやるから、さっさとこの不快な店をたたみな」
「お断りだわ。なんで結婚のためなんかに自分を変えなきゃいけないのよ。あんな阿呆どもに嫁ぐんならヒレを失ったほうがましよ」
「強情だねぇ。ならいっそヒレを失って、地上にあがるかい? あんたの遠い先祖みたいにさ」
「やめてよね。あんな馬鹿な姫と一緒にしないでよ。私は帰りたかったら王子なんて滅多刺しにして帰ってくるわよ、愛なんてもんを期待するほうが馬鹿なのよ。魔女、あなただってそう思うでしょ?」
「ふふ、違いない」
魔女は笑って、杖で石の床を一突きした。気むずかしく、人魚を特に毛嫌いする魔女だったが、人魚族の末姫エイメィだけは、この海の国で唯一のお気に入りだ。
魔女と懇意なのもまた、エイメィの悪名に一役買っているのは知っていたが。
「まあいいさ。でもエイメィ、そんなふうにふらふらしているのをいつまでも見逃すほど、あんたの父親はぼんくらじゃないよ」
「大丈夫よ。お父様はいつだって忙しいんだもの。まだ結婚してない姉さまも何人かいるし、私がなにしようと気づかないわよ」
自信たっぷりに言ったエイメィが、父王に無理矢理嫁がされそうになって魔女のもとへ逃げ込んでくるのは、それから半年後のことだった。
「いいかいエイメィ。あんたの声なんぞ欲しくないから、ひれと足を交換だ。もしも帰りたくなったら、この呪いのナイフで王子を刺すんだよ」
「大丈夫大丈夫。お父様だって私が逃げたら諦めるから、ほとぼりがさめた頃に、王子だろうがなんだろうがぶっ刺して戻ってくるわよ。地上のお宝を持って帰って大儲けするわ。じゃあね魔女、ありがとう!」