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人体模型にな憑かれました。

作者: 聖華
掲載日:2014/09/29

一日で書き上げたものをそのままあげて文章能力の向上を見守るコーナー

「好きです、付き合って下さい!」


 凛、とした青年の声が響く。いかにも誠実そうな声音だ。「礼儀正しい好青年」に声を当てるとしたらこうなるだろう、という感じの。

 今、学校の屋上には二つの人影があるばかりで、それ以外に人の気配はなかった。それも当然だ、この屋上は普段は鍵がかけられていて、立入を禁じられているのだから。

 彼女はフェンスに背を預けて、告白してきた相手を見つめた。とても怪訝そうな、また呆れているような、あるいは恐怖しているような、複雑な表情だ。眉上の黒髪に、膝下スカート、ワンポイントすらない白いソックス。いかにも真面目そうな女子高生だった。

 眉を顰めて、本当に気難しそうな顔をしながら、彼女は口を開いた。


「お断りします」

「そう、ですか……」


 容赦ない拒絶に、告白した側は潔く引き下がった。震えた声だった。

 屋上はしばし沈黙に包まれた。貯水タンクに金属色をした機械、風雨に晒されて黒ずんだ床。全てが黙り込んでいて、ただフェンスの合間を縫って風が軽く吹くばかりだ。


「あの……良かったら、理由、教えてもらえませんか?」


 おずおずと、声が口火を切る。

 彼女は、声の主の頭の先から足のつま先までを舐め回すように見た。そして、最後には目をそこから逸らす。言葉を、考えているようだった。


「えっと、その」


 ちらっ、と相手の顔を見やって、スカートのところを落ち着かなそうに握りしめて。

やがて、意を決した様子で言った。


「私、無機物には興味ないので」


 正面向いた彼女の視線の先、屋上の入り口のところには、直立する人体模型の姿があった。



『人体模型にな憑かれました。』



 顔の半分はマネキン的で、半分は剥き出しの筋肉、そして体の前面が内臓のレプリカで埋め尽くされた物体。そんなものが月明かりに照らされているのだ、とてつもなく不気味な情景であった。

 この田舎高校では警備員を雇うだけの資金がないのか、最後に退出する教師が全ての鍵を閉めてしまうと、学校は完全な無人になる。現在の時刻は午後九時も過ぎた頃、教師は既に帰路についているだろう。彼女もそう踏んで屋上に忍び込んだのだから。今となっては、その判断を心底後悔していたが。


「やっぱり、人間にとっては無機物って、ハードル高いんでしょうか……?」


 人体模型が、恐る恐るといった感じで尋ねてきた。眉を垂らしている辺り、無機物の割りには表情豊かであったが、しかしこの場合はそれが仇となっているようだった。人形が表情を作っている不気味さと、表情が作られることによって蠢く筋肉のグロテスクとが、かなり恐怖を煽ってくる。


「えっと、寧ろ、そちらでは普通なんですか、無機物と有機物のカップル」

「まぁ、僕の周りの環境といえば学校の怪談ですから。動く像から亡くなった生徒の幽霊まで居ますので」

「幽霊は有機物に入るのでしょうか……?」

「無機物ではまずないので、多分」

「はぁ……」


 一見して普通の会話が出来ているのは、彼女が人体模型に対してどう接すれば良いのか分かりかねていたからだろう。初めてこの人体模型を見た時――つまり、物音に振り返ったら、屋上に続く扉から人体模型がひょこりと顔を出していた時――は、その場に凍りついた。戦慄した。自分以外誰も居ない学校で、自立稼働する人体模型というSAN値チェックものの怪異と出会ったのだ、恐怖しない道理がない。

 ところが、そこで冒頭の「付き合って下さい!」が来たから、もう混乱に混乱が重なって、怖がればいいのか驚けばいいのか分からなくなってしまった。見てくれのグロテスクに似合わぬ爽やか系イケボだったから余計にである。なんだこの物体、なんだこの状況、なんだこれ。

 しかるに、彼女は取り敢えず逃げるよりもパニックになるよりも、まずこの怪奇の解明に努めた。気が動転し過ぎた結果、360度回って落ち着いたとも言える。


「そもそも、どうして私に……その、告白を?」

「実は僕、あなたに助けて頂いたことがありまして」

「えっ」


 全く記憶になかった。寧ろ、人体模型を助けた記憶がある人間など、この世にいるのだろうか。


「僕は普段理科準備室に住んでいるのですが……ほら、あそこって普段はあまり使われないじゃないですか」

「まぁ、そうですね」

「ある時、先生が不真面目な生徒に僕の後片付けを頼みまして。その子たち、僕を無造作に運んだものですから、見事に地面に倒れてしまったのです。強かに床に打ち付けられ、内臓を撒き散らした僕なんか気にも止めず、その子たちは帰ってしまいました」

「それはまた、ご愁傷さまといいますか」

「何を言うのですか、そこを助けて下さったのがあなたでしょう」

「? ……あっ、そういえば」


 小首を傾げた彼女は、ふと思い出した。先生に質問をしたあくる日、帰りがけに軽い機材を片付けておいて欲しいと頼まれたこと。そうして理科準備室に入ったところ、床に盛大に内臓をばら撒かせたグロッキーな人体模型な姿を目にしたのだった。


「あの状態で変に動けば、僕が実は動けることが公になってしまうかもしれない。体の中にぽっかりと空白が出来たような感覚(物理)を抱いたまま、どうしようも出来ない僕。あなたはそんな僕を抱き起こして、丁寧に内臓を詰めて下さいました……」

「なかなか誤解を生みそうな表現の気がするのですが」

「あなたに恩義を感じたのは勿論ですが、僕が何より心奪われたのはその内臓捌きでした。あんなに迷いなくパーツを埋めていって下さった生徒さんは初めてです。物理的にも精神的にも心臓こころを掴まれてしまいました」

「まぁ、その日の理科の小テストは、人体構造についてだったので」

「そんな訳で僕は思ったのです、『あぁ、僕にはこの人しか居ない! だって、この人はこんなに僕のことを分かってくれている!』と」

「いやその理屈はおかしい」


 彼女は思わず敬語をかなぐり捨ててツッコんだ。こちらの話を聞いてない感じがすごかったが為に、つい言葉が漏れたのだ。なお、人体模型は『物理的にも精神的にも〜』の下りでドヤ顔を浮かべていた。恐らく上手いことを言ったと思ったのだろう。なお、鉤括弧の中身もきちんと口に出している。


「ふふっ、愛に理屈は通用しないのです」

「えーっと……私はたしかに恋愛経験ないですけど……でもやっぱり、おかしいんじゃないですか、その理由」

「理由はおかしくても、僕のあなたに対する気持ちは誠実そのものです」

「あっ駄目だこいつ」


 やはり『理由はおかしくても〜』の辺りでドヤァとしてみせた人体模型に、彼女の心の声は完全にハンズフリーである。

 真面目な彼女は、これ以上このペースに呑み込まれてはいけないと判断した。この時には、完全に『人体模型が動くことへの恐怖<越えられない壁<人体模型のアホさ加減』の構図が出来ていた。


「あの、そう言うわけで、私はあなたの気持ちには答えられないので……その、帰ってもいいですか?」

「いやいやいや、答えはNOでもそれは出来ませんよ」


 何やらすごい勢いで拒否された。彼女の表情が今まで以上に陰る。相手は腐っても――外見的にも内臓とかモロ見えだし腐っているように見えなくもない――怪奇現象。もしや、自分に何か害意を加えるつもりなのではないか?


「いや、あなた、自殺するつもりだったんですよね? 学校を出た後、どうするつもりなんですか?」

「えっ……あっ、その、これは……違うんです」

「何が違うんですか。わざわざ職員室で屋上の鍵くすねて、上履きすら履かずにフェンスに張り付いてグラウンド見てるとか、どう考えてもマジで自殺する三秒前じゃないですか!」

「う……」


 彼女は言葉を詰まらせる。人体模型の言ったことは、すべて事実であった。彼女は今履き物を何も履いていないし、物音に振り返るまではフェンスに手をかけてじっとグラウンドを見つめていた。

 誰がどう見ても自殺する為に夜の屋上に忍び込んだ女子生徒Aである。


「例えフられたとしても、意中の人が自殺するのを見過ごすなんて、僕にはとても出来ません!」

「いや、その……ほんと、お構いなく」

「そういう問題じゃないでしょ、これは!」

「………………………」

「あっ、すいません、熱くなりすぎました――って、うわぁ脳が落ちた!」


 無言な彼女に謝ろうと90度のお辞儀をしようとした人体模型だが、まぁそうすればそうなるだろう。彼女は「取り敢えず、顔上げて下さい」と人体模型を嗜めると、転がった脳を元に戻してやった。人体模型は「ありがとうございます……」と申し訳なさそうにしながらも、どこか嬉しそうだった。少しムカついた。

 人体模型が、ごほん、と気を取り直すように咳をしてみせた。あの無機質な喉でどう咳をしているか不思議だが、そんなことをいったらどうやって声帯を震わせているのかも甚だ疑問である。


「さて、僕はこの取り外し可能な脳味噌で考えました。どうすればあなたが自殺を思いとどまってくれるかと……」

「えっと、本当にいいんですが……まぁ、いいです」


 こいつの事だから何言っても無駄だろう。この短時間で人体模型の性質を見せつけられた彼女は、観念して人体模型の言葉を待つ。


「僕と、デートしましょう」

「えっ」

「自殺しようとしているということは、即ち現実に楽しみを見出せていないということ! そこで僕があなたをエスコートして、『ああ、この世の中、捨てたもんじゃないな』と思って頂こうという魂胆です!」

「気でも狂ったか貴様」

「ふふっ、学校という敷地でデートなんて出来っこない――そう思っているのだとしたら、甘いですよ」


 思わず彼女は真顔で吐き捨てたが、人体模型はまるで気にしていないようであった。


「そうですね、ここは精神を癒やすことを考えて、コンサートにでも行きましょうか」

「コンサート……? 夜の学校で?」

「えぇ。うちの学校には音楽の巨匠の肖像画が揃っていますから」

「それって」

「えぇ、音楽室のあの方々です」


 この学校の音楽室には、他の学校によく見られるように、音楽家の肖像画が多く飾られていた。そういえば、その肖像画の目が夜になると光るだの、そういう噂があったような気もする。あれが本当だとすれば、これは相当なことだ。


「ということは、ベートーベンや、モーツァルトの演奏が、生で聞けるってことですか!? すごいじゃないですか!」

「まぁ、あの方々は所詮レプリカの肖像画なんで、演奏も似非物なんですけどね」

「一瞬でテンションが地に落ちました」

「でも何年も音楽の授業を聞いていたお陰で、クオリティは相当ですよ?」

「でもそれって要するに音楽の授業レベルの演奏ってことですよね?」


 珍しく声を荒げた彼女だが、言葉通り一瞬で淡々とした声音に戻った。まぁ、よくよく考えれば、ドイツで生まれオーストリアで死んだベートーベンの魂が、こんな片田舎の学校に居る訳がない。居たとしたら「ベートーベンさん仕事選んで下さい」と言わねばなるまい。彼女ならそうする。


「ちなみに今日の演目は、ベートーベンさんによる『包丁とまな板のための交響曲第5番ハ短調作品67(俗称:運命)』です」

「えっと、いろいろツッコミどころが多すぎてどうしたらいいのか迷ってますが、取り敢えずなんで包丁とまな板が出てきたんですか」

「まな板の上で包丁を使った時のあの音で『運命』を奏でるらしいです」

「その心は?」

「ベートーベンさん曰く『家庭科室に楽器がなかったので』」

「音楽室に帰ったらいいんじゃないでしょうか」


 脳裏で包丁が『トトト、トーン!』と運命を奏でているシーンが再生されてしまうのが、なんとも憎らしい。なお、二番目にツッコミたかったのは、人体模型が()までご丁寧に声に出していたことである。


「実は音楽家の皆さん、音楽性の違いで仲違いしてしまったみたいで……」

「売れないインディーズバンドのような理由ですね」

「モーツァルトさんなんか、最近和風ロックにハマってしまったようで」

「割と本格的に似非物なんですね。元の人物に謝った方がいいのではないでしょうか」


 包丁な運命に続いて、彼女の脳内で和風ロックなアレンジをされたトルコ行進曲が流れそうになったが、如何せん予想が全く出来なかったので、なんとか踏み留まった。あれをどうすれば和風ロックになるのだろう、三味線?


「さて、ではデート計画の話に戻りましょう」

「戻らなくてもいいです」

「デートの後、グラウンドを歩きながらコンサートの感想を話し合うオシドリカップル」

「カップルにしないで下さい」

「そこに立ちはだかる、灰色の影! その名は二宮金次郎像!」

「えっと、それ計画じゃなくてもはやシチュエーションじゃ……?」


 というかオシドリカップルってなんなんだ、オシドリ夫婦的な何かか。妄想とはいえフられた相手にそういう言葉使うとか頭沸いてるんじゃないかこいつ。ぐっ、と握り拳を作りながら熱く語り始めた人体模型に向けられた視線は、あくまでも冷ややかであった。


「奴は投げた薪を100m先で飛ぶハエにぶつけられる、まさに薪の名手! さらにその薪には触れたものが数日後に不幸な事故で亡くなる呪いがかけられている!」

「うわ金次郎つよい」

「絶体絶命の人体模型、そこに彼女の声がかかる。『そんな奴に負けないで!』と。その言葉に力をもらった人体模型は――」

「……あの、帰っていいですか」

「すいません調子乗りましただから待って下さい」


 彼女が鞄を肩にかけると、人体模型は流れるように土下座の体勢をとった。その代償に内臓が少し地面に落ちた。しかし、これも人体模型が彼女の声を再現した時の裏声があまりにアレだった為なのだ。慈悲はない。

 今日で二回目になる「顔上げて下さい」という言葉にせっせと内臓を拾い集める人体模型を見下ろしながら、彼女は言う。


「あの、私、本当にもう、自殺する気とかないんで……大丈夫です」

「うーん……本当に?」

「本当です、無問題です、オールオッケーです」


 彼女はゴリ押しするように、力強く答える。

これに、人体模型は小首を傾げさせた。


「そもそも、あなたはどうして自殺しようとしたんですか?」

「えっと、その、私はそもそも自殺しようと――」

「おっと、それ以上は言わなくても大丈夫です、僕には全部分かってます」


 むくり、立ち上がった人体模型。その口元はふふふという擬音が似合いそうな微笑を浮かべている。彼女はそれを『あっ、こいつ絶対分かってねぇな』と言わんばかりに見つめた。というか、いっそ言ってやろうかと思った。


「話をしましょう。この学校の三階の女子トイレの三番目の個室には、トイレの花子さんが住んでいます」

「あっ、この学校にも居るんですね、花子さん」

「その花子さんは、『以前住んでいた学校で、三番目の個室にいなくてはいけないところを間違えて二番目の個室で待機してしまい、肝試しにきた生徒を別の意味で驚かせてしまった』ということで、この片田舎の高校に左遷されてしまったのです」

「取り敢えず、この学校の地位がすこぶる低いということは分かりました」

「花子さんはこの学校でも転校初日から間違えて男子トイレに入るというドジっ子っぷりを発揮しました」

「脳の障害を疑ってもいいんじゃないでしょうか?」


 というか、どこに話を向かわせているんだろうか、こいつは。


「さて、彼女はそこで男子トイレの太郎君に出会ました。そう、一目惚れです」

「えっ」

「それからというもの花子さんの人生は極彩色でした。前の学校を追い出されたことは悲しいけれど、彼女はもっと大切なものを見つけたのです。そう、それは――愛」

「無理矢理いい話にしようとしていませんか?」

「つまり、どんなに人生で失敗しようと、それ以上のものを見つけることが出来れば、人は幸せに暮らせるのです!」

「いや、だから私は本気で自殺しようとしていたわけではないんですが」

「……えっ?」


 顔の前で手を横に振り、違います感を全力でアピールする彼女。そこで人体模型はようやく彼女の本意に気付いたようだ。彼女としては一番初めからどうにかこうにか否定しようとしていたのだが、このスカポンタン人体模型が勝手に勘違いしてくれたのである。酷い話だ。

 彼女は嫌々といった感じで語り始める。


「私は、たしかに『図書館で遅くまで勉強していた』という風を装って職員室に図書館の鍵を返しにいって、そこでナチュラルに屋上の鍵をくすねて、『先生も大変ですね、今日は何時帰りですか?』みたいな会話で退出時間を聞き出して、見回りで放り出されないように女子トイレに隠れて、その上で足音立てないように靴下で屋上まで向かいました」

「予想以上に計画的な犯行ですね、怖い」

「でも、実際に自殺するつもりはなかったんです」

「だったら、なんでそんなことを?」

「……あの、言わなきゃ、ダメですか? それ」


 スカートを握りしめて、彼女は苦虫を噛み潰したような顔をした。そして、「大変気になります」という人体模型の言葉に、観念したように続ける。空気読んで流すなりしろよ、と心の中で盛大に悪態をかましていたのは秘密だ。


「……したかったんです」

「えっ?」

「夜の学校の屋上で、フェンスに手をかけて、『この世界は間違ってる』とか言ったり、意味深にマザーグース歌ったりしたかったんです」

「……………………」

「……………………」


 大変、気まずい沈黙が流れた。これだから言いたくなかったのだとか、というか聞いておいて沈黙するなよさっきまであんなに無駄にお喋りだったじゃないかとか、いろんな考えが浮かんでは消える。

 正直めちゃくちゃ恥ずかしい。自分でもなんでこんな痛いことをしようと思ったのか、甚だ疑問であった。深夜テンションで計画を思いつき、魔がさしてこうなったのだが、取り敢えず数時間前の自分を抹殺してやりたい気持ちでいっぱいである。

 人体模型は何やら引きつった笑顔で言う。諭すようなその表情が寧ろ心に来た。


「ま、まぁ、人生に一度はそういうことをしたくもなりますよね、うん! アレですよ、若気の至りって奴!」

「無理に慰めようとしている感じがすごいですね」

「いやはや、自殺する気じゃなくてよかったです、何よりです! これからもその調子で強く生きて下さい!」

「今し方負った傷心もあって今すぐ自殺したい気分なんですが」

「大丈夫です、例え世界が間違っているように感じても、僕はいつでもあなたの味方です。アンチクックロビンです」

「的確に心を抉らないで下さいっ!」

「あうち」


 彼女は顔を真っ赤にして、思わず鞄で人体模型を殴ってしまった。黒歴史を掘り返されることに対して、人間というのは非常に脆いのだ。仕方あるまい。

 数秒おいて熱が冷めて、流石に突然殴り倒すのは悪かったか、とも思い至ったが、人体模型はといえば「これが愛の鞭……!」とよく分からないことをのたまっていたので、この際罪悪感はポイ捨てすることにした。なお、この際小腸辺りが、がこんと外れた。


「えっと、そういうわけなんで、私、帰ります」

「そうですか。……ところで」

「はい?」

「その、この数十分で僕たちの仲は大きく前進したと思うのです。いろんなことを語りあって、いろんなことを打ち明けて。僕たち、お互いのことを告白した時以上に知れたと思うんです」

「まぁ、私にとっては、前進というよりかは正面衝突事故ですが」

「それで、です。さっきはフったけど、この数十分で僕のこと好きになってたとか、そういうワンチャンありませ――」

「それはひょっとしてギャグで言っているのか?」


 真顔だった。

言葉を被せる辺りに彼女の『絶対に全力で否定してやる!』という決意が窺い知れた。余談だが、彼女の好みの異性のタイプは、一見冷徹そうでそれ故彼をよく思わない人間も多いが、実は不器用なだけで根は優しいとかいうアレである。『彼は本当はそんな人じゃない!』とか言ってみたいお年頃である。


「ほら、よくあるじゃないですか。最初はそうでもなかったのに、二人の時間を過ごす内にだんだん心惹かれて行くとかいう展開」

「いや、本当に無理なんで……あなた顔も平凡の上にグロいし、なんか言動もムカつくんで、彼氏とか、ほんと考えられないんで……」

「なかなか辛辣ですね。まぁ、物理的にも精神的にも丈夫な心臓こころの持ち主である僕はこの程度ではへこたれませんが」

「寧ろ傷ついて下さい」


 何故だか胸を張って――その際に押し出された肺が見事に転がり落ちたので、人体模型は先ほどの小腸と合わせて拾い上げていた――答えてみせた人体模型に、彼女は鋭く突き返す。


「というか、私、そもそもあなたが私を好きな理由がそこまで理解できていないんで」

「でも、顔が好きです、とか言われるより堅実な感じあると思うんですが」

「人体模型ってどこで美人美形を判断してるんですか……?」

「うーん、内臓の色の鮮やかさとか?」

「人間からしたら物騒ってレベルじゃないですよ、それ」


 彼女は一つ溜息をついた。これではっきり分かった、自分がこの人体模型に惚れる理由は恐らく皆無通り越して絶無だろうと。


「あっ、どこにいくんですか?」

「実家に帰らせて頂きます」

「女性の夜歩きは危ないですよ、ここは僕がエスコートを」

「遠慮します」

「またまた」

「いや、本当にいいんで。ノーセンキューなんで」


 腕でバツを作るというオーバーリアクションで否定すると、人体模型も「まぁ、そこまで仰るのなら……」と渋々従った。なんというか、ドッと疲れた。早く帰って風呂に入ろう、今から帰ったら十時回るかな、そこから夜ご飯食べて、明日の支度して――あぁ面倒くさい。

 鬱々とした気持ちで、何やらとびきりの笑顔でこちらに手を振ってくる人体模型を華麗にスルーしながら、その横を通り過ぎた。なんというか、彼女の頭の中にはもはや『人体模型が動いて喋っている』ことへの驚きは完全に消え失せていた。寧ろ明日目を覚ました時には「人体模型が喋るわけないじゃん」と自分自身を納得させるであろうレベルで、人体模型のことを記憶の外へ叩き出そうとしていた。

 扉の奥、眼下には真っ暗な学校の廊下が見えた。普段なら不気味に見えるその空間も、今の彼女にとっては「あっ、そう」といった感じで。彼女は白靴下を滑らせながら、静かに屋上を後にした。


 *


「あっ、そういえば」


 彼女が去った後の屋上。彼女の後ろ背にもにっこにこで手を振りまくっていた人体模型であったが、どうやら何かに気付いたようだ。


「この時間、僕以外の学校の怪談も動き回ってるのですが、大丈夫でしょうか。すっかり伝え忘れていました」


 顎のところに手をやって、困り顔の人体模型。これが美男子ならば、月光を背景に物憂げな表情を浮かべるという絵が完成するのだが、残念ながら彼は人体模型である。顔はすこぶる平凡というかクオリティが低いというか、太眉で目が小さく色白というか。まぁ、気味悪い情景でしかなかった。これが顔面格差である。

 さて、思い悩んでいた人体模型はふいに「はっ!」という声と共に、いかにも何かを閃きましたという顔をした。


「学校の怪談に絡まれている彼女を颯爽と助け出したら、彼女も僕に振り返ってくれるのでは――!?」


 正直なところ、彼が人体模型である限り印象は良くなっても恋愛対象にはなりえないのだが、そこは人体模型の浅はかさである。彼の取り外せるタイプの脳味噌には、人間とそうじゃないものとの溝なんて、全くインプットされていないのだ。


「よし、そうと決まれば有言実行善は急げ! 待ってて下さい、美穂さん! 必ずあなたを惚れさせてみせますっ!」


 そう、この人体模型、一人こっくりさんという大変ボッチ臭が漂う方法を用いることで、彼女――美穂の個人情報を粗方入手していた。十円玉の代わりに理科準備室に収納されていた分銅を使ったにも関わらず仕事を遂行してくれた辺り、この地区のこっくりさんはかなり優しいと見えた。

 この人体模型は、それくらい美穂に対してマジになっているのである。こういうタイプは無自覚にストーカーになることがしばしばだ。やばい。


 人体模型は、凄まじく綺麗な競争フォームで屋上を走り去っていった。

はてさて、美穂の運命はどうなることやら――女子高生のくしゃみと共に、学校の夜は更に更けていくのであった。


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