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料理長!

食べてください!総料理長!

作者: 色輝


 ―――僕は今、自分が人生の境目に立っているのだと悟った。

 繊細なレリーフの椅子。その足に両足首がくくりつけられている。少しでも立ち上がろうとすると、ベルトと背凭れを繋ぐ黒光りするそれが、じゃらりと不協和音を奏でた。


 目の前のテーブルには、曇りのない銀色のカトラリーが使われる時を待ち、白いテーブルクロスとのコントラストが絶妙な、芳醇な香りの液体を身の内に湛える、透明なグラスがある。液体は、真っ赤だった。それこそ、血のような赤い赤い――…深い色合い。

 顔色をなくし、悲痛な表情だろうとどこか他人事のように頭の隅で思った僕は、カラカラと渇いた喉を唾を飲み込み鳴らし、赤い液体をじっと睨んだ。――飲んでは、いけない。あれは、喉の乾きを潤すものではない。


 僕は、別のグラスに注がれた水を、一気に飲み干す。――これで何杯目だろうか。無くなればすぐにそばに立つ黒い見張りが中身を満たすので、分からない。

 ―――悪魔め。

 僕は、何度目になるか分からない悪態を、内心吐きこちらを見る男達を睨んだ。


 うっとりするような、教養のない僕ですら感心してしまう美しい洗練された内装とは裏腹に、計算された乱反射の柔らかな光を降らすシャンデリアの下は、鬱々とした空気に満ちていた。暗鬱とした、妙な緊張感の漂うその空間は、震えるほど嫌だった。

 じっとりと肌に浮かぶ冷や汗と、手のひらの汗。周りの悪魔達も、プロ故に決して表には出さないが、僕とはまた別の意味で冷や汗を浮かべているだろう。

 ちらりと見た、見張り達とは違う白い格好の、この場に漂うピリッとした空気の作り主達は、今にも倒れそうなほど脂汗の浮かぶ白い顔で、震えていた。それを見て、漸く少し溜飲が下がったが、それも所詮気休め。―――悪魔の所業は、まだ続いているのだから。僕はせめてもの抵抗として、白い悪魔達を睨み付けた。


 ―――そして、時は来た。悪魔の饗宴のラストを飾る、災厄が。もう、逃げられない。


 僕は目を閉じ、唇を噛み締めて柄にもなく神に祈る。

 決して多くは望みません。高望みはしない。ただ生きて帰れれば、それで構わないんです。だからせめて、せめて!



 ―――口にしていい物でありますように!



 僕、ハリーこと飯塚いいづか玻璃はりは現在、勤務先であるレストラン『アヴァロン』にて、新しいコースメニューの試食をやらされている。



 ……僕だって、逃げたよ? 出勤前の恒例行事――こっちは本気なので不本意だが――の逃走劇を終え、えっさほいさと連行された先で、地獄への片道切符を渡された。つまり、試食を通達されたのだ。

 前に、今まで以上に本気を出して雲隠れしたからか、今回こいつらは事前に僕の了承は得ず、ぶっつけ本番で言ってきやがった。心の準備がッ! だが、縛られ繋がれては流石に逃げ出せない。椅子ぶっ壊してもいいが、かなり高いらしいので躊躇う。これが安物だったり誘拐犯のだったりしたら問答無用で破壊していた。くっ、小市民の自分が憎い…っ!


 前菜から始まり、すでにデザート以外は乗り越えた。そして、白い悪魔(※シェフ)が作製したそれを、黒い悪魔(※ボーイ)が僕の前に静かに置いた。


「お待たせ致しました。デザートのガトーショコラでございます」


 待ってない、全然待ってないよ! 寧ろこなくてよかったよ!

 目の前の物体をガトーショコラ…ケーキと認めていいのか。いや、良くない。こんなの、ガトーショコラじゃない!!


 嫌悪通り越して最早無表情となった僕は、その物体Xを見下ろす。

 本来、しっとりふんわりしているはずのケーキ。だがこれは、分離した生クリームが添えてある粒の大きな砂糖の大量に掛かった、が……岩石、だよなあ。どう見ても。


「おい、岩を出すとはどういう了見だ」


 まさか、異世界は岩も食材なのか? というか、そうであってくれ。

 だが無情にも、困り顔のボーイは僕の希望を言い辛そうに打ち砕いた。


「いえ……あの、岩ではなくガトーショコラです」

「うっえっ、酷いっすよおししょお〜…!」


 泣いてるのは、デザート部門のチーフだ。他部門のチーフはすでに泣き崩れている。しかばねるいるい。

 あれは無視し、フォークを持つ。くっ、治まれ僕の右腕! 悪魔が暴れてやがる、震えが止まらねえ…ッ!

 ちゅうにごっこを内心繰り広げながら、僕は岩…基、ケーキを刺した。


「うっ…」


 て、抵抗感が凄まじい。硬いのにボロボロと崩れるのはぼそぼそでパッサパサな証拠。決して僕のマナーが悪い訳ではない。いやほんと。

 ああ嫌だ、もう嫌だ。いーやーだあああっ!


「ううぅ〜……っ」

「ほら、食べてください! 総料理長!」

「ふぐっ!?」


 フォークを皿に置いて手を離したら、ボーイがそれを持って僕の口元にケーキを運んだ。全く崩れないのは、やはり僕のマナーが悪かっただけか?

 そう思ったのは、間違いだった。


(うっ……)


 意を決して口を開けケーキを含んだ瞬間、一瞬で水分を全て持ってかれた。しっとりしているはずの食感は、ぼそぼそでざらりと舌触りが悪い。上に掛かった砂糖は普段家庭で使うような普通の砂糖で粉砂糖ではないので、少し粒が大きく一体感がない。しかも口内の熱で溶けた砂糖は、このえぐったらしいケーキの味を更にくどく悪い方に引き立てた。

 え、味? そうだね、チョコレートの苦味とくどい甘さが互いを引き立て合い、まさに暴力的な味。そのままな意味で。口内の水分もなく、込み上げる胃酸を暴力と共に強引に飲み込み、水を一気飲みした。ワインは飲まない。喉渇くし。

 三杯飲み、漸く吐き気は消えた。時々思い出したようにえずき、ぐったりと椅子に寄り掛かる。ハイライトのない死んだ目をしているだろう僕に、料理長の一人が近寄ってきた。総料理長とは僕のために作られた地位であり、それまでは料理長が二人と副料理長が三人トップにいた。つまり彼は元トップである。


「総料理長、いかがでした、か?」

「……」


 チーン、と音が聞こえそうな僕の様子に引くのではなくおろおろしているのが気配で分かる。涎を垂らすアホ面を人に晒すなんて嫌だが、今は諦めよう。無理、色々無理。つーか、よくこんなもの今まで店に出してたな!


 地球とこの世界では、多少食材に差はあれど、料理はほぼ同じだ。おにぎりもガトーショコラもプリンもハンバーグも、慣れ親しんだ料理がある。但し、モドキが付くが。こんなん料理への冒涜だ。少なくとも僕にはそう思えるし、ぶっちゃけ地球のとは全く別物にしか見えない。

 このガトーショコラ。名前こそ有名なチョコレートケーキだが、中身は……言葉に出来ない。取り敢えずこんなものケーキとは認めない。

 僕はすぐに拘束を解かせ、厨房に足早に向かった。口直しのガトーショコラを、美味しいワインと食べよう。このアヴァロンは、流石バカ高い金を取るだけありお酒も厳選された一級品ばかりだ。酒豪ってほどではないが、お酒は好きな僕。今日は好きなの飲んで良いと言われたので遠慮なく飲んでやる。料理はクソ不味いのに、お酒は美味い。不思議だよなあ。


 お菓子もたくさん作ってきた僕だが、流石に分量までは覚えていない。きっちり計らなければならないので、僕は相棒を取り出した。

 真っ先に覚えた上級魔術の亜空間倉庫に常に入れいつでも取り出せるようにしているのは、向こうから持ってきた数少ない荷物の、ノートパソコン。誕生日に姉から贈られたこれには姉により大量のレシピが保存されていて、こちらに来てからは充電要らずで超頑丈で僕以外は使えず、こちらのネットにも地球のサイト(書き込みは出来ない。閲覧オンリー)にも接続出来る魔具化したテラチートパソである。

 これのお陰で、僕は今まで生きてこれた。基本目分量でズボラな僕だが、ちゃんとした分量とレシピが分かれば美味しい物が食べられると知り涙した。作るのは自分だが、他人のレシピで他人の料理を食べてる気分になれるのはいい。


「ガトーショコラ……あー、プリンも食いたい」


 お菓子作りは面倒だから普段やらないんだよね。甘い物は嫌いじゃないが、目がないってほどではないから食べなくてもいいし。

 いっそどちらも作るか、と勝手知ったる店の厨房とばかりに動いて材料を集めた。


 ふんふんと鼻唄を刻みながら作っていく。…何かやる度に、どよめきと感嘆の声が上がり、鼻唄は次第に消えた。

 ちらっと肩越しに入り口を盗み見る。厨房口の左右に頭が積み重なり……なんてーの、トーテムポール? みたいな感じになっていた。…怖いんですけど。

 何作ってるの? いっぱい作る? ぼくたちの分もある? どうやって作るの? 何でそんなの使うの? その技法はなあに? 教えてししょー!

 僕には、彼らのキラキラ、うるうる、子犬みたいな純粋な眼差しからそう聞き取った。華麗に見なかった事にして、作業再開。後ろで起こった嘆きは無視である。ムシムシ。



 ガトーショコラは、あとは二十分ほどで焼き上がる。プリンは、冷やし固める事にし、作業は大体終わり。因みに、オーブンはでっかいのが三つもあるんだぜ。すげえよなあ。

 その間、僕はチーズをツマミにワインを開けた。チーズは普通にうまうまです。で、ダメ出し。もうね、ボロクソ言いましたよ。



 つーかね、僕は昨日一日オフで、一日中ゲームして過ごし指導は一切しなかったが、なんか前より酷いような気がする。一日味見せずにいたからかなあ? 毎日口にして慣らしてたから、それ怠けて……マジか。

 大体ね、レシピ書き出して渡したじゃん。ほら、大分難しい技術とやらを削りまくった、超簡単なレシピ。あれ見ながらなら小学生だって作れるわっ、って奴。君達さ、それを作るに辺り良さげな補助器具の相談してきただろ? 秤や計量カップは書いといたのにさ、ハリーさんは他にどこをどう補助するのさって思います。君達の技術力の低さにはハリーさん、ビックリだよ。料理業界が百年進歩って、ハリーさん思わず鼻で笑っちゃったよ。いやいや、寧ろ遅れを半歩取り戻したかも怪しいですから! って。くふっ。


 あの前菜は何? カルパッチョが何であんなに酸っぱいの。何であんなにくどいの。スープもドロドロじゃん。滑らかとは程遠いよ。サラダもなあに、あのドレッシング。クソまじぃーわ!

 魚料理は、臭い。ちゃんと臭み消しの下処理やハーブの使用しなかったろ。ソースは苦味とえぐみが全面に出てた。肉料理は兎に角焼きすぎ。ハリーさん言ったよね? おまいらはやり過ぎんだって。玉ねぎ飴色になるまで炒めろって言って真っ黒に焦がした時に、火加減には気を付けろって。魚は焼きすぎてパッサパサ、肉は硬くて肉汁なし。火加減はどうちたのかにゃ〜? ちゃんと脳みそ詰まってまちゅかあ〜? 魚か肉かは選ぶんだっけ? ハリーさんだったらどっちにするかすげー悩むよ。どっちも最悪だもん。

 メーン料理はチーズリゾットだったけどさ、チーズの暴力的なまでの味しかしなかったぞ。しかもお米、べちゃべちゃでなのに芯が残ってるって何で? それと米の旨味もない。確かにハリーさん、前に米はちゃんと研げって言ったけどさ、やり過ぎたら米の旨味も流れちゃうって言ったよね? ねえバカなの? バカなの何なの死ぬの? ねえ。

 そんで、デザート。何あの岩。砂を固めて作ったのかにゃ? だったらよく出来てるが、やるならお砂場でやっといで。ハリーさん口の中がジャリジャリするケーキ初めて食べたよ。生クリームも分離してたし、食べる気はしなかったなあ。

 ねえねえ、君達ハリーさんになんか恨みでもあんの? 一応口に出来るレベルだったけど、正直ギリギリだよ? ハリーさんだったら、餓死寸前それしかないなら仕方なく食べるレベルだね。ねえお分かり? 何泣いてるの? 今のハリーさんの言葉は一字一句そのツルツルの脳みそに刻みなさい。いい?


 まあ泣くな。おまいらにはハリーさん、期待してるんだよ? そう、期待。何意外そうな顔してんの。期待してなきゃこんな事言わないよ。そう、ハリーさんはおまいらに期待してるから、超スパルタ指導だってやるんです。おまいら、ハリーさんに期待されてるんだから勿論応えるよな? 嫌ならもう明日から来なくていいと、ハリーさんは思います。

 うん、そうかそうか。良い子だねおまいらは。ハリーさんは嬉しい。嬉しいからちゅーしちゃう。ちゅー。


 ……あ、ケーキ焼けた〜。うん、良い匂い。あとは冷まして仕上げの粉砂糖掛けるだけ。生クリーム作るか。


 ……よし、出来た。ああおまいら。ハリーさんワインでお腹いっぱいだから残りはおまいらで食べな。うん? ハリーさんは一切れで十分だ。甘いのは嫌いじゃないが元々いっぱいは食べられないから。なら何で五ホールも作ったかって……分量間違えちゃったんだよ。言わせんな恥ずかしい。しょうがないから、おまいらに分けてやる。別におまいらのためとかじゃないからな、勘違いすんなっ。

 あ、プリンも好きにしろ。まあ全員分あるかは知らんけどな。…ああそう、ピッタリか。ボーイ含めて? そうかよ。…何だよ、偶然だよ止めろ師匠コールすんな恥ずかしいな! おい、だからって名前でやるなコール自体止めろバカ!


 おいおまいら、ハリーさん怒ったから。超スパルタを超絶スパルタに……え、何でそんなイイ笑顔なの? マゾ? マゾなの? …いや、ハリーさん限定の下僕とか、反応に困るんだけど。キモい。…何てぶれない超笑顔……このドM共め。


 じゃああれな、一時間後今日の料理のお復習さらいだから。てめえら寝られると思うなってそこ! 頬染めんな気持ちわりい!

 じゃあハリーさん、食べたら少し休むから、時間来たら起こして。怒鳴ったら頭痛くなった……。




「起きてください、ハリー様」

「んう……」


 優しく揺すられ目が覚めた。ぼんやりする視界に、甘く整った顔が映った。いくらイケメンでも、起こされるなら女の子がいいなあ。

 アホな事を思いながら体を起こすと、頭がガンガンした。ぐふ……二日酔いか?


「おはようございますハリー様。一時間経ちました」

「おお……」


 あー………ああ、確か僕お菓子作ってワイン飲んで……うう、流石にボトル一本空けたのは失敗だったな。自慢出来るほど強い訳じゃないから。

 記憶は飛ばないが、……あーまた悪い癖が出たか。顔合わせ辛いなあ。


「さあハリー様参りましょう!」

「うっ……ばかやろ、大声出すな頭いてーんだよ…」

「はい申し訳ありません!」


 だから声でけーんだよ。ぎろりと睨んでやれば、何故か頬を染め嬉しそうに……え、何で?

 何だか背筋がぞわりとして、すぐに顔を逸らした。き、気のせいだよな、うん。

 魔法で産み出した水球に顔を突っ込み、濡れた髪も魔法で乾かした。そしてさっさと一人で立ち厨房に向かう。酔った勢いでした約束とはいえ、僕が言い出した事だしな。…後ろで、これが放置プレイ…っ!? とハアハアしてる奴は無視だ無視。



 ―――その後、二日酔いとボーイのM疑惑に苛々し、いつもより毒舌が飛び交う特訓は一晩中続いた。この日以降、コック達が若干怒られるとうっとりし出したのは、見て見ぬふりした事実である。褒めるともっと喜ぶので、別にMになった訳じゃないだろ、うん……うん。




ハリーは酔うと一人称がハリーさんになる。ハリーの酒癖は結構悪い。キス魔でサドっ気が強くなる。そんでちょっとツンデレ。


ハリーは 下僕(M属性)を 手に入れた!

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― 新着の感想 ―
[一言] ハリーさんの続編すごく読みたいですー!気になります!! いっそ、長編で書いて欲しいぐらいです。食材探しや信者量産のドラバタコメディ期待してます!
[気になる点] >誘拐犯のだったりしたり問答無用で破壊していた。 したら >クソまじぃーは! わ じゃろーに >やり過ぎたら米の旨味もない流れちゃうって言ったよね? ない が余分 [一言] >カラ…
[一言] ドSハリーさん大好きです★ 私も食べる方にはうるさい方なので、この世界にトリップしたら死んでしまう…! ハリーさん、一刻も早く世界に料理革命を起こして下さい!
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