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宵待月  作者: Shall
1/5

~始まりは、満月の夜に

今日は満月。


月明かりに、くっきりと家々の屋根が浮かび上がって見える。

空に漂う、雲さえも。


両手を合わせて、指を組んだ。

月を見つめ、小さな声で。


「もう一度、話が できますように…

 もう一度、仲の良い友達に 戻れますように…

 もう一度、あの笑顔が見られますように…」


 思い出す。

「おはよう!」

って、優しい笑み。

 

はあっため息をつく。立ち上がると、机の上のミルクティーを 手に取った。

もう一度、窓際へ行き 椅子に腰を下ろす。


月を見ながら、カップに唇をつける。

大好きな香りと共に一口。


「おいしい。」

カップの中を見た。


今日のミルクティーにはこだわりがある。

専門店で買った、アッサムのオレンジペコ。牛乳は低温殺菌乳。


1手鍋でしっかりと紅茶を煮出す。

2冷たい牛乳が入った、カップに注ぐ。

猫舌用スペシャルミルクティーの出来上がり!


明日は、一日楽しく過ごせそうだな。


コクンコクンと、勢い良く飲み込む。

「ふうっ。」

小さく息を吐く。

半分くらい残った、ミルクティーを見つめた。


2学期始業式。

ずうっと好きだった透に、想いを伝えた。

 でも。

「友達以上には思えないから。」と、あっさり。


透とは、高校に入学した時 席が隣同士で。すぐに仲良くなった。

同じクラスの 浅野小春と角田要と、4人でつるむ仲になった。


気付けば、いつの間にか恋してた。


1年生の頃は側にいられればそれで良かった。

2年生、別のクラスになった。だからか、想いは日ごとに膨らんで。


押さえきれなくなった夏休み。

告る勇気が出たのは、夏休み終わり頃。


後悔。


どんな結果でも、後悔なんてしないと決めていたのに。

ふられて以来、恥ずかしくて顔が合わせられない。


「はあっ。」

ため息と共に、カップを口に運ぶ。


「よおっ。」

よおっ?

顔を上げると、夜の真ん中に人。


人?


「ひ、人っ!?」


ここは2階。人が立っている場所の真下は、道路のはず…


「だ、誰…?」

パニクった口が、勝手に動く。

聞きたいことは、そんなことじゃないのに!


「ただの通りすがり。」

人が、すうっと杏の方へ近寄ってきた。

 それは、若い男。


「失礼。」

そう言って、男はふわっと軽く飛び上がり、窓枠に腰を下ろす。


杏は、カップを持ったままの格好で、固まる。そして、そばに座る男を見つめる。


男はにこにこっと笑うと、杏の手の中にある物を指さす。

「それ、何?」

「ミ、ルクティー。」

かすれた声で答える。

杏の目は、男に釘付けになったまま。

頭の中では、必死に考える。


「誰か来てっ!」とか、「不審者がいる!」と叫んだ方がいい?

でも、話しかけられただけだし。


けど、何かあってからじゃ遅いよね。


でも、何もされてないのに、不審者扱いは失礼かな?


けど…


「それって、飲み物でしょ?一口もらっても、良い?」

「こ、これは…」

飲みかけだから、と言おうとしたのに。


男はさっと、カップを杏の手から奪い取る。そして、優雅な仕草で口元へ運ぶ。


「うん、おいしい。これ、何て言うんだっけ?」「ミ、ルクティー…」

「ミ、ルクティーね。ふーん。」

男は、再びカップを口へ。


杏は、コクンコクンとのどを鳴らして飲む姿に じっと見入っていた。


なんて、きれいな人だろう…。


思って赤くなる。

男の人に対して、何を思ってるんだか。

 でも。


白めの肌。赤茶の髪と瞳。整った目鼻立ち。長いまつげ。長い指。


さっき、宙に浮いてた気がした。もしかして、天使だったりして…。


でも、着ている物は白い衣でなくて、黒の暑そうなロングコート。


横顔が、杏に向く。

「ごめん。あんまりおいしかったから、全部飲んじゃった。」


差し出されるまま、 空のカップを受け取る。

なぜだか、いきなり恥ずかしくなる。赤くなって、視線を逸らす。


きっとさっき、きれいだなんて考えたせいだ。今、襲われたら確実にアウトだろう…


そう思うのに。全然、危機感はない。


目の前の男には、動く様子はない。ただ、にこにこと微笑みながら、杏を見ていた。


「ねえ、名前は?」


唐突に、何を言い出すんだろう。

名前を聞くときは、自分から名乗るもんだ。


じゃなくて、答えなきゃだめなんだろうか?こんな、通りすがっているだけの人に?


脳と体は、別回路らしい。

「相田、杏、です…」


 名乗ってしまった…


男は「ふーん。」と空を見上げた。

きれいな、きれいな、満月の浮かぶ空。


杏は、ふと思う。

この距離なら、いきなり腕をつかんで、外へ引きずり出す事なんて簡単だよね…


少し、後ろへ下がる。

…ばかばかしい。だったら、今すぐ部屋を飛び出して、父母の部屋へ走り込めばいい。


それをしないのは、きっと。

月を見つめる横顔を、ずっと見つめていたかったから。


男は一度杏を見ると、再び月へと視線を戻す。

 腕組みをして。

「名前、忘れちゃったみたい。」


「は?」

杏は首を傾げる。同じように、目の前の男も首を傾げていた。


首をあっちへひねり、こっちへひねり、あごに手をやりながら。

「何だったかなぁ。」

口をへの字に曲げ、眉をひそめる。


本気、なんだろうか?


「かれこれ50年近く名前なんて、名乗った覚えがないもんだから…」

ははは、と男は無邪気に笑う。


目の前に見える姿は、せいぜい25歳程度。

何を言ってるんだか。

「も〜う少しで、思い出せそう。」

笑顔の男が再び腕組みをして、うーん、と月を見上げた。


一体、何なんだろうこの人は。

突然現れて、人のミルクティーを飲み干して、名前を忘れたなんて、変な人。


杏はじろじろと観察を始める。

今までは、この異様な雰囲気にのまれっぱなしだったけど。


ようやく、慣れた。


一番、目を引くのは、体を包む黒のロングコート。よれよれで汚い。

残暑厳しいこんな夜は、見ているだけで汗が出てくる。


左の耳には、赤いピアス。似合ってる。


瞳と髪は赤茶色。瞳の色は、髪よりもずっと濃い。すごく、きれい。


「やっぱ、思い出せないな。名前、適当につけてよ。」

「適当!?」

名前を思い出せないから、適当につけてくれなんて話、聞いたことがない。


にこにこと、男は期待いっぱいの顔。

杏は、どうしたらいいかわからない。


「確かさぁ。」

杏が困っているとわかってか、本気かわからないけれど。


「どこかに那っていう字がついた気がする。那覇の那。」

「那、ですか?」

思わず、考え始める。


が付く名前。

かな、はな、みな、なな、まな、なるみ…女の子ばっかり。

男の名でがつく?

さっぱり、浮かんでこない。


の付く名前。

考えながら、空を見上げた。満月が、ひときわ明るく輝く空。


「那月って、どうでしょう。那覇の那にあの空の月。」

満月を指さす。男が月を見上げた。


「那月ね。いいじゃん。気に入った。」

空中に、指で那月と書く。


指先から、白いインクが出ていたかのように、宙に文字が浮いていた。

「うん、いい感じ。」


杏は、その笑顔に釘付けになる。


「お礼をしなくちゃね…一つだけ、願いを叶えてあげよう。」

「願いを、叶える?」

那月は、笑顔のまま頷く。


願いを叶えてくれるというのは、

「ジュース飲みたい。」 と、言ったら買ってきてくれるとか、

「宿題やって。」

 と、言ったらやってくれるとか、そういう事?

「まあ、大抵のことはしてあげられるから。言ってみてよ。」

「ちょっ、ちょっと待ってください。突然そんなこと言われても…」

那月は興味津々で、杏を見つめる。


杏は、見つめられて恥ずかしいやら、突然のことに驚いているやらで、全く、考えがまとまらない。


赤く、熱くなってきた頬に、両手を当てる。


「早く。願い事の、一つや二つあるでしょう?」「じゃ、じゃ、じゃあ、今日の宿題やってください。」

焦りのあまり。


「宿題?」

那月の目が点になる。 しばらく、何を言ってるんだろう、という顔で杏を見ていた。


「宿題って、何?」

「べ、勉強です。」

「勉強!?」

すっとんきょうな声に、おずおずと杏はうなずく。


「勉強なんてさ、自分でやんなよ。

 そんなんじゃなくて、世界一周旅行がしたいとか、大金持ちになりたいとか、大きい願い事にしよう。」


今度は、杏の目が点。 真面目に考えた、私がバカだった。


名前を忘れたと言った時点で、思わなきゃいけなかった。

きっとこの人は、脳に少し異常がある。それでおかしな事ばっかり言ってるんだ。


早く、家に帰してあげなきゃ。


「ありがとう。」

にこにこっと、杏、精一杯の笑顔を添えて。


「私、それ以上の願いはないの。それより、もう帰った方がいいよ。12時になるもん。」

時計の針は11時54分。

クスクスッと笑いながら、那月が窓を離れる。 外へと。


やっぱり、宙に浮いてるよ!?


「もう一度、話が できますように。

 もう一度、仲の良い友達に 戻れますように。

 もう一度、あの笑顔が見られますように。

 そう聞こえたのは、気のせい?」


「嘘っ!」

杏が窓から、身を乗り出す。

「うわぁっ!」

落ちかけて、慌てて窓にしがみついた。

クスクスクス


「誰も、いなかったはずなのに…」

「俺、いたよ。」

宙にふわふわと浮きながら、那月が屋根を指さす。


杏は、顔を真っ赤にすると、窓をバンっと閉める。

鍵をかける。

カーテンを引く。


そして、その場に座り込む。

窓の下の、壁を背に。

熱い頬を、両手で覆って小さくなる。

月以外に、この想いを聞いていた人がいたなんて…


カチャン、と鍵の開く音。

からから、と窓が開く音。

そして、ガラッとカーテンが開かれる。


「その願い、叶えてあげようか。大サービスで、3つまとめて1つにしてさ。」

「からかわないでくださいっ!」

叫ぶ。


「ん?」

今、どうやって鍵を開けたの?


知りたくて、知りたくて、仕方がなかったけれど。

恥ずかしさが先で、膝に顔を埋めた。

目の前に、人の気配を感じる。

無視。


こんな時間に、話しかけてくるだけじゃなく、入ってくるなんて。

やっぱり、異常な人だよ!


「お姉ちゃん、どうしたの?」

頭の上から聞こえた声に、杏はがばっと顔を上げる。


目の前にいたのは、妹の花梨。

窓を見上げれば、閉まっていて、人の気配などはない。


「すっごい勢いで、窓、閉めたでしょ。壊れても知らないよ。」

「わざわざ、そんなこと言いにきたの?」

花梨がむっとする。


「ちらっとのぞいたら、お姉ちゃん、丸くなってるんだもん。何かあったのかと、思ったんじゃない!」


意外な言葉に、杏は少し驚く。

「…な、何でもない。」

普段は文句しか言わない花梨が、心配してくれるなんて。


少し、嬉しい。

「窓を開けて、気分転換してたの。深呼吸したら肘ぶつけちゃって。」

右肘をさすりながら、はははと笑う。


「そんなことなら、良いけど。」

あきれたような、ほっとしたような、ため息一つ 花梨は出ていく。


ドアが閉まったとたん、からからと窓が開く。

一体、どうやって開けてんの!

「あの子、かわいそうにね。まだ若いのに。もうすぐ死ぬよ。」

見上げる。


「死神がついてたよ。長くて、一週間ってとこかなぁ?」

「バカなこと、言わないでください。花梨が、死ぬわけないじゃないですか!」


那月が、再び窓枠に腰掛ける。そして、大あくび。

「良く見えたよ。花梨の後ろに、ぴったりくっついた奴。早く連れて行きた〜い、ってさ。」


「…どこ、へ?」

「そりゃ、夢の国さ。」

にやりと那月が笑う。

杏にだって、わかってた。夢の国が、どこなのか。

夢の国に連れて行かれたら、花梨とはもう、会えない。


立ち上がる。

「叶えて欲しいことがあるんです。」

「さっきの?」

杏は口を開きかけて、やめる。


那月は、少し脳に異常のある人。その人の話を真に受けて、自分は一体何をしようとしているのだろう。


那月の瞳が、杏の瞳をのぞき込む。

きれいな色…

「早く言いなよ、待ちくたびれた。」

「ごめんなさい。」


視線を逸らしながら。 きっと、今の一瞬で、催眠術にかかってしまった。


「花梨を、死なないようにしてください。お願いします。」

「えーっ、そんな事!?つまんないよ。」

 思いっ切り、嫌そうな顔。


「自分のために願おう。やっぱ、さっきのにしよう。透と仲直り。」


杏は首を横に振る。

「ごめんなさい。本気にした、私がバカでした。忘れてください。」


「はん?叶えられるよ、それくらい。俺にできないことは、多少あるけどほぼない!」


杏は、下を向く。

「いいんです。本当はできない、って言ってください。」

「できるの。でも、その願いを叶えるためには、条件があるんだよ。」


那月が、忌々しそうにつぶやく。

できない、と言われたことに、相当腹を立てたらしい。


「願いを叶えるのに、条件があるなんて話、聞いたことないです。」

顔を上げた杏が、あきれたようにつぶやく。


那月は、何かぶつぶつ言いながら、空を見ていた。


父さんと母さんを呼びに行くか。二人に説得してもらえば、帰ってくれるかもしれない。


「花梨の命を延ばすためには、ただ死神を追い払うだけじゃだめなんだ。消えかかっている、寿命を伸ばさなきゃ。」

空を見たままの、那月が。


杏は作り話がうまい、と半ば感心し、半ばあきれる。

「本当の話だよ。さっきっからさ、全然俺の事信じてないでしょ?」


…心を読まれた?

杏が、目を見開いて那月を見る。


「別に、信じなくても良いけどさ。」

那月が、杏に目を向け続ける。


「消えかかっている寿命は、何でもないのに、突然増えたりしない。だから、どこからか持ってきてくっつけないと…」

 那月は、杏に顔を近づける。


「ねぇ、聞いてる?」

「聞いてます。聞いてます。」

本当は半分、上の空。

那月さんには、私の考えてることわかっちゃうの?心が読めるの?


那月がじっと、杏を見つめていた。

「今さぁ、『どうして、考えてることがわかっちゃうの!?』とか、思ってるでしょ?」

杏の瞬きが止まる。


「思ってること全部、顔に出てるよ。」

あきれ顔。

「本当に、願いを叶えて欲しいと思ってる?」

うなずく。


 少し、ほっ。

 読まれてた訳じゃ、ないんだ。


「じゃあ、まじめに聞いて。花梨にくっつける命は、どこから持ってきても構わない。」

どんな話をしてたんだっけ…?


「その辺を歩いている人でも、杏のでも、他の家族のものでも。お勧めは、年齢の近い人。」

思い出す。寿命の話。

「もしも、私の、って言ったら、私のを全部あげるんですか?」

「うん。」

涼しげな顔で、那月がうなずく。


その辺を歩いている人、というのはちょっと無理。あまりにも無責任。

だからって、自分のを全部あげるわけにいかない。

花梨は大切な妹。死なせたくない。けれど…


「私のを、半分っていうのは?」

「やめた方がいいよ。うまくいかないから。」

たとえば、父や母なら喜んで、命を差し出すに違いない。

 でも私は…


「やめておけば?面倒くさい。人の心を、ちょいちょいっといじる方が簡単。」

 にやりと笑顔。


「透がさ、杏のこと好きになるようにしてあげようか?」

「やめてください!」

冗談じゃない。


那月は、

「ふんっ。」

と、おもしろくなさそうな顔。そして、また大あくび。


杏は、その顔を見ながら ふと思う。

「できないことはない、って言いましたよね?」

那月は、自信満々の顔でうなずく。


「だったら。私が死ないように、花梨に命を分けてあげたいって、言ったら?」

「できるよ。」

あっさりと。


「あるならあるって、教えてくれれば、良かったのに。」

杏は、ぼそっと

「意地悪な人だ。」


「そうやって、聞かなかったじゃん。」

那月がにやりと笑う。

「教えてください、その方法。」

杏、期待いっぱいの瞳で。


那月は爽やかな笑顔。「俺の言うことを聞いてくれたら、俺の寿命を杏に分けてやる。」


「分けてやるって…さっきは、うまくいかないって、言ったじゃないですか!」


そのセリフに、何故か少々期待はずれ、と言いたげな、那月。

「たとえば、杏の寿命を40歳で切って、花梨にあげたとする。花梨はあっという間に、40歳のおばさん。どう?」


杏はふんふんと、うなずく。

「だから、年齢の近い人がいいんだ。」


「俺の寿命は、人間の10倍くらいはあるらしい。杏に、百歳分あげたって命は余りある。」


杏は、まじまじと那月をみる。

やっぱり、せいぜい25歳くらいにしか見えないけれど。

 本当は何百歳、なの?

那月は、わくわくしたような笑みを浮かべて、何かを待っている。

しばらく、じっと。

「あーっ、もう!」


しびれを切らす。

「もっとさ、俺に聞かなきゃいけないことがあるでしょ?」

「聞かなきゃいけないこと?」


何か、あったっけ…?「あ、わかった。歳は、おいくつなんですか?」 ぽんっと手を打って。

「違う!」

 考える。

「…どうして、ここに居るんですか?」

「違う〜。」

那月はあきれ顔。


「もしかして、都合の悪いことは聞こえない耳?ただで、大事な命なんかあげないよ。」

杏の、ほけっとした表情に、那月はがっかり。

「杏が、俺の言うことを聞いてくれなきゃ、命はあげないよ。」

「そうだそうだ、そう言ってた!」


思い切り、ため息をつく那月。

危ない危ないと、冷や汗を拭う杏。


「俺の言う事って、何ですか?」

那月はにまっと、嬉しそうな笑顔。


「契約してもらう。血の契約。絶対に破れない、ね。破れば、待つのは…死のみ。」

冷笑。


「俺からは命をやろう。杏の人生を、生きられるだけの命。杏からは…」

「何ですか?」

つばを飲み込む。

胸が、どきどきと高鳴る。


杏を見つめる那月は、先ほどの冷笑と、まるで違う表情。いたずらっ子のような、笑み。


「内緒。大したことじゃないさ。」

「教えてください。そうでなきゃ、怖くて契約なんてできません。」

「じゃ、花梨は死ぬね。それとも、死ぬのは杏かな?」

笑みのまま。


この人は、天使なんかじゃなくて、悪魔なのかもしれない。

人の命をあっさり、ああしよう、こうしよう、だなんて。人を一体、なんだと思っているんだろう!


「わかりました。」

「オッケー。じゃあ、まず契約!」

弾んだ声。


「左手出して。」

と、言いながら、那月は手を差し出す。 杏も同じように手を伸べる。


その手は、差し出された那月の手を通り越す。

そして、那月の肩を思い切り、外へ向かって押し出した。

押された那月の体は、ふわん、と外へ。


杏は慌てて窓を閉め、鍵を掛ける。カーテンを引いて、その上から鍵をぎゅっと押さえた。


「何するんだよっ!」

外からの怒鳴り声。


無視。

「後で泣いてすがって来たって、もうおまえなんかの前に、出て来てやんねーからな!」


杏は、しばらく鍵を押さえたまま。


数分後。

ちらっとカーテンを開け、外を確認。

 いつもと変わらない、外の景色。


そーっとカーテンを開け、窓を開ける。


暑かったぁ。

窓から顔を出し、右を見、左を見、上を見る。

何もない。

 からからと、網戸を引いた。


ふうっと、小さく息をつく。

机に目を向けた。

数学の宿題、やりかけだった。


椅子に座り、机に向かう。シャーペンを手に取った。


思い出す。今、起きたこと。

那月のこと。花梨のこと。契約の話。


あの人の言ってたことは、全部、嘘に決まってる。だって、あの、人を見下した態度。


…腹が立つ!

 二度と会いたくない!!


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