【29日目】 3月14日(土) ホワイトデー
女子って、面倒だと思う。
クラスはいくつかのグループに分かれていて、まるでどこかに属してなくちゃいけないみたいな雰囲気で。
ひとり、ぽつんとしてる子を見ると、私はカッコイイなと思うけど、表向き、淋しそうだよね、なんて言っちゃう。
だからって、その子に話しかけるわけでもなく、グループに属している自分を彼女よりどこか誇らしく思っていた。
だけど、本当はそんなのイヤだった。
だって、興味のない話も、それなりに合わせなきゃいけないから、好きじゃないドラマやマンガも、話題についていくために見なきゃいけない。
もちろん、それが心地良かったり、楽しいときもあるんだけど。
結局ひとりになる勇気なんかない私は、あの日からもアミの横にいた。
ケンカの原因を、まわりの子たちに知られるのは、絶対にNGだった。
騙したアミを誰もが批判するのは目に見えていたけど、影でこっそり笑われるのは私だから。
だから、みんなと一緒にいるときは、何もなかったみたいにおしゃべりをした。
「いらっしゃいませ」
店に入ってきたのは、違う学校の制服を着たカップルらしき男女。
楽しそうにしてるのを見てると、以前よりもずっとムカつくけど、その理由を考えるともっとイライラするから、私はふたりから目を逸らした。
だけど、逸らした先は、バレンタインより随分控えめなホワイトデーの催事スペースで、むしろ気が滅入る。
本当はバイトも休みにしてもらっていた今日だけど、パートのおばちゃんの都合が悪くなったとかで、急遽出ることになった。
でも、予定のなくなった私には好都合で。
最悪最低のあの日、アミからきたメールは、ただ理由もなく、ごめんねの繰り返し。
高橋がきちんと私に説明するから、アミは謝る以外どうすることもできないのだと言っていた。
その高橋は、メールや電話じゃイヤだから、ちゃんと話したいとメールしてきたけど。
私は、一度も返事をしなかった。
放課後、狙ったように話しかけられても、あえて丁寧に目を見て話したくないと断った。
そうしているうちに、いつの間にかクラスメイトの間では、高橋が私のことを好きだという噂が広まって、そのせいなんかじゃないと思うけど、高橋は今日、学校を休んだ。
思い出したくないことばかりが頭に浮かんで、私はレジのボタンをぼんやり見つめながら溜息をついた。
「ユキちゃん、お疲れ。急に出勤になったけど、大丈夫?」
「あ、はい。全然ヒマなんで」
現れた白石さんに、私はちょっとだけ癒やされる気がした。
今さらだけど、やっぱり結果が見えていた白石さんにチョコを渡したほうが良かったのかもしれない。
本当に、義理ですから! とかなんとか言っておけば、オトナな白石さんなら、ちゃんとそれなりに接してくれたんじゃないかと思う。
少なくとも、こんなに複雑な気持ちを抱えずに済んだはずだ。
そう、こんなにもどうしようもなくて、嫌な自分を知らずに済んだ。
「余計なことかもしれないけど、彼と、ケンカした?」
ぴくりと肩が動いて、反射的に白石さんを見上げた。
図星だといわんばかりの態度しか取れなくて、とりあえず両方の口角を上げてみる。
だけど、強張った頬がぴくぴく引きつって、さらにぎこちなく俯いた。
「ごめん。いや、この二、三日迎えに来てないし……うん。いろいろ、あるよね」
「いえ……ケンカも何も、そもそも、なんていうか、そんな関係じゃないっていうか」
「そう、なの?」
「あ、いえ。いや、えぇっと……」
別れた、なんて言葉も間違ってる気がしたし、だからって、本当は付き合ってなかったとも言えなかった。
バイトが終わる頃、高橋はいつも私を迎えに来て、家の近くまで送ってくれるのが当たり前になっていた。
白石さんには、「彼氏」迎えに来てるよ、なんてよく茶化されて、私もいつからか「彼氏」を否定しなくなっていたし。
結局答えられないまま溜息をついた私の目の前に、ピンクのキラキラ光るペーパーで可愛くラッピングされた小さな箱が差し出された。
「はい。ハッピーホワイトデー」
顔を上げると、白石さんがにっこり笑っていた。
「いつも、バイトお疲れ様ってことで」
「えっ……」
戸惑う私の手をとって、小さなそれを私の手のひらに置く。
「なんか彼女がさ、こういうの見ると、買いたくなっちゃうらしいんだよね。で、バイト先の子にあげたらって。ユキちゃんには彼氏いるって言ったんだけど、俺があげても、どうせ義理にしかならないなんて言うんだよ。ということで、貰ってくれると嬉しいんだけど」
「あ……ありがとうございます」
さっきの高校生カップルがこっちにやってきて、私は急いでその箱をポケットにしまい、白石さんはレジに向かった。
突然のことに驚いたし、嬉しかった。
だけど白石さんと彼女が、一緒にコレを選んでる時の楽しそうな雰囲気がなんとなく想像できて。
いらないと、つき返したくなったけど、まるで八つ当たりなそんな気持ちは、強引に飲み込んだ。
あの日、私がふたりの会話を聞いたりしなければ、こんなふうに嫌な感情ばかりがこみ上げてくることはなかっただろうと思う。
どうせなら、バレないように、最後まで騙し通してくれれば良かったのに。
バイトが終わって店を出ても、もちろんそこに高橋はいない。
迎えに来ないでと強く言ったのは私だから、当然のことなのだけど。
今日は3月14日。
高橋の彼女でいる最終日。
だから私はどこかで、高橋が迎えに来てくれるような、変な期待を抱いていた。
「バカ……」
私の、バカ。
高橋も、アミも、バカ。
どうして、こんなことしたんだろう。
理由を知りたいけど、知るのが怖くて、高橋の話を聞きたくなかった。
とにかく、今日ですべてが終わる。
今日で、高橋のことを好きになってしまったことも、全部、忘れよう。
寒さが緩んで、歩道の一部はコンクリートの地面が見え始めていた。
それでもこうして日が沈むと、溶けかけた雪が凍り、それを踏む感触がばりばりと足の裏から伝わってくる。
粉々になった氷は、たぶん明日溶けて消える。
私の頬を伝う涙も、春になったら嘘みたいに消えるだろう。
消えてくれなきゃ、困る。
風が吹いて、私は両手をポケットに入れた。
こんなにも、家までの距離が遠かったかと思うと、尚更悲しくなる。
そんな気持ちに追い討ちを掛けるかのように、コンクリートの地面にうっすらと張った氷で、滑って転んだ。
コートのポケットに入れてあった、白石さんから貰った箱が無残に歪む。
手首が痛くて、膝が痛くて、胸が苦しくて。
壊れてしまった涙腺が、大量の涙を吐き出して止められない。
よろよろと立ち上がって、冷たい指先で涙を拭きながら、私は俯き黙々と暗い道を進むしかなかった。
「ユキ」
その声に、びくりと体が揺れて立ち止まる。
街灯の下で、そいつは白い息を吐きながら、今まであまり見たことのない真剣な顔で、こっちをじっと見つめていた。
高橋カイト、だった。
私はすぐに顔を逸らして、走り出した。
「待って、ユキ!」
転んだ時についてしまった手を握られて、私は思わず痛いと声を上げる。
「あ、ごめん……」
「違うよ。さっき、転んだから」
「転んだ? って、大丈夫かよ」
「……うん」
高橋に背を向けたまま、私はわずかに高橋の体温を感じた手首をさする。
すぐ後ろに、高橋がいる。
不思議と高橋の姿を見つけた瞬間から、ひどく温かい何かが、胸の奥にじわりと広がりはじめていた。
「ユキ、これ」
頬の涙のあとを手のひらで拭いて、私は俯いたまま高橋を振り返る。
そこには、ダウンのコートから伸びた高橋の手に握られた、ケーキの白い箱があった。
「ホワイトデーの約束、したろ。マジで、俺の手作りケーキ。昨日作ったら、ちょっと失敗してさ。だから、今日学校サボって作った超力作」
「……バッカじゃないの」
「うん……俺、自分が思ってたより不器用だって気がついた」
高橋の乾いた笑い声が、ほんの一瞬響く。
そして再び沈黙が訪れて、ケーキの箱を受け取れとばかりに、高橋の手が私のほうに差し出された。
「29日間、俺の彼女でいてくれて、ありがとう。これは、その……お礼だから」
そんなのが欲しくて、一緒にいたわけじゃない。
お礼なんて、そんなの、いらない。
「俺、ユキのこと、学園祭のころから好きだったんだ。けど、自信なくて。正直に面と向かって、告白できなくてさ。だから、バレンタインにああいう状況になるように、及川に協力してもらったんだ」
高橋の言葉が信じられなくて、私は情けなく笑う高橋を見つめた。
すると、今度は高橋のほうが困ったように私から目を逸らす。
「けど、まさかこんなに上手く付き合えると思ってなくて。一緒にいるようになったら、もっとユキのこと、好きになって」
ケーキを差し出していた高橋の手が、ゆっくり力なく下がると、もう一方の空いた手で頭を掻いた。
「もっと早くユキにネタばらしして、ちゃんと告白するつもりだったんだ。けど……ごめんな。俺、ユキのホントの気持ちがわかんなくて、怖くなってさ。本当のこと言わないままで、このままずっと一緒にいられたらなんて、勝手なこと考えてた」
苦笑して、高橋はゆっくり視線を私に向けた。
私は噛んでいた唇を解放して、大きく息を吸う。
「超勝手だよ、マジで最悪っ! 私だって、高橋のホントの気持ちなんて、わからなかった。だから、必死で好きにならないようにしてたのに……」
俯いてぎゅっと目を閉じると、睫毛を伝って涙が零れた。
「なのに、好きになっちゃったから……だから、今日で本当に終わっちゃったら、どうしようかって、ずっと、すごく、すっごく不安だった」
ふと、街灯の光が遮られて、高橋のジーンズとスニーカーが視界に入る。
高橋の気持ちと、「騙した」理由を知ることができたのは嬉しかったけれど、その自分勝手な考え方にムカついた。
私は両手をぎゅっと強く握りしめて、顔を上げた。
「これ以上近づいたら、殴るから」
「いいよ。俺、殴られるくらいじゃ済まないくらい、ユキのこと、傷つけたろ」
そんなふうに落ち込んで悲しそうな瞳をした高橋なんて、ダイキライ。
「ユキ。今更だけど、俺、ユキのこと、好きだ」
私の吐き出す白い息を包むように、高橋の息が混ざり合って、消えていく。
「だから、このまま、離れたくなんかない。ずっと、これからも一緒にいたい」
溢れてくる涙は、悲しいのでも悔しいのでもなくて。
私は両手で高橋のコートをつかんで揺さぶった。
「高橋の、バカ。なんでもっと早く、言ってくれなかったの」
「ごめん……」
「ケーキ、一個じゃ、許さないから」
「えっ」
「デートも、もう一回やり直し」
そんなことばかりを、言いたいんじゃない。
ちゃんと、言わなくちゃ。
本当の気持ちは、言葉にしなきゃ、伝わらない。
「高橋のこと、好きだよ。だから、私も……ずっと一緒にいたいよ」
とても可愛らしい告白とはいえなかった。
不貞腐れたようにぶっきらぼうだし、高橋の胸元を両手で掴んだまま。
それほど寒くもないのに、がたがた体が震えて止まらない。
そっと高橋の様子を伺うと、強張っていた表情がゆっくりと緩んで、いつもみたいに、でも、ちょっとだけ切ない顔して笑う。
そんな高橋を見て、私もつられるように笑った。
「じゃあ、これからも、一緒にいよう」
そう言って私の両手を包み込むように高橋の右手が重なると、彼も震えているのだと気がついた。
そして高橋は私の頭を撫でて、体を抱き寄せる。
「ユキ、大好きだよ」
ゆっくり確かめるように高橋の言葉が、耳元で響く。
急に恥ずかしくなった私は、どうしたらいいかわからずに、口を開いた。
「ケーキ……」
「ん?」
「ケーキ、食べたい」
体を離した高橋は、私が急にそんなことを言うから目を丸くした。
「ケーキ、一緒に食べよ」
私がケーキの箱を指差すと、高橋は怪訝な顔して首を捻った。
「って、どこで」
「ここで」
「ここで? 今かよ? ちょ、ちょい待ち、帰ってから食べろよ」
「いいじゃん、食べようよ。あ、もしかして、ホントは味に自信ないんじゃないの?」
「んなことねぇよ。絶対美味いからっ」
半ばムキになって、高橋は箱を開ける。
中を覗くと、イチゴが乗った、ごくシンプルな生クリームのホールケーキだった。
薄暗いここでは、よく見えないけど、ちゃんとそれなりの形になってると思う。
スプーンもフォークもないから、やっぱりダメだと喚いてから、高橋は上に乗っていたイチゴだけ手に取った。
「とりあえず、これだけ。あとは、帰ってから、ちゃんと切って食べろよ」
目の前に差し出されたイチゴを指でつまもうとしたら、いいから食えと、そのまま口に放り込まれた。
イチゴは酸っぱかったけれど、少しだけ付いていた生クリームが甘くておいしい。
高橋は指先に付いたクリームを舐めると、箱を閉じて私に差し出した。
「これからも、よろしく」
私は頷いて、その箱を受け取った。
そして。
背伸びして、高橋の頬にキスをする。
「また、月曜日ね」
「……うん」
一瞬呆然とした高橋に、私は背を向けた。
「帰ったら、メールするからっ」
その声に振り返ると、街灯の下で顔を赤くした高橋が、満面の笑みで手を振っていた。
私も手を振って、再び前を向き直る。
今日で、29日間の彼女生活は終わり。
そしてまた明日から、期限のない新しい日が始まる。
高橋の作ったケーキは、どこかちょっと不恰好だったけど、甘くて最高に美味しかった。
◆ お し ま い ◆