【16日目】 3月1日(日) 卒業式
よくマンガやドラマに出てくる卒業式は、ひらひら桜が舞っている。
ついでにこの時期、「さくら」を題材にした歌もバカみたいに流れてる。
だけど、雪深いこの土地は、いまだ真っ白い雪にすべてが隠されたまま。
私の両親は、もともとこの町の人間じゃない。
冬、こんなふうに雪に覆われてしまう、なんとも不便なこの田舎町が好きで、若い頃に移り住んだんだという。
そんな両親が私につけた名前が「ユキ」
今日、三年生が巣立つ良き日にも、窓の外には私が降り続けている。
式はもうすでに終わり、別れを惜しんでいるのか、それともここからの脱出を喜んでいるのか、外では卒業生となった三年生が寒い中、わいわい騒いでいるのが見えた。
「あ、及川」
隣で同じように外を見ていた高橋が、アミの姿を見つけて指を差す。
「え、どこ?」
「ほら、あそこ。ふたりとも、もみくちゃにされてるけど」
「あ……ホントだ」
周りから冷やかされながらも、シアワセいっぱいに笑ってる。
ホームルームも掃除もサボって、アミは彼のところへ向かったのだ。
彼である先輩は、無事大学に合格して、発表があった日から「超ラブラブ」なんだそうで。
もともと女の子らしいアミだけど、私もどきっとするほど、ずっと女らしくなった気がした。
「俺たちも、来年は卒業だな」
「実感ないけどねー」
そう言って、私は教室内に向き直る。
卒業式の後片付けは二年生の仕事で、三年生の教室の掃除が終わり、あとはホームルームを残すだけ。
教室では、暇をもてあましたクラスメイトの話し声が響いていた。
見事に誰も、私と高橋が「付き合ってる」ことには気付いていないみたいだ。
こんなふうに話していても怪しまれないのは、たぶん高橋のキャラクターのせいだと思う。
けど、それはそれで、拍子抜けというか、なんていうか。
付き合うって、実際もこんなカンジなんだろうか。
秋まで付き合っていたっていう高橋の彼女も、こんな気持ちをどこかで味わっていたんだろうか。
「ユキは、大学行くんだろ」
ぼんやりと想像しながら高橋の横顔を盗み見ていたら、急にそんな話をされて私は首を捻った。
「うん、たぶん。でも、まだあんまり考えてない」
「やりたい仕事とか、ないの?」
「よく、わかんない。これといって、憧れてる職業とか、ないし」
「なんだよ、夢ねぇな」
「悪かったわね。って、高橋のほうこそ、どうなのよ」
俺はさ、なんて得意げな顔をして話し始めようとしたとき、ドアの向こうから、クラスメイトの男子が高橋を呼ぶ声がした。
返事をして、高橋の姿は教室から廊下へと消えていく。
この二週間で、ふたりでいる時間が、随分と増えたと思う。
学校にいるとき、露骨にふたりきりになることはないけど、ほとんど毎日、私を家の近くまで送ってくれる。
家まで歩いて帰れる距離の私と違って、高橋の家は逆方向で、更にバスに乗らなきゃいけないのにもかかわらず、だ。
夜はルールを決めて、電話は三十分、メールは三回まで。
だから、ひとりボケツッコミな長文メールが送られてくることもあった。
私は、嫌でも帰りに話の続きを聞かされるんだろうと、誰にも気付かれないように、密かに笑った。
「マジかよ!?」
「マジマジ、しかも、超美人系」
「そーいえば、高橋、バレンタインにもチョコ貰ったとか言ってたろ」
突然、さっき高橋を呼んだ子を中心に、男子が色めき始めた。
その話の内容に、一瞬どきりとしたのも束の間、超美人系っていうのは、たぶん、いや、絶対私なんかじゃない。
彼らの近くにいた女の子が、何事かと首を突っ込むと、ひとりがにやけた顔で口を開いた。
「高橋、三年の先輩から、告られてるらしいよ」
声は、そんなに大きなボリュームじゃなかった。
でも口がはっきりと、そう動いたのが見えた。
私、ホワイトデーにお返しなんて、貰えないのかもしれない。
真っ白になった頭の中に、ふと浮かんできたのは、そんなことで。
私はゆっくりと窓の外を向きなおり、まだバカ騒ぎを続けている三年生をなんとなく見つめた。
クラスメイトが憶測だけで言ってることなんて、聞きたくないと思ってるのに、私の耳は体とはうらはらに、彼らのほうを向いたまま。
だいたい、14日までの「お付き合い」なんだから。
それがちょっと縮まっただけで。
高橋のこと、ウザイって思ってたし、考えていたよりも早く別れがきたのは嬉しいことだ。
お返しなんて、要らないし。
でも、あんなに高いチョコをタダで渡したなんて、割に合わないよね。
胸が、心臓が痛いほど鳴りつづけているのに、この前の土曜日、頬にキスしてくれたときは、あんなに体中が熱くなったのに。
嫌な汗がじわりと浮かんで、胸の奥から冷たくなっていくような気がする。
それから、高橋が教室に戻ってくるまでの間が、永遠に続くかと思うほど長く感じた。
「高橋ぃーっ、で、どうだったんだよ」
ひとりが声を上げて、私も思わず振り返る。
「なんでもねぇよ」
否定しながらも、照れたようににやけていて。
この二週間、隣にいたから、よくわかる。
アイツが今、喜んでるってこと。
私は静かに息を吐き出して、席に戻った。
騒ぎ立てるクラスメイトを尻目に、まるで何の興味もないかのように装って。
高橋がこっちを見てるのはわかったけど、まともに目なんか合わせられなくて、私は雪が降り続ける窓の外を向いた。
ほどなく担任が現れて、ホームルームも終了。
私はさっさと席を立ち、頼まれていたアミのカバンを持って、すぐさま教室を出た。
「柏木!」
後ろから高橋の声がしたけど、振り返ることができなかった。
怒りにも似た感情がいっぱいにこみ上げてきて、でも、それを高橋にぶつけるのは間違ってると思うから。
だから、私はまるで高橋から逃げるみたいに走り出していた。
何食わぬ顔をしてアミにカバンを渡すと、追いかけてきた高橋と目が合ってしまった。
私の複雑な気持ちなんて知るはずもなく、大きく口を開けて、目を細くして子供みたいに笑ってる。
そりゃあ、嬉しいことがあったんだもん、当然だろう。
こんな時、どうすればいいんだろう。
どうして私は、こんなに戸惑っているんだろう。
私は高橋に返す言葉も表情も見つからなくて、ただ顔を背け、卒業生の間を縫うように校門を抜けた。
「ユキ、ユキ! ちょっと待てよ。どうしたんだよっ」
とにかく、合わせる顔がない。
だから、振り返れない。
私はずるいような気もしたけど、高橋に追いつかれても、黙って俯いたまま歩き続けた。
「ユキ? 泣いてんの?」
「泣いてなんか、ないっ」
つい言葉を返して、高橋のほうを向いてしまった。
目の前のオトコは、私が罠に引っかかったことを喜んでるみたいに、にっこり笑う。
「だよなー、まさか卒業生の中に好きな人がいて、淋しくて泣いてるとか、そんなことないよなぁ」
「そんなの、有り得ないし。っていうか、高橋のほうこそ、付き合うんでしょ」
「え?」
「とぼけないでよ。告白されたんでしょ、先輩に」
「あ、うん」
「じゃ、今日でお別れね。けど、ホワイトデーはちゃんとお返ししてもらうからっ」
「なんでだよ」
「だって、あのチョコ、マジで高かったんだからね!」
「いや、そーじゃなくてさ」
「は? 何」
「誰が別れるなんて言った?」
笑ってたはずの高橋の表情が、いつしか曇り始めている。
少しむっとしたように見下ろされて、私は道路わきに高く積まれた白い雪に視線を逸らした。
「つーか、あれか? ユキ、ひょっとしてさ、もしかして、マジでー……」
高橋の白い息がふわりと耳にかかる。
「やきもち、だったりするわけ?」
不覚にも、身体がびくりと揺れた。
とたんに悔しくなって、私は思いきり高橋の腹めがけて拳をぶち込んだ。
「ばかぁッ!!」
「……ってーっ!!」
呻く高橋を放ったまま、私は雪の上をひたすらに走った。
やきもち? それじゃあ、まるで私が高橋を好きみたいじゃん。
そんなこと、あるわけ、ない。
頬にへばりつく雪の結晶が、溶けて涙みたいに流れていく。
私は頬の拭うと、解けそうになるマフラーをぎゅっと握った。
「ユキ、ユキっ。待てって!」
不意に腕を掴まれ滑った私は、高橋を巻き添えにして圧雪状態の道路の上に転んでしまった。
「いてー……」
私がそういうよりも先に、私の下敷きになっている高橋が声を上げた。
そして、私を見て苦笑すると、いつかみたいに、ぽんと頭を撫でる。
「バカなのは、ユキのほうだよ。俺、先輩と付き合うなんて言ってないじゃん」
「……けど」
「俺は今、ユキと付き合ってんじゃん。どうして先輩と付き合わなきゃなんないわけ?」
「けど、私とはホワイトデーまでの話じゃない。そんなの」
「『そんなの』じゃねぇよ。俺は、好きでもないヤツと付き合ったりしない」
高橋は上半身を起こすと、不貞腐れたように私を上目遣いで見つめた。
「俺は、ユキのことが好き。だから、こうやって一緒にいんの」
ほんの少しだけ、高橋の頬が色付いた。
たぶん、それ以上に私の頬が赤くなっているような気がする。
雪の上に投げ出されて冷たくなった両手を、高橋の両手がそっと包み込んでくれた。
そして、いつもみたいに白い歯をむき出して、いっと笑う。
瞬間、泣いてしまいそうになった私は、無理やりに笑った。
もう、だめだ。
好きになんかなっちゃいけないって、心に決めてたのに。
私、高橋カイトのことが、好き。