【8日目】 2月21日(土)
「付き合うって、どういうこと?」
『は? ユキ、そういうの、わかんないの? つーか、俺に言わせる?』
「ばっかじゃないの。そんなの、わかってるわよ」
『だったらいーじゃん』
「だから良くないのよっ」
『なんだよ、俺は、ユキのこと好きだよ。ダメ?』
取って付けたような、わざとらしい台詞。
しかも、それをあまりにもさらりと言ってしまう高橋が、信じられない。
先週の土曜日、家に帰ってからも、ケータイでずっとそんなやりとりを続けて。
納得はしてないんだけど、高橋のしつこさに疲れて、ついホワイトデーまで「付き合う」ことをOKしてしまった。
「いらっしゃいませ」
私はバイト先のコンビニで、ホワイトデーのための商品を棚に補充しながら、小さく息を吐いた。
バレンタインが終わったかと思えば、次のイベントはひな祭り。
キャラクターのひなあられやら、金平糖、ついでにピンクのパッケージのお菓子が並べられたイベント用商品を置く棚の隅に、今はひっそりとホワイトデー用のクッキーの詰め合わせを置いてある。
コレを下げる日までの辛抱だ。うん。
付き合うっていったって、たまに一緒に帰ったり、高橋のメールにちょこっと返事したり、とりあえずはその程度だし。
適当にあしらって、高橋の気が済むのなら、一ヶ月はそんなに長いとは思わなかった。
高橋とは、学園祭で一緒に委員をするまで、ほとんど話したことはなかった。
明るくて、誰とでも仲良くなれるタイプのようで、模擬店が成功したのも、彼がクラスを上手くまとめてくれたおかげだと思ってる。
そんなヤツだから、確か彼女もいたはずだけど、聞いてみれば秋に行われた学園祭の頃には、彼女と別れていたらしい。
顔はフツー。特別ブサイクでもカッコよくもない。
と、思う。
だって、まじまじと高橋の顔なんか、そういう対象として観察したことがないから、正直よくわからない。
なんて、私だって、人のことをどうこう言えるような顔じゃないけど。
小学校の頃からのロングヘアを、一昨年、高校に入学してからばっさりと切った。
お母さんは女の子らしくないって嘆いたけど、今のショートボブも気に入ってる。
それなりに可愛くなりたいけど、メイクはあんまり得意じゃないし。
北国の小さな町だから、とは言わないけど、同級生もそれほど気合の入ったコもいないから、今はこれでいいと思ってる。
「ユキちゃん、お疲れ」
「あ、お疲れ様です……」
レジの奥から声を掛けられ振り返ると、あの14日に告白するはずだった本当の相手、白石さんがにっこり笑っていた。
今週はテスト期間だったから、ちょうどあの日から昨日まで、バイトを休ませてもらっていた。
だから、あれから会うのは初めてで。
何もしていないのに、なんとなく気まずくなって、私はすぐ棚に向き直り商品整理をするふりをした。
高橋と違って、白石さんの顔はよく見惚れていたから、しっかりと覚えてる。
ちょっと日本人離れした彫りの深い顔に、ゆるいパーマのかかった茶色い髪。
長身なうえ、わりとがっしりとした体つきで、一度見たことのある華奢な彼女さんなら、すっぽりとあの胸の中に納まってしまいそう。
セルフレームの眼鏡の奥にある瞳を細め、優しく微笑まれると、いいなぁって思ってしまうのも事実で。
歳なんてほんの3つか4つしか離れてないのに、学校の男子なんかと比べモノにならないくらいオトナだし。
だけど、だから、とても私が告白して、そこから先に進むなんて考えられなくて。
今思えば、そんなことをしようとしたこと自体が恥ずかしい。
チョコレートが高橋の手に渡ってしまったのは計算外だったけど、白石さんに渡さなかったのは正解だった。
ふと冷たい風が店内に流れ込んできて、私は自動ドアのほうを向いた。
「いらっしゃい……」
ませ、と続けようとした口が、開いたまま塞がらない。
店内を見渡したそいつは、最後に足元にしゃがみこんでいる私を見つけて、「よっ」と笑顔で手を上げた。
「な、何」
「迎えにきた。終わんの、何時?」
堂々と声のトーンも落とさずにそんなことを言うから、次の瞬間に、私は高橋を引っ張って店の外へ出た。
「何、何、何、もう帰れんの?」
ノーテンキな高橋と一緒に、真っ白な息が自身にまとわりついてくる。
とっくに日は暮れて、外は雪が降り始めていた。
「どーして来るのよ」
「だから、迎えに来たんだって」
「あと30分もあるけど」
「じゃあ俺、立ち読みしてる」
「迷惑っ」
「なんで、邪魔しないって」
「気が散るんですけど」
「つーかさ、ひょっとして、アイツ? ユキが告ろうとしてた大学生」
にやにや笑いながら背伸びして店内を覗き込むから、つられて私も思わず振り返る。
すると接客をしながらも、ちらりとこっちを向いた白石さんと目が合った。
すかさず高橋がちょこんと頭を下げ、それに応えるように、白石さんが微笑みを返してくる。
「ちょーっ、馬鹿っ! 何やってんのよ」
「一応ほら、彼女がお世話になってる人だし、挨拶くらいしとかないと」
「そんなこと、しなくていいからっ。もう、帰ってよ」
ダウンのコートをぐいと押すと、ちょっと冷たい言い方をしちゃったかなと高橋の反応を確かめる。
口を尖らせて、両手をポケットにつっこんだ高橋は、拗ねた子供みたいに俯いた。
「やだ、帰んねぇよ」
顔を上げると、いっと歯を見せて笑う。
「大切な彼女、こんな真っ暗な夜道を、ひとりで歩かせるわけにはいかないっしょ」
そう言って私の頭をぽんと撫でた。
面と向かってそんなふうにされると、不覚にも、心臓が大きく跳ね上がる。
さっきまでの怒りとは明らかに違う感情で、頬が熱くなった。
「もう、勝手にしてよ」
口にした言葉は、自分が思っていたよりもずっとか細くて、高橋の耳に届いたか不安になった。
けど、そんなの心配無用。
高橋は嬉しそうに笑ってた。
「とりあえず、寒いから店ん中入らせて」
肩をすくませて、そそくさと店内に入ると、さっき言っていたとおり、雑誌コーナーに向かい漫画を読み始める。
私はそんな高橋を見やって、補充の終わった商品が入ったダンボールを持ち、バックヤードに戻った。
かれこれ一年近くなるバイトなのに、なんだか今日は身体が硬直してぎこちなくなる。
妙な緊張感で、一週間前と同じ動悸がする。
私のバイト時間が終わる前の30分は、お客さんの出入りが多くなる時間帯だ。
レジカウンターに戻って白石さんと並び、次から次へと対応をしているうちに、その30分はあっという間に過ぎていく。
「彼、ユキちゃんの彼氏?」
客足が途切れて時計を見上げると、小さな声で横から白石さんが聞いてきた。
「えっ!? いや、その……そんなような、そんなんじゃないような」
私は視線を逸らしながら、すっとぼけた言葉を返した。
彼、といっても、来月の14日までのことだし。
そんなこと説明したって、きっと怪訝な顔されるだけだろうし。
軽い女みたいに思われるのは、絶対イヤだし!
「いいヤツそうじゃん。良かったね」
いやいやいやいや、そんなんじゃないんですっ。
事情を話したいけど、話す間もなく再びお客さんがやってくる。
結局、それ以上の話をできないまま、タイムオーバー。
複雑な気持ちのまま店から出ると、高橋がイヌの尻尾みたいに手を振って待っていた。
「おつかれ」
「うん。疲れた」
誰かのせいで、とは言わないけど。
それからふたりで、並んで歩いた。
ここから家までは、ゆっくり歩いても15分あれば着く。
街灯だってちゃんとついてるし、車通りも少なくないから、高橋の言う「真っ暗」とは程遠いんだけど。
ひとりじゃ寒いだけで、早く家に帰りたい気持ちばかりが募るけど、こうして並んで、くだらない話をしながらの帰り道は、気がつけば家が見えてきた。
「そういえば、及川も先輩と付き合い始めたんだろ?」
「あぁ、うん。でも、先輩の受験の結果がでるのが来週だから、デートするのは卒業式が終わってからになりそうって言ってたけど」
「じゃあ、今度、4人でデートしようぜ」
「は!?」
思わず立ち止まって声を上げた私を振り返り、高橋はわざとらしく溜息を吐く。
「ユキ、何でもそうやって驚きすぎ」
まるで私の反応がおかしいみたいに呆れるから、一瞬自分が間違ってるような錯覚に陥るけど。
けどっ。
「あ、あったり前でしょっ。どうして私が高橋とデートしなきゃいけないのよ」
「だって、付き合ってたらデートするのが当たり前だろ」
「いや、そうだけど」
「そうだろ?」
「えぇ……?」
「嫌そうな顔すんなよ」
「別に、嫌だってわけじゃないけど。なんだか、本当に付き合ってるみたいじゃない?」
高橋の顔を覗き込もうとしたところで、街灯の光が遮られ顔を上げる。
私に影を落としているのが、すぐそばにある彼の顔だと気がついて、はっとした。
「何言ってんの。俺ら、本当に付き合ってんじゃん」
あまりの近さに驚いて俯くと、頬に優しく柔らかいものが触れた。
それが高橋の唇だ認識した途端、冷たい空気に熱を奪われていたはずの頬が、いっぺんに上気していく。
突然の事に何か言い返さなきゃいけないと思っているのに、どんな言葉を口にすればいいのかわからない。
自分の心臓の音で、耳が痛い。
「んじゃ、また月曜日な」
コンビニの前でしたみたいに、高橋は私の頭をぽんと撫でて、私に背を向け歩き出す。
立ち尽くす私を振り返ってバイバイと手を振るけど、私は何も言えないまま、ただ手を振りかえした。
高橋の姿が遠くなっていくにつれて、胸の奥にじわり、今まで感じたことのなかった気持ちが広がっていく。
こういうのを、切ないっていうのかな。
どうやって説明したらいいのか、わかんない。
でも本当に好きになんか、なっちゃいけないんだ。
だって、私たちのこの関係は、来月の14日までなんだから。
私は振っていた手をポケットの中に戻して、自分の吐いた白い息を見つめた。