第8話 狂犬の嫉妬と白銀の救済者
第五階層へ続くゲート前のセーフエリア。
転送陣の青い光を抜けた直後――不意に、甘ったるい声が刺さった。
「ねえ、君。今話題の『寝落ちニキ』でしょ?」
振り向くと、露出の多い赤い革鎧の女が立っていた。
香水の匂いがキツい。ダンジョンの空気と噛み合ってない。
装備は実用より"見栄え"が優先されてるのが一目でわかる。
俺の肩に浮くドローンが彼女を映した瞬間、視界のホログラムが高速で流れ始めた。
『あ、カレンだ』
『Cランクの寄生配信者じゃん』
『またコラボ狙いかよ。逃げろニキ』
『この前も数字持ってるやつに声かけてたの見たぞ』
『ニキには絶対関わるなって』
……なるほど。カレン。
コメント欄が勝手に素性を暴く。
女は自分のドローンを意識するように髪をかき上げ、上から目線で口角を上げた。
「君、少しバズってるみたいだけど……配信が地味すぎるのよね。特別に、先輩の私がコラボしてあげてもいいわよ? 華やかな立ち回りってやつを教えてあげる」
恩着せがましい言い方。
要するに――数字を持ってる相手にタダ乗りしたいだけだ。
俺は足を止めない。
彼女の横を通り過ぎながら、短く返す。
「魔石の効率が落ちるんで、結構です」
「は……? ちょっと、先輩の好意を――」
「急いでるんで」
振り返りもしない。
背後で、「……っ、このガキ!」と、泥を塗られたみたいな苛立ちが滲む声が弾けた。
コメント欄がざわつく。
『ニキの塩対応キレッキレで草』
『一瞥もくれてないの草』
けど、俺はそのまま第五階層のゲートをくぐった。
◇
第五階層。
石造りの通路はさらに広く、空気がねっとり重い。
湿度じゃない。圧だ。階層が深いほど、空気そのものが"鈍くなる"。
コメント欄は面白がっている。
『ニキ塩対応www』
『一瞥もくれなくて草』
『あの女、絶対裏でキレてるぞ』
俺は無視して奥へ進んだ。
今日もいつも通り――寝て、選んで、起きて、拾う。
それで稼げる。
……少なくとも、あの瞬間までは。
風切り音すらなかった。
不可視の何かが、俺の肩口を掠める。
次の瞬間。
バキィィィッ!!
耳障りな破砕音。
俺の斜め後ろを飛んでいたドローンが、一撃で木端微塵に粉砕された。
黒い破片が石畳に散らばる。
ホログラムがノイズを噴いて――プツン、と消えた。
「……っ!」
本能でナイフを抜く。
姿勢を低くし、通路の奥を睨む。
魔物特有の唸り声も、荒い足音もない。
飛び回り続けるドローンという小さな的だけを、無音で正確に撃ち抜く一撃。
モンスターじゃない。
こんな"洗練された狙撃"は、人間の手だ。
背筋が冷える。
その時、薄暗い通路の奥から声がした。
「……チッ。頭を狙ったんだがな。目障りなハエが身代わりになりやがった」
反響する足音。
二つの影が現れる。
ひとりは、さっきの女――カレン。
そしてもうひとりは、彼女の腰を抱き寄せるようにして歩く大柄な男。
俺は息を呑んだ。
男の全身から立ち上る、尋常じゃない魔力の圧。
傷ひとつない特注の黒鋼の鎧。歩くたび、空気がビリビリ震える錯覚。
今まで見てきた冒険者とは――次元が違う。
そして、不自然なことがもう一つ。
「お前ら……ドローンはどうした」
ダンジョン内では帯同が絶対の義務。
だが二人の周囲に、カメラは飛んでいない。
カレンがねっとり笑い、自慢げに答えた。
「私たちのドローンなら、手前の部屋で『強いモンスターに襲われて壊された』わ。ギルドには今頃、カメラを失って慌てて撤退してる最中だと思われてるわね」
――背筋が凍る。
待ち伏せのため。
自分たちのカメラを意図的に壊し、"事故"を偽装して監視の目を外す。
慣れてる。手慣れすぎている。
男が首をポキポキ鳴らし、一歩踏み出した。
それだけで通路の空気が泥みたいに重くなる。
「うちの女に恥をかかせた落とし前。……それに」
男の目が、ゴミを見るみたいに俺を見下ろす。
「俺はAランクだ。本物の強者である俺より、てめえみたいなポッと出の素人がチヤホヤされてるのが……どうにも目障りでな」
女の機嫌取り。
それと、ちっぽけな承認欲求が傷ついた嫉妬。
――それだけのために、こいつらは密室を作った。
「俺たちのドローンは事故で壊れた。そして今、お前のドローンも俺がぶっ壊した」
男の手のひらに、空間が歪むほどの高密度の魔力が集束していく。
息をするだけで苦しいほどのプレッシャー。
「これでギルドには『第五階層で未知のモンスターが発生し、探索者たちのカメラが次々と破壊された』ようにしか見えねえ。……ここでモヤシがひき肉になっても、ただの痛ましい事故だ」
言葉は通じない。
逃げ場もない。
レベル9の俺と、Aランクのバケモノ。
俺はナイフを握り直し――ゆっくり、目を閉じた。
強烈な睡魔が脳を打ち据え、意識が深い底へ沈む。
真っ黒な空間。
いつものレトロなコマンドが浮かび上がった。
敵は二体。
だが――男のドット絵は、今までと違う。
画面の半分を埋め尽くすほどの巨大なグラフィック。
纏うオーラの色。
RPGで言うなら、絶対に勝てない"負けイベント"のボス。
『たたかう 消費SP:10』
『まほう』
『どうぐ なし』
『スキル:カウンター 消費SP:500』
『にげる 消費SP:100』
通常攻撃が、黒鋼の装甲を貫くとは思えない。
今のSPなら、切り札は切れる。
俺は迷わず、最強の防御と反撃の札を切った。
ターゲットは男。『スキル:カウンター』。
ポン、と軽い電子音。
『ユウマ は カウンター の かまえ!』
『おとこ の こうげき!』
『ユウマ の カウンター!』
◇
――だが、現実は、システムの最適解を無慈悲に踏み潰した。
男がニヤリと嗤い、無造作に右手を振り下ろす。
放たれたのは、重力魔法。
剣の軌道も、弾道もない。
俺が立っている通路一帯の"重力そのもの"が、唐突に何十倍にも跳ね上がった。
弾き返すための実体がない。
俺の腕は空を切り、カウンターは不発。
『……ミス!』
『回避不能』
システムが瞬時にそう弾き出す。
完全に脱力していた俺の肉体は、即座に反撃を捨てる。
生存を最優先し、対重力の最適解へ移行した。
俺の身体は石畳へ這いつくばるように四つん這いになり、
四肢の骨格の軸を垂直に揃え、全身の筋肉を硬直させて臓器の破裂を防ぐ。
自重の負荷を分散し、骨を柱として耐える――完璧な防御姿勢。
……のはずだった。
だが、その上から。
Aランクという理不尽が、空間ごと圧し潰してきた。
メキィィィッ!!
「ガ……ァッ……!?」
自分の体重が、何十倍にもなって俺を縫い付ける。
石畳が悲鳴を上げ、床がクレーターみたいに陥没する。
その中心で、俺の身体が万力みたいに軋んだ。
柱だったはずの腕と脚が砕ける。
肋骨がひしゃげる。
内臓が押し潰される。
抗えない。
ステータスという絶対の壁が、目の前で笑っている。
「ゴボッ……!」
口から、赤黒い血が溢れた。
睡眠が強制的に解除される。
現実の痛覚が、脳を焼き切るように襲いかかる。
重力がふっと抜けた瞬間、俺は陥没した石畳の中心で――血だまりに倒れ伏した。
◇
「ふん。直前で荷重を分散させやがったか。状況判断だけはいっちょ前だな」
男がブーツの踵を鳴らし、見下ろしてくる。
動けない。
指一本動かすだけで激痛が走り、痙攣する。
視界が真っ赤だ。
「まあいい。四肢と肋骨は完全にイッてる。背負ってるリュックからポーションを取り出して飲むこともできねえ。ここで魔物の餌になって終わりだ」
「あははっ、ほんと馬鹿ね。大人しく私と組んで甘い汁吸わせてくれれば、こんな死に方しなくて済んだのに」
不快な嘲笑。
二人は瀕死の俺から興味を失ったみたいに、男が女の肩を抱き寄せる。
そのまま奥の暗がりへ。
足音が遠ざかり、やがて消えた。
◇
冷たい石畳。
自分の血の匂いが広がる。
肺が潰れたみたいで、空気が入らない。息が吸えない。
――ここで終わるのか。
せっかくブラックな環境から抜け出して、
自分の力だけで稼いで、美味い飯を食って、生きていこうと思ってたのに。
理不尽だ。
でも、これが現実。
どれだけ最適解で動けても、
それを支える基礎のステータスが足りなければ、強者の暴力には簡単にすり潰される。
寒い。
指先の感覚が消える。
視界が黒く塗り潰されていく。
誰かを呼ぶ声も出ない。
俺の意識は、そのまま深い闇へ沈み切った。
◇
静まり返った第五階層の通路。
血だまりの中に横たわる俺の呼吸は、もう限界だった。
その静寂を破り、ゲートの方角から慌ただしい足音が近づいてくる。
タッタッタッタッ!
「……嘘。そんな……」
現れたのは、白いローブを纏った白銀の髪の少女――神城栞。
配信が不自然に切れた。
嫌な予感がして、最速で駆けつけた。
その結果が――これだ。
両腕と両足はあり得ない方向に曲がり、胸部は陥没し、石畳は夥しい血で染まっている。
周囲の床がクレーター状に陥没していることから、規格外の重力魔法で圧殺されたのは明らかだった。
普通なら悲鳴を上げて腰を抜かしてもおかしくない。
だが、栞は迷わない。
彼女は血だまりに膝をつき、純白のローブの裾が赤く染まるのも気にせず、両手をかざした。
「間に合って……『ハイ・ヒール』!!」
凛とした声。
眩い白銀の光が通路を照らす。
それは駆け出しの冒険者が扱えるはずのない、規格外の高度治癒魔法。
温かく力強い魔力が俺の身体を包み込む。
砕けた骨が繋がる。
折れた肋骨が戻る。
潰れた内臓が再生する。
致命傷が塞がり、失われた血が魔力で補填されていく。
完全に気を失っている俺は、自分が今どれほどの奇跡で死の淵から引き戻されているのか知る由もない。
治癒を続けながら、栞は静かに息を呑んだ。
――おかしい。
この骨格の密度。筋肉の質。
レベル一桁のそれじゃない。
それに、致命傷を受ける直前まで"重力に対する完璧な荷重分散の姿勢"を取っていた痕跡がある。
圧倒的なステータス差で叩き潰されながらも、
最後まで最適解で抗おうとした肉体の記憶。
栞の瞳が、純粋な心配から――未知を観察するような熱を帯びていく。
「やっぱり、あなたは……」
血の気が戻り始めた俺の顔を見つめながら、白銀のヒーラーは小さく、弾むような声で呟いた。
白銀の救済者。この出会いが、すべてを変えます。
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