第32話 天才鍛冶師と、白百合のエンブレム
朝の池袋ギルド。
受付カウンターで探索準備を済ませていると、顔なじみの職員が少し改まった声で俺を呼び止めた。
「朝倉様、1点ご連絡が。Aランククランの蒼穹の刃から、朝倉様宛に正式な面会のご依頼が届いております」
蒼穹の刃。クランマスターはSランク探索者の神崎烈。天城さんの白百合の剣と双璧をなすと言われている、日本屈指の大手クランだ。
隣の栞がちらりとこちらを見た。
「……どうする?」
「うーん、今はいいかな。装備どうにかするのが先だし。返事は保留でお願いします」
職員に告げると、彼女は少し残念そうな顔をしたが、すぐに業務用の微笑みに戻って「承知しました」と端末を操作した。
ギルドを出ると、栞が腕を組んで小さく鼻を鳴らす。
「Sランクのクランに呼ばれてホイホイ行くほど暇じゃないわ。まずは足元を固めないと」
「だな。それよりさ、昨日言ってた工房、見つかった?」
「ええ。池袋の裏通り、雑居ビルの地下。看板も出してない完全な隠れ家工房。Bランク以上の探索者の間で口コミだけで回ってるらしいの」
栞がスマホの画面を俺に向けた。探索者専用の掲示板の過去ログ。書き込みは少ないが、どれも共通して同じことを言っている。
腕は異常。だが客を選ぶ。気に入らなければ金を積んでも断られる。
「一見さんお断りの偏屈者。でも天城さんのエンブレムがあれば、少なくとも門前払いにはならないはず」
俺はポケットの中で、銀色のエンブレムの冷たい感触を確かめた。白百合の剣のクランマスター、天城凛。あの人がくれた客分の証。面倒な奴に絡まれた時の護身用にと渡されたものだが、まさかこんな使い方をすることになるとは。
「行ってみるか」
「ええ」
俺たちは大通りから外れ、池袋の裏路地へ足を踏み入れた。
◇
表通りの喧騒が嘘みたいに遠ざかる。
飲食店の搬入口や、古びた看板が並ぶ細い路地を抜けていくと、やがて目当ての雑居ビルが見えた。
外壁のコンクリートにはひびが走り、非常階段の手すりは錆びている。お世辞にも綺麗とは言えない。
地下への階段を降りると、突き当たりに重い鉄扉が1つ。
看板はない。表札はない。ただ扉の横に、小さなインターホンのボタンがぽつんとあるだけだった。
「ここか」
「間違いないわ。さあ、どうぞ」
栞が一歩引いて、俺に譲る。なぜ俺が先なんだ、という抗議は飲み込んだ。
ボタンを押す。
かすれたブザー音の後、数秒の沈黙。ややがて、か細い声がスピーカーから漏れた。
「あ、あの……ご予約のない方はちょっと……すみません……」
若い。それもかなり。
俺と同世代か、もしかしたら年下かもしれない。おどおどした声と、掲示板で読んだ「偏屈な名工」という情報が、まったく噛み合わない。
「すみません、紹介状のようなものがあるんですが」
「しょ、紹介状……?」
俺はポケットから白百合のエンブレムを取り出し、扉の下部にある小さな差し入れ口に滑り込ませた。向こう側で、金属が落ちる小さな音。それを拾い上げたのだろう。
数秒の沈黙の後、スピーカーの向こうで息を呑む気配がした。
「え、これ天城さんの……え、ええっ」
慌てた声。何かにぶつかる物音。工具が落ちてカランカランと転がる音。そしてガチャガチャと鍵を開ける音が3回。三重ロック。やけに厳重だ。
重い鉄扉が、ゆっくりと内側に開いた。
「ど、どうぞ……お入りください……」
扉の隙間から覗いたのは、鮮やかなピンク色のショートヘアだった。
◇
工房の中は、雑然としていた。
作業台の上には工具やら金属片やらが所狭しと並び、壁際の棚には素材の瓶や鉱石がぎっしり詰め込まれている。換気扇が低く唸り、どこかで炉の火が燃えている匂いがした。
だが、壁に掛けられた武器や防具に目をやった瞬間、俺は足を止めた。
無造作に吊るされた剣。棚の上に放置された籠手。壁に立てかけられた槍。どれも外見は地味だ。飾り気のない、実戦一辺倒の造り。
なのに、鑑定スキルが脳の奥でじりじりと反応している。
詳細が読み取れない。ランクが高すぎて、俺の鑑定では覗けない領域。こんな反応は、天城さんの応接室以来だ。
「あっ、そっちは見ないでください!」
突然、背後から鋭い声が飛んできた。振り返ると、ピンクの髪の少女がこちらへ小走りで駆け寄ってくる。
「あれまだ未完成なんです、焼き入れの温度があと15度足りなくて、刃紋の流れが理想の7割しか出てなくて、柄の重心バランスも0.3ミリずれてて、あの状態で人に見られるのは職人として恥ずかしいというか死にたいというか――」
早い。さっきまでのおどおどした声が嘘みたいに、凄まじい速度で言葉が溢れ出している。
だが、途中で自分の早口に気づいたらしい。ハッと口を両手で押さえて、耳の先まで真っ赤に染まった。
「す、すみません……わたし、こういう話になるとつい……」
改めて正面から向き合う。
ピンクのショートヘアは少しくせっ毛で、あちこちが跳ねている。タンクトップに作業用のエプロン。細い腕の二の腕や指先に、ところどころ小さな火傷の跡。鍛冶仕事の勲章だ。
頬に煤がついていることにも気づいていない。
それなのに、顔立ちは驚くほど整っていた。
そしてタンクトップとエプロンの上からでもはっきりわかる、豊満な胸元の主張。
……完全に、目が吸い寄せられた。
「……へえ」
隣から、絶対零度の声が聞こえた。嫌な予感がしてチラリと横を見ると、栞が腕を組み、半眼で俺をジトッと睨みつけている。
「……なんだよ」
「別に? 相変わらず分かりやすい男だな、って感心しただけ」
「……」
痛いところを突かれ、俺は慌てて小さく咳払いをした。そして、壁の武器の並びを確認するふりをして、不自然に視線を天井の方へ逃がした。
当の少女は、俺たちのやり取りにまったく気づいていない。エプロンの裾を両手で握りしめたまま、視線が床と俺の顔の間を忙しなく往復している。
「は、初めまして……鋼島つむぎ、です。その、天城さんのご紹介ということは……えっと、冒険者の方、ですよね……?」
まともに目も合わせられないらしい。派手な外見とは裏腹に、中身は完全に小動物だった。
俺と栞は静かに顔を見合わせた。栞が小声で呟く。
「……これは、なかなかの逸材ね」
◇
「朝倉優馬です。こっちはバディの神城栞。今日は武器と防具のベースを作ってもらえないかと思って来ました」
俺が名乗ると、つむぎは小さく頷いた。だが目線は俺の顔ではなく、俺の腰に下がっている強化ミスリルナイフに釘付けになっている。
「あ、あの……そのナイフ、ミスリル合金ですよね。鍛造じゃなくて……市販品ですか?」
「ああ、元は市販品。それに合成スキルで強化をかけてる」
「合成……」
つむぎの瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた。
「見せてもらっても、いいですか……?」
「ああ、どうぞ。……それと、できればこっちも見てもらいたいんですけど」
俺はリュックに手を入れるふりをして、収納から緋炎の籠手を取り出した。テーブルの上に置く。
赤みを帯びた鋼の籠手。火の付与が表面で微かに脈動している。
つむぎの動きが変わったのは、その瞬間だった。
おどおどした猫背がすっと伸びる。エプロンの裾を握りしめていた両手が離れ、迷いのない動作で籠手を持ち上げた。
ひっくり返す。継ぎ目を指先でなぞる。光に透かし、角度を変え、内側の付与紋様を覗き込む。
長い沈黙。工房の中に、炉の火が爆ぜる小さな音だけが落ちる。
やがてつむぎが顔を上げた。さっきまでの小動物の目ではない。職人の目だ。
「すごい」
声のトーンが、別人だった。
「この火の付与、素材の内部まで均一に浸透してます。普通の炉で焼き入れしたら、火は絶対に表面に偏るんです。それを内部の結晶構造にまで行き渡らせてる。これ、合成スキルの特性ですよね? わたしの技術じゃどうやってもここまで均一にはできないです。素材の相性を読む目もすごくて、籠手の鋼と火の属性石の融合比率がほぼ理想値で、しかも指の関節の可動域を殺さない設計になってて――」
止まらない。目が輝いている。頬が紅潮している。息継ぎすら惜しいみたいに、言葉が途切れなく溢れ出す。
栞が隣で目を丸くしていた。さっきの人見知りの少女と、今この瞬間の彼女が同一人物だと、脳が処理しきれていないらしい。
だが、つむぎの指先が籠手の接合面に触れた瞬間、表情が変わった。輝いていた目が、すっと曇る。
「……でも、ここ」
声が落ちた。
「ここの接合面の処理が甘いです。魔力の漏出が……たぶん0.2%くらい。素材選びも、構想も、付与の浸透もこんなに良いのに、仕上げだけがスキル任せになってます」
籠手を裏返し、継ぎ目の1点を指で示す。
「ここをこう処理すれば漏出はゼロにできます。角の面取りもこの角度じゃなくて、あと3度だけ浅くすれば打撃時の衝撃伝達が14%上がります。それからここの厚みも0.5ミリ削れば重量バランスが――」
また早口。また自分で気づく。また口を両手で押さえて、耳まで真っ赤になる。
「す、すみません……出すぎたことを……」
「いや」
俺は素直に言った。
「全部当たってると思う。仕上げが雑なのは自覚してた。合成で素材を馴染ませることはできるけど、最後の形を整える技術は俺にはないんで」
つむぎが顔を上げる。栞が静かに口を開いた。
「つまり、あなたの基礎技術と優馬の合成を組み合わせれば、もっと上のものが作れるということね」
空気が変わった。つむぎが栞を見る。少し間があった。それから、小さく頷いた。
「……そう、なります」
声は震えていたが、目はまっすぐだった。
◇
条件の話になると、つむぎはまたおどおどに戻った。
「あ、あの……お代は……いらないです」
「いらない?」
「その代わり……深部の素材を、少しだけ分けていただけたら……」
つむぎが指先を擦り合わせながら、消え入りそうな声で続ける。
「わたし、ずっとBランク以上の素材が手に入らなくて。自分じゃ潜れないし、仕入れルートもなくて……良い素体を作っても、最後の仕上げに使う高純度の鉱石や魔力素材が足りないんです」
なるほど。腕は超一流なのに商売が回っていない理由が見えた。客を選びすぎて収入がない。収入がないから素材も買えない。素材がないから最高の仕事ができない。悪循環だ。
「素材なら結構拾ってくるんで、そこは心配しなくて大丈夫です」
つむぎの目がまん丸になった。
「ほ、本当ですか……!」
声が裏返っている。栞が俺の耳元に顔を寄せ、小声で囁いた。
「あなたの収納を知ったら腰抜かすでしょうね」
俺は軽く肘で栞を牽制した。聞こえたらまずい。
つむぎは聞こえていないようだった。嬉しさと緊張が入り混じった顔で、工房の奥へ小走りで向かう。
棚の一番奥から、布に包まれた細長い何かを両手で抱えて戻ってきた。作業台の上で、そっと布を開く。
中にあったのは、一振りのナイフだった。真っ白な刀身。付与も装飾もない。
だが、手に取った瞬間に分かった。重心が完璧だ。握った指の延長線上に、刃先がある。振ったら腕の一部になる。そういう精度。
鑑定をかける。無銘のナイフ。しかしベース性能の数値が、今の俺の強化ミスリルナイフを上回っていた。何の付与もない、素の状態で。
「こ、これ……わたしが今作れる、最高の素体です」
つむぎが両手を膝の上で握りしめ、上目遣いでこちらを見た。
「これに、朝倉さんの合成を……かけてみてもらえませんか。その結果を見て、わたしも……覚悟を、決めたいので」
鏡面仕上げの刀身に、俺の顔が映っている。これはスキルの産物じゃない。この子の手と、修練と、途方もない時間が詰まった一振りだ。
「わかりました。……ただ、明日まで待つのは少しもったいない気がするな。今、ここで一度合成をかけてみてもいいですか?」
俺が提案すると、つむぎが目を丸くした。
「えっ……今、ですか? でも、合成にはそれに釣り合う強力な素材が……」
「素材なら、ちょうど手持ちがあるんで」
俺は背負っていたダミーリュックを床に下ろし、奥の収納スキルへと意識を繋いだ。最近のBランクダンジョン周回で集めた一級品の素材たちを、次々とリュックから取り出すふりをしてテーブルに並べていく。
ブラッド・リザードの深紅の鱗。アイアン・ボアの鋼鉄の牙。それから、Aランクの新宿深淵迷宮で拾った鋼鉄の結晶石と、極めて純度の高い魔力結晶(大)。
ゴトッ、ゴトッと重い音を立てて並べられた素材を見て、つむぎの口がぽかんと開いた。
「え……っ? ちょっと待ってください、なんでそんなBランクやAランクの特級素材が、普通のリュックから無造作に出てくるんですか!? しかも血の匂いもしてないし、保存状態が完璧すぎて……」
混乱するつむぎをよそに、栞が呆れたようにため息をついた。
「気にしないで。この人、そういう理不尽な手品が得意なのよ」
「て、手品……?」
俺は苦笑しながら、テーブルの上の無銘のナイフを手に取った。ベースにこのナイフを指定し、追加素材にテーブルの上の特級素材をすべてセットする。
目の前に展開された合成ウィンドウの成功率は82%。素体の精度が異常に高いためか、これだけの異物をごちゃ混ぜにしても成功率は跳ね上がっていた。
「……やってみます」
俺は迷わず、確定を選んだ。
ポン、と軽い電子音。次の瞬間、テーブルの上を強烈な光が包み込んだ。
太陽を直接見たような眩しさに、俺も栞も思わず目を細める。つむぎが「ひゃっ」と短い悲鳴を上げて目を覆った。
数秒後。光がスッと引いたテーブルの上には、さっきまでの純白のナイフとは全く違う、異様な気配を放つ一振りの短剣が置かれていた。
刀身は、夜空のように深い漆黒。だが、刃の峰に沿って、血のように赤い魔力のラインが静かに脈動している。見ただけで肌が粟立つような、圧倒的な暴力の気配がそこにあった。
「……なんだこれ」
俺は息を呑んで、短剣を手に取った。驚くほど軽い。それなのに、鋼鉄の塊を握っているような異様な密度を感じる。俺は脳内で鑑定(中級)を発動した。
『名称:黒淵の紅刃』
『付与効果:装甲絶対貫通、魔力切断、炎属性極大化』
「……は?」
思わず変な声が出た。付与効果の並びが明らかにおかしい。Aランクのボスの鱗すら豆腐みたいに切り裂けるであろう装甲絶対貫通に、魔法そのものを斬り捨てる魔力切断。今まで使っていた強化ミスリルナイフとは、文字通り次元が違う。
「あ、朝倉さん……結果、どうなりました……?」
つむぎが恐る恐る、テーブルの端から顔を覗かせた。俺は言葉で説明するのを諦め、ステータスの鑑定結果をウィンドウの共有設定で二人の視界に飛ばした。
「……えっ」
それを見た瞬間。つむぎの膝の力が抜け、ガクンとその場にへたり込んだ。
「装甲絶対貫通……魔力切断……炎属性極大化……?」
つむぎの震える声が、工房の地下室に虚しく響く。目は限界まで見開かれ、完全に焦点が合っていない。腰を抜かしたまま、自分の作った素体が化けたバケモノを指差して震えている。
「あ、ありえない……こんな常識外れの付与が3つも重なったら、どんな素体だって耐えきれずに自壊するのに……完全に刃として、完璧なバランスで成立してる……えええ……!?」
パニックを起こして息を荒らげるつむぎの横で、栞がジト目で俺を睨んできた。
「……あなた、また常識壊したわね」
「……俺のせいじゃない。元々の素体の精度が良すぎたんだ」
「それを混ぜ合わせたのはあなたでしょ。Bランク帯の魔物、これで斬ったら跡形もなく消し飛ぶわよ」
俺は漆黒の刃を眺めながら、思わず口角が上がるのを抑えきれなかった。
「……まあ、明日の探索が楽しみになったな」
床で「信じられない……」とブツブツ呟きながらへたり込んでいる天才鍛冶師を見下ろしながら。俺たちの東京での無双劇は、ここからさらに理不尽な次元へと加速していくことを確信していた。




