第28話 ブラッド・オーガと、限界突破の最適解
重厚な石扉を、押し開けた。
広大な石室だった。
天井が高い。壁に埋め込まれた魔石の光が、血のように赤い。Cランク帯の青白い光とは違う。赤い光が床に伸びて、石畳に長い影を作っている。
中央に、それがいた。
ブラッド・オーガ。
体高3メートルを超えている。全身が赤黒い皮膚に覆われていて、鎧のような筋肉が皮膚の下でうごめいている。両腕は体幹より太い。手には何も持っていない。拳と体重だけが武器だ。
ただ立って、低く濁った息を吐くだけで、石室の空気が重くきしんだ。
格が、違う。
コメント欄が一瞬静止した。
『これ……Aランクのボスか?』
『Bランク上位相当って聞いてたけど見た目がやばすぎる』
『2人で勝てる相手じゃない』
『デュオ受験はさすがに無謀だったか……』
◇
栞と目が合った。
「……頼む。限界まで出してくれ」
「……壊れても知らないわよ」
「……栞を信じてる」
目を閉じた。
睡魔が脳髄を殴る。意識が、深い底へ沈んでいった。
◇
真っ黒な空間。白枠のコマンド画面が浮かんでいる。
『ブラッド・オーガ が あらわれた!』
『たたかう 消費SP:10』
『まほう』
『どうぐ』
『スキル』
『にげる 消費SP:100』
『ユウマ の こうげき!』
◇
栞が極大の魔法陣を展開した。
観測するのは優馬の筋肉の軋みと骨の悲鳴。肉体が自壊する直前、限界ギリギリの支援を乗せる。Aランクの魔力密度を逆用した、これまでにない出力だ。
『身体能力強化(極大)』
栞の額に汗が浮いた。瞬きを忘れ、視線を優馬の全身に這わせる。コンマ0.1秒でも遅れれば、肉体が自壊する。
コメント欄が爆発した。
『栞さんの魔法陣、いつもの倍以上ある!』
『あの出力で優馬が自壊しないの!?』
『栞さんが本気出してる……』
◇
立ったまま目を閉じた優馬が、オーガへ向かって踏み込んだ。
強化ミスリルナイフが腹部へ入った瞬間——弾き返された。
火花が散る。刃が滑る。継ぎ目がない。全身が均一な硬度の塊だ。
オーガが右腕を振るった。
巨大な風圧。床が抉れ、砕けた破片が散弾のように飛び散る。
優馬が紙一枚で躱した。
コメント欄が焦り始める。
『攻撃通ってないぞ!』
『どうやって倒すんだ!?』
『いつもと違う。詰まってる』
オーガが今度は左腕を薙いだ。水平の一撃。空気が唸る。壁まで届く軌道。
優馬が膝を折って潜り抜けた。
すかさず懐へ踏み込む。脇腹。膝の裏。首元。ミスリルナイフと黒短剣が交互に叩き込まれる。
全部、弾かれた。
コメント欄が沈黙する。
『これ本当に詰んでない?』
『Aランクのボスは格が違いすぎる』
『栞さんが限界バフ出しても通らないのか……』
オーガが吠えた。
地響きのような咆哮が石室を揺らす。
そのまま正面から突っ込んでくる。体重2トンの突進。床が割れながら迫ってくる。
優馬が横へ跳んだ。
オーガの拳が石畳に激突した。石室全体が揺れた。拳の着弾点に、深い亀裂が走った。
コメント欄が悲鳴を上げる。
『今の直撃してたら即死だろ』
『なのに1ミリも当たってない』
『回避だけで削れてるわけじゃないのに……どうするんだ』
◇
『ユウマ の 火属性魔法!』
炎がオーガの全身を舐めた。
一箇所だけ、色が違った。首の付け根。そこだけ熱を吸い込んでいる。
コメント欄が気づいた。
『今の魔法、攻撃じゃなくてスキャンしてる?』
『首の付け根だけ反応が違くない?』
『弱点探してるのか! 寝ながら!!』
『やっぱりこいつ化け物だわ』
◇
『ユウマ の 火炎突き!』
刃に炎が纏わりつき、優馬が首の付け根へ向かって突っ込んだ。
オーガが腕で防ごうとした。
遅い。
炎の刃が弱点へ滑り込んだ。
皮膚が焦げる音がした。オーガが初めて、うめき声を上げた。
コメント欄が沸いた。
『通った!!』
『火炎突きが弱点に刺さってる!』
『ダメージ入ってるぞ!!』
しかし——オーガが怒り狂った。
両腕を無軌道に振り回す。怒りに任せた乱打。速度が増している。栞のデバフを突き破ってくる力がある。
『速度低下』
デバフが飛ぶ。でも怒り補正が乗ったオーガの動きは止まらない。
優馬が回避を繰り返す。一撃でも食らえば終わりだ。
コメント欄が叫ぶ。
『押されてる!』
『さっきより速いぞ!』
『栞さんのデバフが追いつかない!』
火炎突きをもう一度叩き込む。また弱点に入った。オーガがよろめいた。
でも倒れない。
コメント欄の緊張が高まる。
『あと何発いる?』
『SP大丈夫か? 消耗してるだろ』
『栞さんも限界に近そう……』
◇
オーガが両腕を振り上げた。
全身の筋肉が膨張する。石室の空気が、一瞬だけ静止した。
最大の大振り。石室そのものを粉砕するような一撃が、頭上から振り下ろされる。
コメント欄が悲鳴を上げる。
『やばいやばいやばい』
『あれ食らったら即死だろ』
『逃げて!!!』
『火炎突きで怒らせて大振り誘発したのか!?』
『最初からこれが狙いだったのか……』
栞が意図を読んだ。
防御と回避の支援を切り捨て、速度と貫通力だけを一点に叩き込む。
『ユウマ の カウンター!』
◇
振り下ろされる巨腕の死角。
優馬が極限まで踏み込んだ。
オーガの体重と振り下ろしの運動エネルギーを逆利用する。強化ミスリルナイフが、首の付け根の弱点へ向けて一直線に突き刺さった。
火炎突きで焼かれた弱点は、もう耐えられない。
パァン、と。
限界を迎えた弱点が、内側から弾けた。
オーガが硬直した。
両腕が止まる。振り下ろしの勢いが消える。
そして地響きを立てて、石畳へ崩れ落ちた。
次の瞬間、巨体が光の粒子に変わった。
『ブラッド・オーガ を たおした!』
『ユウマ の レベル が あがった!』
『レベルアップボーナス! HP と SP が ぜんかいふく した!』
コメント欄が沸騰した。
『カウンターで決めた!!!』
『Aランクボスをデュオで倒したぞ!!』
『栞さんのバフが規格外すぎる』
『寝落ちニキ、完全に人外の領域じゃん』
『火炎突きで削ってカウンターで仕留めるコンボ鳥肌立った』
◇
目を開けた。
静かだ。
光の粒子が消えた後、床に残ったのは4つだった。
討伐証明の魔核。ずしりと重い。
オーガの籠手——黒光りする重厚な装備品だ。鑑定をかける前から、質の高さがわかる。
それから赤黒い魔石が一つ。大振りで密度が高い。合成素材として相当な価値がある。
そして。
淡く発光する、見慣れた形の石。
「……欠片だ」
5個目。収納に放り込んだ。
インベントリを確認する。
道標の石が光っていた。同期率が上がっている。
何が変わったのかは、まだわからない。
でも確かに、動いている。
栞が静かに横に並んだ。
「……終わったわね」
「ああ」
◇
転送陣でギルド本部へ戻ると、桐島が待っていた。
腕を組んで、壁に背をもたせかけている。
俺と栞を、順番に見た。
長い沈黙。
「合格だ」
それだけ言った。
続けて、ほんの少しだけ声のトーンが変わった。
「……俺の見立てが外れた。それだけだ」
俺は何も言わなかった。
栞が小さく頷いた。
桐島が踵を返して、廊下を歩いていく。
その背中が、少しだけ、さっきより大きく見えた。
◇
受付へ向かった。
いつもの窓口。でも今日は違う書類が出てきた。
「Bランク冒険者カードの発行です。おめでとうございます」
受け取る。
Cランクのカードより、少し厚い。少し重い。
表面に刻まれたランク表記が、CからBに変わっている。
それだけだ。でも確かに、変わっている。
栞が横から覗き込んだ。
「次はAランクね」
「ああ」
ロビーの天井が、高い。
夢の底まで、まだ遠い。
でも一段、上がった。




