第27話 Aランクの洗礼と、同期する夢の戦場
ギルド本部の待合エリアは、いつもより静かだった。
受付で正式承認書を受け取り、指定された面談室へ向かう。扉を開けると、先に男が待っていた。
50代手前。椅子に座っているのに、妙な圧がある。がっしりとした体躯。顔に傷が多い。ネクタイもしていない。探索者上がりの試験官だと一目でわかる。
「桐島だ。試験を担当する」
立ち上がりもせず、そう言った。
桐島は承認書を一瞥した。それから俺と栞を、順番に見た。
「エンブレムで通したんだろう。天城凛の名前は知ってる。だがそれはあの人の実力であって、お前たちの実力じゃない」
怒りでも嫌みでもない。事実として、言っている。
「Aランク浅層の魔力密度はCランク帯の3倍以上ある。慣れない探索者は入った瞬間から消耗が始まる。体が重くなる。判断が鈍る。魔法の精度が落ちる。それでも動き続けなければいけない」
一拍置いた。
「今からでも辞退できる。死にたくなければ、そうしろ」
俺は桐島の目を見た。嘘をついていない目だ。心配している。ただし、見くびってもいる。
「……辞退はしません。討伐対象を教えてください」
桐島の目が、わずかに動いた。それだけだった。
◇
ギルド地下。転送陣のフロア。
「新宿深淵迷宮。Aランクダンジョンの中では浅層寄りの構造だ。討伐目標はブラッド・オーガ。1体の討伐証明を持ち帰れ」
桐島が試験票を渡してきた。
ドローンを起動する。電源が入った瞬間、同接カウンターが跳ね上がった。
15,000。
平日の昼間だというのに。
コメント欄が流れ始める。
『Bランク試験始まる!?』
『デュオ受験って本当だったのか』
『Aランクダンジョンに2人で突っ込むの正気か』
『栞さんのデバフがあれば行けるやろ(震え声)』
「準備はいいか」
「ええ」
転送光が、2人を包んだ。
◇
転送完了の瞬間、全身に圧がかかった。
空気が、重い。
魔力が空気に溶け込んでいる。肺に入ってくるたびに、体の内側から押し返されるような感覚がある。
栞が顔をしかめた。片手で胸元を押さえている。
「……これは確かに、きついわね」
「慣れるか?」
「慣れるしかないでしょ」
石造りの回廊。天井が高い。壁に傷一つない。長い年月、誰にも削られていない壁だ。壁に埋め込まれた魔石が青白い光を放っている。
足元に、焦げ跡がある。探索者の装備が焼けた痕じゃない。魔物が放った攻撃の残滓だ。
気配察知が反応した。前方。複数。速い。
「来る」
「わかってる」
栞が詠唱を組んだ。
『身体能力強化(大)』『回避補正(大)』
バフが全身を薄く包む。青白い光が、静かに広がる。
「行って」
目を閉じた。
◇
真っ黒な空間。白枠のコマンド画面が浮かんでいる。
『たたかう 消費SP:10』
『まほう』
『どうぐ』
『スキル』
『にげる 消費SP:100』
『ユウマ の こうげき!』
◇
立ったまま目を閉じた優馬が、先頭の1体へ突っ込んだ。
強化ミスリルナイフが鱗を叩いた瞬間——弾き返された。黒短剣も試した。同じだった。
コメント欄が流れる。
『あ、弾かれた』
『Aランクの鱗、硬すぎる』
『2本あっても通らないのか……』
『これ2人じゃ無理じゃない?』
『ユウマ の こうげき!』
今度は角度が変わった。刃が鱗の継ぎ目へ滑り込む。
1体目が膝をついた。
コメント欄が沸いた。
『あ、狙いが変わった』
『1発目で硬さ読んで継ぎ目狙いにシフトしてる!?』
『寝ながら学習してるじゃん化け物か』
背後で包囲が縮まる。
『防御力低下』『速度低下』
栞のデバフが飛んだ。でも効きが遅い。
コメント欄が気づく。
『あれ、デバフの乗りが悪くない?』
『魔力密度のせいで魔法の精度落ちてるのか』
『栞さんも消耗してる……』
残り3体が動いた。
2体が正面から来る。そして——もう1体が、栞へ向かって死角から跳んだ。
コマンド画面の右下で、点滅が急加速した。
『拡張パッチ【夢の道標】:同期率4% → 8% → 12%』
敵の軌跡が、薄いラインとして視覚化される。
次に選ぶべきコマンドが、光った。
『スキル』→『かばう』
『ユウマ は シオリ を かばった!』
リザードマンの爪が栞の首筋へ迫る瞬間——優馬が、その軌道へ割り込んだ。
爪が、強化レザーアーマーを深く抉った。金属が裂ける音が回廊に響く。
コメント欄が爆発した。
『今の見えた!? 寝たまま栞さん庇ったぞ!!』
『死角から来た攻撃なのに!?』
『かばう持ちだったのか……』
かばった勢いを殺さず、優馬が回転する。
銀の刃と黒い刃が交互に継ぎ目を抉る——【すり抜け連撃】が深々と入った。
『防御力低下(大)』
栞のデバフが重なる。鱗が、割れた。
残り2体へ向けて優馬が跳ぶ。刃に炎が纏わりついた。
『ユウマ の 火炎突き!』
鱗の継ぎ目から火が入る。内側から焼く。
2体が同時に沈んだ。
コメント欄が沸いた。
『Aランクの魔物が紙みたいに死んでいく』
『火炎突きまで使えるのかこいつ』
『デバフとのコンボえぐすぎて草』
◇
目を開けた。
4体、全滅。
背中がじくじくと痛む。血が滲んでいるのが、感覚でわかった。
SPを確認する。思ったより、削れている。
栞が1歩近づいた。
背中の裂傷を確認して、即座にヒールをかける。白い光が傷口を覆った。それから全身に回復魔法が広がる。痛みが、じわじわと引いていった。
栞の指先が、一瞬だけ震えていた。
それから、静かに言った。
「……私には、あなたがくれたネックレスがあるのに」
栞の鎖骨の上で、身代わりの霊力首飾りが静かに光っている。
俺は何も言わなかった。
栞も、それ以上は何も言わなかった。
◇
奥へ進んだ。
魔力密度がさらに上がっていく。数回の遭遇戦を重ねるたびに、SPが削れていく。
『速度低下』『防御力低下(大)』
デバフが飛ぶ。魔物が沈む。また進む。
バフを重ねるたびに栞の呼吸が少しずつ乱れていく。魔力密度の高い環境での連続詠唱は、栞にとっても消耗が激しい。
それを繰り返すうちに、SPが危険水域に入った。
ボス部屋の手前の通路。
重厚な石扉。その向こうから地響きのような低い振動が伝わってくる。
ブラッド・オーガ。推定体重2トン。Bランク上位相当。
SPを確認する。
足りない。
壁にもたれかかった。
そのまま、落ちた。
気絶するように——崩れ落ちるように——意識が落ちていった。
◇
真っ黒な空間。
何もない。
ただ、後頭部に柔らかい何かが触れていた。
そこへ、突然、金色のメッセージが流れた。
『外部からの特殊な魔力支援(身体接触)を検知』
『特殊条件達成:【女神の膝枕】』
『深い眠り……SP回復効率:300%』
……女神の膝枕?
何のバグだ。
SPが凄まじい勢いで回復していくのがわかった。夢の中なのに、体が温かい。外から何かが流れ込んでくる感覚がある。後頭部の、柔らかい感触が続いている。
道標の石が、夢の中で光っていた。
さっきより、強く。
◇
目を開けた。
最初に見えたのは、天井じゃなかった。
逆さまの、栞の顔だった。
後頭部に、冷たい石畳とは違う柔らかい感触がある。微かな体温。白銀の髪が、視界の端に揺れている。
俺は一瞬、思考が完全に止まった。
慌てて起き上がった。
栞は何も言わなかった。耳まで真っ赤にしたまま、スッと立ち上がって、そっぽを向いた。
俺も何も言わなかった。
SPを確認する。ほぼ全回復していた。
……なるほど。
ふとドローンのモニターに目をやった。配信のアーカイブが流れている。
コメント欄を見た。
『ニチャア』
『攻略上必須だからな!!!』
『栞さん最高かよ』
『寝落ちニキ、気づいてないの草』
俺はモニターから視線を外した。
夢の中のシステムメッセージの意味が、ようやくわかった。
女神の膝枕。そういうことか。
インベントリを確認する。道標の石が、はっきりと光っていた。
強化ミスリルナイフを握り直した。
「行くか」
栞がそっぽを向いたまま答えた。
「……ええ」
2人並んで、扉へ向かった。
◇
ギルド本部。モニタールーム。
桐島はコーヒーが冷めていることに気づいていない。
Aランクの魔力密度の中で、2人は互いの弱さと強さを補い合って動いていた。少年が1度崩れ落ち、少女が無言で支えた。そして完全に回復して立ち上がった。
「……コネじゃないな」




