第21話 深淵の魔女と、遥かなるSランク
池袋ダンジョン群。CランクとDランクの境界エリア、嘆きの廃城。
崩れかけた石造りの壁には不気味な蔦が這い、どこからか冷たい水滴の落ちる音が響く。
陰鬱な階層の一角にある安全地帯で、俺と栞は短い休憩を取っていた。
「ねえ、私のレベル、ついに20になったわ」
栞がホログラムのステータス画面を睨みながら、呆れたようにため息をつく。
「おかしいのよ。普通、上がるほど次の経験値って跳ね上がっていくじゃない」
「そうだな」
「なのに優馬と完全に同じペースで上がってる。……パーティ全体の獲得量ごと底上げしてるのね、あなたのスキル」
「俺も19になった。足並みが揃うのは助かるよ。栞に倒れられるのが一番困るからな」
「ふふ。全身の装備を一新したんだから、そう簡単にはやられないわよ」
栞が新調した深淵の魔導ローブの滑らかな布地を撫でながら笑う。
そんな他愛のない会話をしていると、通路の奥から複数の足音が近づいてきた。
「あ、朝倉さん。栞さん」
先頭を歩く大剣使いのポニーテールの少女が、俺たちに気づいてパッと表情を明るくした。
彼女の後ろには、さらに4人の少女たちが続いている。
女性限定の中堅クラン、白百合の剣。
そのDランクパーティ、ステラのメンバーだ。
「先週は、本当にありがとうございました。お二人がいなければ、私たちは確実に全滅していました」
リーダーの神崎綾香が、深々と頭を下げる。
彼女たちと出会ったのは、ちょうど1週間前のことだった。
◇
1週間前。
俺たちは、ダンジョンの広間で魔物の群れに完全に包囲され、陣形が崩壊しかけている彼女たちに遭遇した。
上空から石の槍を降らせるガーゴイルの群れ。
そして地上には、物理攻撃に極めて高い耐性を持つ粘体、アシッド・スライム。
盾役の桜井沙織は、ガーゴイルの石槍とスライムの酸で大盾をボロボロにされ、膝をつきかけている。
後衛アタッカーの橘玲奈が放つ炎の魔法は、空を飛ぶガーゴイルに躱され、スライムには威力を半減されて決定打にならない。
ヒーラーの望月琴音は魔力切れを起こし、涙目でメイスを握りしめていた。
索敵担当の星野雫が必死に短剣で牽制しているが、数の暴力の前に全滅は時間の問題だった。
厄介な混成部隊。
俺がナイフを抜いて前に出ようとした瞬間、栞がスッと腕を伸ばして制止した。
「私が動きを止める。装甲も剥がすから、一気にやって」
短い言葉。
その直後、栞から凄まじい魔力の波動が膨れ上がる。
「重力沼」
ドスッ、と重い音が広間に響いた。
上空を飛んでいたガーゴイルが強烈な重力に引かれ、床へ無様に墜落する。
「防御溶解」
紫色の霧が広がり、ガーゴイルの石の皮膚と、スライムの物理耐性を持つ粘体がシュウシュウと音を立てて溶け始めた。
「そして、氷結陣」
パキパキと空気を凍らせる音。
広間の床一帯が分厚い氷に覆われる。
地に落ちたガーゴイルも、這いずるスライムも、完全に氷に縫い止められた。
完璧な無力化。装甲の破壊。キルゾーンの完成。
俺は挑発を放ち、敵のヘイトを限界まで引きつける。
そして目を閉じた。
深い睡魔が脳髄を殴る。
意識が、底へ落ちていく。
暗闇の空間に、ウィンドウが浮かんだ。
敵は1箇所に固まり、装甲は剥がれている。
なら、やることは一つだ。
『火炎突き 消費SP:80』
ポン、と軽い電子音。コマンドが確定する。
◇
ドローンの映像が捉えた。
眠りに落ちたはずの優馬が、凍りついた床を蹴った。
重心移動がブレない。滑らない。
オート戦闘が最適解だけを選び抜いて、爆発的な速度を生み出す。
一瞬で距離を詰め、装甲を失った群れへ2本の刃が突き立てられる。
ガーゴイルを串刺しにし、残ったスライムをもう1本で両断した。
陽気なファンファーレ。
コメント欄が沸いた。
『重力、酸、氷結……完璧なキルゾーン構築だ』
『氷の上でその速度出せるの意味わからん』
『体幹のブレがゼロなんだろうな』
『Dランク5人がかりで無理な群れを数秒で処理すなww』
『スライムが豆腐みたいに斬られてて草』
凍りついた広間に、魔石が砕ける音だけが連続した。
◇
気がつくと、戦闘は終わっていた。
呆然とへたり込むステラのメンバーのもとへ、栞が歩み寄って治癒魔法をかける。
淡い光が深い傷や火傷を包み込み、一瞬で塞いでみせた。
琴音が、女神でも見るみたいな目で栞を見上げていたのを覚えている。
◇
「……あの時のご恩は、絶対に忘れません」
現在。
綾香が改めて頭を下げると、後ろの4人も深い尊敬と熱を帯びた瞳でこちらを見つめてきた。
同年代の美少女が5人。至近距離。しかもキラキラした尊敬の眼差し。
正直、かなり照れくさい。
「あ、いや……気にしないでくれ。俺たちはたまたま通りかかっただけだから。うん」
無意識に頭を掻く。顔が熱い。視線が泳ぐ。
ブラック企業で使い潰されていた頃に、こんな場面があるはずもなかった。
すると、隣から「へえ」という冷えた声。
チラリと横を見ると、栞が半眼で俺をジトッと睨んでいる。
「ずいぶん鼻の下が伸びてるわね、優馬。美少女に囲まれてそんなに嬉しいの?」
「べ、別に伸びてないだろ」
「伸びてる。普段の愛想のない無表情はどこにいったのよ。デレデレじゃない」
ツン、と不機嫌そうに顔を背けて、俺の腕をつねってくる。
理由が分からない。助けた相手が礼を言ってるだけだ。
そんな俺たちのやり取りを見て、玲奈がハッとしたように栞を指差した。
「あれっ。栞さん、先週と装備変わりました?」
「あ、ほんとだ。ローブ、すっごい魔力が滲み出てるし、デザインも大人っぽくて綺麗……」
琴音が目をキラキラさせて身を乗り出す。
「で、でしょ。この深淵の魔導ローブ、防御力も魔力補正も段違いなのよ」
女の子たちの純粋な称賛に、栞の不機嫌さが少しだけ和らぐ。
ちょっと得意げにターンすると、「かわいい」「いいなぁ」「特注品ですか?」と弾んだ声が上がった。
「朝倉さんの鎧も、前よりずっとスタイリッシュでかっこいいですね。黒獣の革……ですか?」
今度は雫が、俺の黒獣のレザーアーマーを興味深そうに観察してくる。
顔が近い。いい匂いがする。
「あ、ああ。この前の探索で素材が揃って、新調したんだ。軽くて機動力も上がるし……その、助かってる」
しどろもどろになる俺の横で、栞がこれ見よがしにふんっと鼻を鳴らした。
雫は俺には理解できない栞の不機嫌さに薄々感づいているのか、口元を少し綻ばせながら、わざとらしくため息をつく。
「なるほど……先週の時点であんな異常な動きをしてたのに、その上防御力と機動力まで上がってるなら、もう弱点なんてなさそうですね」
◇
ひとしきり装備の話題で盛り上がったあと、綾香が姿勢を正し、声のトーンを落とした。
「あの、もしよければ……今日の探索のあと、私たちのクラン事務所に来ていただけませんか?」
「事務所に?」
「はい。実は今日、ギルドの入構ログでお二人が池袋に潜っているのを知って……どうしてもお伝えしたいことがあって、この境界の安全地帯でずっと待っていたんです」
綾香の目が真剣になる。
「お二人に命を救われたこと、クランへの報告書でリーダーにも直接お伝えしました。そうしたら、リーダーが私から直接お礼が言いたいと」
クランリーダー。
その言葉が出た瞬間、ステラの5人の空気がピリッと引き締まった。
瞳の奥に宿るのは畏敬と、強烈な憧れ。
「今日、珍しく……うちのクランリーダーが池袋支部に視察にいらっしゃっているんです」
綾香が少しだけ誇らしげに言う。
「私たちのリーダーは、日本に数えるほどしかいないと言われる……Sランク冒険者の一人なんです」
Sランク。
その響きだけで、俺は無意識に息を呑んだ。
Aランクの魔物。つまり街一つを容易く壊滅させる災害級のバケモノ。
それを単独で討伐できること。
それがSランクに上がるための最低条件。
物理法則を無視した速度。
環境そのものを書き換える絶大な魔力。
そして絶対に揺るがない強靭な精神力。
人類の最高峰。生きた戦略兵器。
俺の脳裏に、あの因縁のAランク探索者の顔がよぎった。
ドローンを破壊し、俺を重力で石畳に這いつくばらせた男。
あいつより上。
束になっても勝てないレベルの存在。
……そう思った瞬間、腹の奥底で何かが熱く燃え上がった。
俺の睡眠オート戦闘は、その頂点からどう見える。
いつか、その高みに立てるのか。
隣を見ると、栞もごくりと喉を鳴らしていた。
同じ魔法使いとしての好奇心と、かすかな対抗心が宿っているのが分かる。
「えっと……じゃあ、せっかくだしお言葉に甘えようかな。栞もそれでいいか?」
俺が話を振ると、栞は腕を組んだまま、少しだけ不機嫌さを引っ込めて頷いた。
「ええ、まあ。Sランクがどんなものか、この目で確かめたい気はするし」
「分かった。それじゃ、案内をお願いするよ」
そう答えると、綾香たち5人はパッと顔を輝かせた。
「本当ですか。ありがとうございます。リーダーもきっと喜びます」
「事務所は池袋ダンジョンの地上出口から、歩いて10分くらいのところにあります。私たちがご案内しますね」
ステラのメンバーに先導され、俺たちは安全地帯を出て地上への帰還ルートを歩き始めた。
日本トップクラスのSランク冒険者。
彼女との出会いが、これまで作業みたいだった探索をどう変えるのか。
高鳴る鼓動を感じながら、俺は静かに拳を握り込んだ。




