第15話 限界支援と、最深部の主
10階層の最深部。
重厚な両開きの扉の前に立つ。
ここが初心者ダンジョンの終点だ。
踏破推奨レベルは20のフルパーティ。現在の俺はレベル12、栞はレベル14。
扉の前で、栞が鋭い視線を向けてきた。
「相手は初心者ダンジョンの主よ。基礎ステータスが違いすぎる。限界まで支援を乗せても、刃が届くか分からないわ」
「……遠慮しなくていい。限界まで出してくれ」
「……壊れても知らないわよ」
「……行ける、と思う」
短いやり取り。
俺は扉を押し開けた。
◇
広大な石室。冷たい空気が肌を刺す。
奥に鎮座していたのは、見上げるほどの巨躯だった。
最下層のボス。オーク・ディザスター。
丸太みたいな四肢。鋼みたいな極太の筋繊維が、縄で縛ったみたいに盛り上がっている。
どす黒い皮膚には無数の傷跡。これまでの魔物とは次元が違う、歴戦の暴力がにじんでいた。
手には、大岩に無骨な鉄の柄を突き刺しただけの巨大な槌。
ただ立って、低く濁った息を吐くだけで、室内の空気が重くきしむ。
格が違う。
本能が警鐘を鳴らすほどの死の気配。
だが、俺は高品質なゴブリンナイフを逆手に構え、短く息を吐いた。
そして目を閉じる。
睡魔が脳髄を殴る。
真っ黒な視界。白枠のウィンドウ。
『オーク・ディザスター が あらわれた!』
『たたかう 消費SP:10』
『まほう』
『どうぐ なし』
『スキル』
『にげる 消費SP:100』
俺は迷わず『たたかう』を念じた。
ポン、と軽い電子音。
意識が深く沈み、肉体だけが最適解で動き出す。
◇
ドローン越しに、コメント欄が加速する。
『初心者ダンジョンの主じゃん!』
『推奨レベル20だぞ! 2人じゃ無理だろ!』
悲観の声が画面を埋める。
だが栞はドローンの前で極大の魔法陣を展開した。
観測するのは、優馬の筋肉の軋みと骨の悲鳴。
肉体が自壊する直前、99.9%の限界支援を乗せる。
脱力した俺の身体が、弾けるように加速した。
オーク・ディザスターが咆哮し、鉄槌を横薙ぎに振るう。
遅い重撃じゃない。巨体からは信じられない神速の薙ぎ払い。
風圧だけで床が抉れ、砕けた破片が散弾みたいに飛び散った。
それを、俺の肉体は紙1枚ぶんで躱した。
そのまま懐へ踏み込み、ナイフを足の関節へ叩き込む。
だが、分厚い筋肉の鎧に阻まれ、刃が滑る。
火花が散った。
『おい、攻撃通ってないぞ!』
『ボスの連撃速すぎだろ!』
ボスの攻撃は止まらない。
振り抜いた鉄槌を強引に引き戻し、上段から叩きつけ、さらに裏拳。
暴風みたいな連撃。
密度の濃い死闘。
俺の肉体は、死の軌道をミリ単位で見切り、踊るように回避を続ける。
だが、ステータスの壁が重くのしかかる。
斬り重ねるほど、ゴブリンナイフが刃こぼれしていく。
限界支援を受けた筋繊維が悲鳴を上げ、掌から血が滲み始めた。
栞は額に汗を浮かべ、瞬きも忘れて支援を切り替え続ける。
避ける瞬間に速度。刃を当てる瞬間に筋力。
コンマ0.1秒でも遅れれば、俺の肉体が自壊する。
やがてナイフは限界だった。
刃はボロボロに欠け、まともな斬撃が通らない。
その時、ボスが両腕で鉄槌を高く振り上げた。
全身の筋肉を膨張させた、最大の大振り。
石室そのものを粉砕するような一撃が、脳天めがけて振り下ろされる。
だが、最適解は回避に逃げなかった。
歩幅は変えない。呼吸も崩さない。
轟音の直前。
俺の肉体は前傾で、極限まで踏み込んだ。
狙うのは懐。鉄槌の死角。
栞が意図を読み取る。
防御と回避の支援を切り捨て、速度と貫通力だけを1点に叩き込んだ。
振り下ろされる鉄槌の絶大な運動エネルギー。
それとすれ違う神速の踏み込み。
ボロボロのナイフが、ボスの体重とスイングの勢いを逆利用する形で、顎の下から脳髄へ向けて深々と突き刺さる。
質量を利用した完璧なカウンター。
パァン、と。
限界を迎えた刃が、頭蓋の奥で砕け散った。
巨体が硬直する。
そして地響きを立てて石畳へ崩れ落ちた。
◇
真っ暗な空間に、陽気なファンファーレ。
取得経験値UP(小)の補正が乗り、無機質なテキストが連なる。
『オーク・ディザスター を たおした!』
『ゆうま の レベル が 14 に あがった!』
『しおり の レベル が 16 に あがった!』
『レベルアップボーナス! HP と SP が ぜんかいふく した!』
パチリと目が覚める。
全回復の恩恵で、酷使した筋肉の熱も掌の傷も嘘みたいに消えていた。
だが、手の中で柄だけになったナイフが、さっきまでの死闘を物語っている。
床には特大の魔石。
そして――淡いピンク色に発光するハート形の石。
かつて睡眠ボーナスの三択を黄金に変えた、あのアイテム。
2つ目の夢の欠片だ。
「……また出たか」
俺はそれを拾い上げ、特大魔石と一緒にリュックへ入れるふりをして収納へ放り込む。
空中のウィンドウは、かつてない熱狂だった。
『マジで倒したぞ……』
『初心者ダンジョン制覇しやがった!』
『最後のカウンター何!? 相手の力利用して脳天貫いたぞ!』
『神城栞の切り替えもヤバすぎだろ』
『伝説の始まりを見た』
俺は小さく息を吐き、柄だけのナイフをダミーのリュックに仕舞った。
◇
夜の探索者ギルド。
俺と栞が足を踏み入れると、ロビー中の視線が集まった。
地雷ヒーラーと、得体の知れない新人。
嘲笑と好奇が交錯する中、俺たちは歩幅を変えず受付へ向かう。
顔なじみの受付嬢が、いつもの営業スマイルを浮かべた。
俺は無言でダミーのリュックを下ろし、中身をカウンターに並べる。
道中で狩った魔石の山。
そして最後に置いたのは、主を倒した証。
オーク・ディザスターの砕けた鉄角と、通常サイズの何倍もある特大魔石。
受付嬢の笑顔が引きつり、呼吸が止まる。
周囲の探索者も気づき、ロビーが水を打ったように静まり返った。
「これ……10階層の、主の……? まさか、2人で……?」
「はい。査定をお願いします」
俺が淡々と告げると、受付嬢は震える手で受け取った。
その直後、ギルド奥から責任者が駆け出してくる騒ぎになる。
登録から間もない新人と、地雷ヒーラー。
その2人による、最速の初心者ダンジョン完全制覇。
この異常な実績を前に、ギルド側は規定の審査を飛ばす判断を下した。
結果、俺と栞の冒険者ランクは特例として飛び級し、Dランクへ昇格した。
手続きが終わり、真新しいDランクのギルドカードが渡される。
硬い金属の冷たい感触。
隣の栞が、周囲の唖然とした視線を浴びながら誇らしげに鼻を鳴らした。
これで初心者ダンジョンはクリアだ。
中級ダンジョンへの挑戦権を得た。
そして明日の朝には、2つ目の夢の欠片で引ける黄金の睡眠ボーナスが待っている。
柄だけになったナイフの重みと、確かな高揚感を胸の奥にしまい込み、俺たちは夜のギルドの扉を押し開けた。




