第14話 完璧な観測手と、手のひら返しの熱狂
朝の探索者ギルド前。
冷たい空気が張り詰める中、待ち合わせ場所に指定した石柱の影に、栞はもう立っていた。
栞の周囲だけ、他の探索者が不自然に距離を取っている。
地雷ヒーラーに対する露骨な忌避感。まるで見えない結界だ。
だが、俺も栞もそんな視線は気にしない。
「おはよう。体調は?」
「よく寝たからばっちり。まずは8階層のボスだ」
短いやり取り。
昨日までの敬語は消え、自然な相棒の空気ができていた。
◇
ダンジョンへ入り、7階層に足を踏み入れたところで、栞が配信用の小型ドローンを起動した。
ふわりと浮いたレンズが俺たちを捉える。
通知が飛んだ直後から、同接が異常な速度で跳ね上がった。すぐに3000を超える。
『昨日の寝落ちニキだ!』
『神城栞の隣にいて無傷なやつ初めて見た』
『今日は魔法寄りの階層だけど大丈夫か?』
『昨日はまぐれだろ』
期待と半信半疑が混ざった声。
だが7階層の道中を塞ぐ程度の魔物では、俺たちの足は止まらない。
襲いかかってくる群れを、俺の最小回避と、栞の的確な支援で処理する。
歩幅は変えない。呼吸も崩さない。
倒れた魔物は光の粒子になり、残るのは魔石だけだ。
その光景が続くほど、コメントの温度が変わっていく。
『え、強っ』
『動きに無駄がなさすぎる』
『ガチじゃん……』
勢いのまま、俺たちは8階層のボス部屋へ辿り着いた。
重厚な石の扉。隙間から濃密な魔力が漏れ、肌が粟立つ。
俺は扉を押し開けた。
室内に充満する冷たい魔力。
薄暗い空間の奥にいたのは魔法型ボス、アビス・シャーマン。
取り巻きのアビス・カルトが4体。合計5体。厄介な陣形だ。
アビス・シャーマンはボロボロの黒いローブを纏い、山羊の頭骨を仮面みたいに被っている。
骨の杖が不気味に光り、その背後で取り巻きが同じように杖を構えた。
侵入者を排除するため、5体が同時に杖を振り上げる。
床に赤い魔法陣が幾つも浮かび上がり、室温が急激に落ちた。
俺は背後の栞を振り返った。
「じゃ、あとは任せた」
「任せときなさい。完璧に乗せるわ」
栞が笑うのを確認し、俺は戦闘態勢に入ると同時に意識を落とした。
――ここから先は、俺の意識の手を離れる。
真っ暗になった視界の奥に、見慣れたレトロゲームみたいなウィンドウが浮かび上がる。
そして現実の聴覚が、炎と氷の魔法弾が放たれる音を捉えた。
『アビス・シャーマン と アビス・カルトA〜D が あらわれた!』
『たたかう 消費SP:10』
『まほう』
『どうぐ なし』
『スキル』
『にげる 消費SP:100』
脳内が最速で『たたかう』を選ぶ。
周囲から弾幕が降り注ぐ。
だが俺の肉体は最適解に従い、首を数ミリ傾け、歩幅を半歩だけずらし、ぎりぎりで魔法の雨をすり抜けていく。
その後方で、栞は俺の初動を見逃さない。
避ける瞬間に速度寄り。
踏み込む瞬間に筋力寄り。
自壊の気配が出る寸前で支援を切り、次の支援へ繋ぐ。
コンマ秒のズレも許されないオンオフ。
俺の最適解と、栞の観測が噛み合った瞬間、弾幕はただの背景に変わる。
打撃が連続で入る。
取り巻きが次々と崩れ、光の粒子にほどけていく。
そしてアビス・シャーマンが防御障壁を展開しようとした、その瞬間。
無防備な懐へ、限界支援の乗った致死の打撃が突き刺さった。
ドゴォッ!
鈍い破裂音。
ボスの体がくの字に折れ、壁まで吹き飛び、そのまま光の粒子となって消えた。
短時間。
多対1の魔法陣形は、瞬殺で終わった。
◇
パチリと目が覚める。
床には5つの魔石。
そしてボスが残した漆黒の杖、深淵の骨杖。
魔法使いなら喉から手が出るレアだろう。
空中のウィンドウを見る。
瞬間の静寂の後、コメント欄が滝のように爆発した。
『は?? 今、避ける瞬間にバフ切り替わったぞ!?』
『弾幕の中を歩いて避けた……嘘だろ……』
『神城栞、タイミング完璧すぎる』
『今まで組んでた前衛が追いつけなかっただけ説』
『寝落ちニキもやばいし、観測手としての神城もバケモノ』
見事な手のひら返し。
それを見た栞が、ドローンに向かって優越感たっぷりに鼻で笑った。
「さて。8階層のボスもあっけなかったわね。予定通り、10階層を目指すわよ」
「ああ」
俺は深淵の骨杖をダミー用のリュックに無造作に放り込み、次の階層へ続く階段を下りていった。
◇
8階層を抜け、9階層の道中も止まらずに進む。
そして10階層へ続く階段の直前。巨大な柱が並ぶ円形の広間に出た時だった。
5人組の探索者パーティが、道を塞ぐように待ち構えていた。
先頭に立つのは、派手な装飾の鎧を着た剣士の男。
その瞬間、栞の足がぴたりと止まった。
横顔から感情が抜け落ちる。
「……何の用かしら。わざわざ先回りして」
声の温度が氷点下まで落ちていた。
男はドローンをちらりと見ると、恩着せがましい笑みを作って口を開く。
「栞、配信見たぞ。お前のバフ、やっぱり使えるじゃないか。俺が地雷のお前を拾ってやった恩を思い出せ。俺の指示通りに動くなら、特別にパーティに戻してやる。だから、そこの訳の分からん寝落ち野郎は捨てて来い」
能力と数字だけを都合よく利用したい顔。
手のひら返しにも程がある。
栞は冷たく見下ろすように嗤った。
「は? 冗談でしょ。私を追放したあんたたちみたいな雑魚じゃ、私のバフに1秒も耐えられず自壊する。用はないわ。邪魔だからどいて」
ばっさり切り捨てる。
俺も興味が湧かない。こいつらを倒しても経験値は入らない。時間の無駄だ。
「行くぞ、栞」
「ええ。そうね」
俺は男たちを無視して階段へ向かって歩き出した。
その態度が決定打だったのだろう。
男の顔が羞恥と怒りで真っ赤になる。
ウィンドウのコメントが踊る。
『元リーダー公開告白からの即拒否』
『ダサすぎ』
『手のひら返し失敗してて草』
全世界に恥を晒された男が、怒鳴り声を上げた。
「ふざけんな! ならそこで魔物の餌にでもなってろ!」
男は懐から小瓶を取り出し、床に叩き割った。
パァン、とガラスが砕け、鼻をつく強烈な異臭が広間に広がる。
コメント欄がざわつく。
『おい、今割ったの誘引の香じゃねえか!?』
『やばい、フロア中の魔物が狂乱して集まってくるぞ!』
指摘通り、周囲の通路から足音が響き始めた。
数じゃない。密度が違う。空気が震える。
「ついでに足止めだ! 動けなくなって無様に食われろ!」
男はさらに、紫色の煙を吹き出す玉を俺の胸元へ投げつけた。
パーン。
紫の煙が弾け、俺は真正面から浴びた。
『うわ、紫の煙って麻痺毒だろ!?』
『卑劣すぎ! ニキ動けないぞ!』
男たちは嘲笑いながら、10階層の階段へ向けて逃げ出す。
だがその瞬間、俺の意識はもう深く沈んでいた。
――ここから先は、俺の意識の手を離れる。
真っ暗な視界に、白枠のテキストが連なる。
『ゆうま は まひどく を うけた!』
『しかし じょうたいいじょうたいせい(しょう) が はつどう!』
『まひ を むこうか した!』
今朝引いたスキルが、ここで噛み合った。
そして目前には、数え切れない魔物の群れ。
『まもののむれ が あらわれた!』
『たたかう 消費SP:10』
『まほう』
『どうぐ なし』
『スキル』
『にげる 消費SP:100』
俺は迷わず『にげる』を念じた。
『ゆうま は にげだした!』
ポン、と軽い電子音。
俺の意識はさらに深く沈み、肉体だけが最適解で動き出す。
◇
配信画面は、絶望の絵面を映していた。
『あ、寝た』
『いや寝てる場合じゃないって! 魔物の群れが!』
魔物が押し寄せる。
逃げ道の先には、逃げた連中の背中。
だが煙が晴れた土煙の中から飛び出したのは、倒れているはずの朝倉優馬だった。
完全に脱力した肉体が、爆発的なバネで前傾姿勢を取る。
麻痺毒など最初から無かったかのように、迫る爪をぎりぎりで避け、階段へ向かって弾丸のように走り出した。
『え!? 麻痺効いてない!?』
『速っ!』
「は……? なんで動け――ぐはっ!?」
振り返った剣士の顔面に、優馬の靴底が容赦なくめり込んだ。
止まらない。
前を走る男たちの背中、肩、顔面を文字通り足場にする。
蹴って、踏んで、跳んで。
人間と魔物の隙間を飛び越えていく。
「いっ……何だこいつ!」
背中を踏まれ、顔を蹴られた男たちが転がる。
その後方を、栞がぴたりと追従した。
栞は自分に速度寄りの支援を乗せ、優馬が切り開いたルートの内側だけを走る。
結果、優馬を嵌めるはずだった連中は、魔物の群れのど真ん中に置き去りになった。
「待て、ふざけんな! ギャアアアア!」
背後から悲鳴。
栞は走りながら見下ろし、ドローンに向かって意地悪く手を振った。
◇
10階層への階段前で、パチリと目が覚める。
空中のウィンドウは祭りだった。
『元リーダー、自業自得すぎて草』
『物理踏み台エグすぎ』
『PKしようとした奴らが自滅しててメシウマ』
『神城の煽り性能高すぎ』
背後の通路から、くぐもった悲鳴と怒号が遠く聞こえる。
だが俺は振り返らない。
小さく息を吐き、無傷のまま階段を下りる。
人間の悪意すら足場にして置き去りにし、俺たちはついに未知の領域、10階層へ足を踏み入れた。
手のひら返しの熱狂。世間は現金で、だからこそ面白い。
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