第8話 真実を知る者は、整理される
辺境管理文書室は、静かだった。
王都の文書院のような慌ただしさはない。
来るのは地方役人の報告と、倉庫の在庫記録。
勇者も、魔王も、ここではただの単語だ。
私は、この静けさを少しだけ心地よいと感じていた。
少なくとも、今すぐ命を奪われることはない。
ここでは、世界の中枢から目を逸らして生きていける。
――そう、思っていた。
最初の違和感は、棚卸し作業の最中だった。
古い管理簿を整理していると、見慣れない名前が目に入った。
リオ・カルナス
職務:記録官
所属:辺境管理文書室
在籍年:七年前
私は、手を止めた。
七年前の記録官。
この文書室に、そんな人物がいたという話は聞いていない。
人事記録を確認する。
だが、その名はない。
異動記録も、退職届も、死亡記録も存在しなかった。
あるのは、この管理簿の一行だけ。
まるで――
最初から、途中で消える予定だったかのように。
「何か、問題でも?」
声をかけてきたのは、同僚の文官だった。
穏やかな人だ。
私が来てから、何度か世間話もしている。
「この名前に、心当たりはありますか」
私は、管理簿を指さした。
彼は一度だけ目を向け、すぐに首を傾げた。
「……ありませんね」
即答だった。
「記録官なら、覚えていそうなものですが」
「ここは人の入れ替わりが激しいですから」
そう言って、彼は笑った。
違和感はあったが、敵意はない。
本気で知らない顔だった。
私は、それ以上追及しなかった。
だが、胸の奥に、冷たいものが残った。
その夜、宿舎の机で私はノートを開いた。
辺境管理文書室に来てからの記録。
日付、作業内容、気づいた点。
そこに、リオ・カルナスの名を書き加える。
名前。
職務。
在籍年。
それだけだ。
だが、書いた瞬間、奇妙な感覚に襲われた。
――この名前は、書いてはいけないものではないか。
理屈ではない。
記録官としての、長年の勘だ。
私は、ノートを閉じた。
翌日、私は地下の保管庫を調べた。
七年前の文書がまとめられている区画。
埃を払いながら、箱を一つずつ確認する。
ある。
リオ・カルナスの書いた帳簿。
筆跡は、丁寧で、癖が少ない。
だが、ところどころに小さな注釈がある。
それを見た瞬間、私は息を止めた。
私と同じ書き癖だった。
断定を避ける言い回し。
「〜と考えられる」「可能性がある」という表現。
読み手に判断を委ねる余白。
偶然とは思えなかった。
この人物は、
私と同じやり方で書いていた。
だが、続きがない。
帳簿は、ある時点で途切れている。
未完成ではない。
綺麗に終わっている。
最後のページには、こう書かれていた。
本記録は、整理対象とする。
署名はない。
私は、しばらくその一文を見つめていた。
整理対象。
それは、文書に対する言葉だ。
だが、ここでは――
人に対して使われている。
私は、同僚にもう一度尋ねた。
「七年前、この文書室で何か問題はありませんでしたか」
彼は少し考え、首を振る。
「特には」
「記録官が突然いなくなるようなことは?」
「……さあ」
だが、彼はこう付け加えた。
「ここでは、そういう話はしない方がいいですよ」
それは忠告だった。
理由は言わない。
だが、言葉の端々に、慣れがあった。
夜。
私は、自分のノートを開いた。
今日書いた記録を、読み返す。
そして、気づいた。
昨日書いたリオ・カルナスの名前が、薄くなっている。
インクが消えたわけではない。
だが、どこか現実感がない。
私は、指でなぞった。
確かに、そこに書いた。
それなのに、
最初から書かれていなかったような感覚がある。
胸が、ひどく冷えた。
私は、はっきりと理解した。
ここは、安全な場所ではない。
王都から遠いだけで、
同じ仕組みの中にある。
そして。
真実を知る者は、
処刑されるとは限らない。
整理される。
存在ごと。
私は、ノートを閉じ、鍵のかかる箱に入れた。
消される前に、
残す方法を考えなければならない。
辺境の夜は、静かだった。
だがその静けさは、
守られているからではない。
すでに、何も起きていないことにされているだけだ。
私は、息を整え、灯りを消した。
明日も、何事もなかった顔で働くだろう。
それが、
整理されないための、第一条件だから。
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