第4話 記録官は、保護されない
通達は、一枚の紙だった。
王国文書院の正式な用紙。
配置転換通知。
文面は丁寧で、祝意すら感じさせる。
貴殿を、辺境管理文書室へ異動とする。
これは貴殿のこれまでの功績を鑑みた上での判断である。
私は、その紙をしばらく眺めていた。
異動自体は珍しくない。
記録官は国家の歯車だ。必要な場所へ送られる。
だが――
辺境管理文書室。
王都から三日の距離。
軍と地方役人の連絡帳簿をまとめるだけの部署。
勇者も、魔王も、王国中枢も関係ない。
そこに送られる理由は、一つしかない。
――切り離し。
私は通達を折り、机にしまった。
周囲の同僚は、何事もなかったように仕事を続けている。
「異動、おめでとうございます」
声をかけてきたのは、隣席の若い記録官だった。
彼は本気で祝っている。
悪意はない。
「辺境は静かでいいですよ。
危険な仕事もありませんし」
「……そうですね」
私は曖昧に笑った。
危険な仕事。
彼の言うそれは、戦場の話だ。
だが、文書院で危険なのは、戦争を書くことではない。
戦争の理由を書くことだ。
異動まで、三日。
その間に、私の仕事は目に見えて減った。
勇者関連の書類は、すべて別の担当へ回された。
書庫の一部には、立ち入り制限がかかる。
理由は「整理の都合」。
私は、廃棄予定の帳簿整理だけを任された。
誰も何も言わない。
それが、かえって分かりやすい。
昼休み、食堂で一人で食事をしていると、上司――第三課長が隣に座った。
「急な異動ですまないな」
「いえ。命令ですから」
課長は、少し困ったように笑う。
「辺境も大切な仕事だ。
君の几帳面さが必要なんだよ」
私は黙って聞いていた。
「……勇者の件は、忘れた方がいい」
課長の声が、低くなる。
「君は賢い。
だからこそ、これ以上踏み込まないでほしい」
それは忠告だった。
善意から出た言葉だ。
「私が何を知っているか、課長は把握しているんですか」
課長は一瞬、言葉に詰まった。
「……知らない方がいいこともある」
「では、私の記録は?」
「処理された」
短い答え。
私は、箸を置いた。
「消された、という意味ですか」
「整理された、という意味だ」
課長は視線を逸らす。
「君は、まだ守られている。
だから、ここで止まれ」
私は、その言葉の意味を理解した。
守られているのは、今だけだ。
その日の夜、私は書庫に向かった。
異動前に、確認しておきたいことがあった。
勇者関連の副資料棚。
整理番号は残っている。
だが、中身は空だった。
きれいに。
徹底的に。
私は、棚に手を置いた。
ここにあった記録は、確かに存在した。
だが、今は誰もそれを知らない。
いや――
知らないことにされている。
その時、背後で紙の擦れる音がした。
「……探し物?」
振り向くと、勇者パーティの元参謀が立っていた。
「あなたも異動だそうね」
「知っていたんですか」
「噂になるくらいには」
彼女は棚を見て、ため息をついた。
「やっぱり消したか。
早いわね」
「これは、私のせいですか」
彼女は首を横に振る。
「いいえ。
あなたは“書く前”だった」
その言葉が、妙に重かった。
「書いた人間は、もっと早く消される」
私は息を飲んだ。
「……では、私はまだ猶予がある」
「ええ」
彼女は静かに頷く。
「でも、それは保護じゃない。
延期よ」
彼女は私に近づき、低い声で言った。
「あなたが辺境へ行けば、
王都の記録は、あなた抜きで完成する」
「勇者の戦死報告書も?」
「もちろん」
私の胸に、冷たいものが落ちた。
あの報告書は、
私が書かなくても、完成する。
世界は、私を必要としていない。
それでも。
「……それでも、私は書きます」
私がそう言うと、彼女は少しだけ驚いた顔をした。
「どこで?」
「どこでも」
私は答えた。
「書ける場所がある限り」
彼女は、しばらく私を見つめてから、小さく笑った。
「本当に、厄介な人ね」
机に戻ると、私の名札が外されていた。
机はそのまま。
だが、そこに私の名前はない。
それで十分だ。
私はもう、文書院に“存在しない”。
異動とは、そういうことだ。
私は鞄を手に取り、最後に机を見た。
守られていない。
だが、まだ消されていない。
ならば、やることは一つ。
私は、書く。
誰に読まれなくても。
誰にも評価されなくても。
記録官は、保護されない。
だからこそ、
記録だけが残る。
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