第2話 英雄の死に、説明は必要ない
翌朝、文書院はいつも通り動いていた。
昨日の夜に感じた違和感など、最初から存在しなかったかのように、書庫には人が行き交い、机には新しい書類が積まれていく。
英雄の死も、戦争の一部として処理される。ただそれだけだ。
私は勇者の戦死報告書を抱え、上司の部屋を訪れた。
扉を叩くと、すぐに返事があった。
「入れ」
部屋の中は、書類で溢れている。
上司――文書院第三課長は、温和な顔で私を見上げた。
「例の件か」
「はい。勇者パーティの戦死報告書です」
私は書類を机に置いた。
課長は封を切り、ぱらぱらと目を通す。
その表情は、穏やかなままだ。
「……問題は?」
私は一瞬、言葉を選んだ。
「添付されている行動ログに、戦死時刻以降の記録があります」
課長の手が、止まった。
だが、それはほんの一瞬だった。
すぐに続きを読み、何事もなかったように書類を閉じる。
「それは未整理の資料だろう」
「ですが、勇者が魔王と接触した後も――」
「記録官」
課長は、私の言葉を遮った。
声を荒げたわけではない。
ただ、柔らかく、しかし確実に。
「英雄の死に、そこまでの説明は必要ない」
私は口を閉ざした。
課長は椅子にもたれ、ため息をつく。
「いいか。国民は勇者を信じている。
魔王と戦い、命を賭して世界を守った英雄を、だ」
机の上の報告書を、指で軽く叩く。
「そこに『実は生きていた』『途中で会話していた』などという余計な情報が入れば、どうなる?」
答えは分かっていた。
「混乱します」
「そうだ。希望は混乱を嫌う」
課長は苦笑した。
「我々の仕事は、真実を並べることじゃない。
納得できる形に整えることだ」
その言葉は、記録官として長く働いてきた私には、あまりにも馴染み深い。
だが。
「……では、この行動ログは?」
「廃棄だ」
即答だった。
「未整理資料として処理する。
君は様式通り、戦死報告書を書けばいい」
課長は視線を逸らし、窓の外を見る。
「君は優秀だ。余計なことを考えなければ、な」
それ以上、話すことはなかった。
私は一礼し、部屋を出た。
自席に戻ると、机の上に花が置かれていた。
白い小さな花束。
見覚えがある。
「失礼します」
声をかけられ、顔を上げる。
そこに立っていたのは、勇者の妹だった。
喪服に身を包み、少し緊張した面持ちでこちらを見ている。
「昨日は、兄のことで……ありがとうございました」
彼女はそう言って、深く頭を下げた。
私は慌てて立ち上がる。
「いえ。私は、まだ何も」
「いいえ」
彼女は小さく笑った。
「文書院の方が、兄の最期を丁寧に記録してくれると聞きました。
それだけで、救われます」
その言葉が、胸に刺さった。
私は、彼女の兄がどう死んだのか――いや、どう死んだことにされるのかを知っている。
だが、それを口にすることはできない。
「……必ず、責任をもって書きます」
それが、今の私に言える精一杯だった。
「ありがとうございます」
彼女は花を机に置き、もう一度頭を下げて去っていった。
残された花の白さが、やけに目に痛い。
夜。
私は再び書庫にいた。
課長の命令は明確だった。
行動ログは廃棄。
戦死報告書を完成させる。
それが正しい。
記録官として、模範的な行動だ。
私は問題の行動ログを取り出し、しばらく見つめた。
魔王と会話した勇者。
帰還途中で消えた英雄。
この記録が、世界を救うことはない。
だが、隠すことで救われる人がいる。
私はそれを理解している。
理解している、はずだった。
その時、机の上に置いていた紙が、わずかに動いた。
風ではない。
誰かが触れた形跡もない。
私は警戒しながら、その紙を手に取る。
そこには、私の字ではない文字が書かれていた。
短い一文。
「その記録は、君が思っているより危険だ」
背筋に、冷たいものが走る。
文書院の書庫は、関係者以外立ち入り禁止だ。
まして、私の机に直接メモを残すなど――。
私は周囲を見渡したが、誰もいない。
静まり返った書庫で、紙の擦れる音だけがやけに大きく響いた。
誰かが、私を見ている。
そして、この報告書を。
私はゆっくりと椅子に座り直した。
英雄の死に、説明は必要ない。
そう言われた。
だが、説明を必要としないのは、
説明されては困る側がいるからだ。
そのことを、私ははっきりと理解してしまった。
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