第16話 魔王は、敵ではないと言った
その接触は、戦場ではなかった。
剣も、魔法陣も、警報もない。
ただ、静かな夜と、誰も使わなくなった旧街道。
私は、そこに一人で立っていた。
呼び出されたわけではない。
命じられたわけでもない。
――だが、分かっていた。
ここに来れば、
“向こう側”と会うことになると。
「来たか」
声は、背後からだった。
振り向くと、
黒い外套を纏った人物が立っている。
人の形をしている。
だが、空気が違う。
圧迫感も、殺気もない。
ただ、世界の重さがそこにあった。
「あなたが……魔王ですか」
「そう呼ばれている」
否定はしなかった。
肯定もしなかった。
「殺しに来たわけではない」
魔王は、先にそう言った。
「話をしに来た」
私は、ゆっくりと息を整えた。
「……私には、交渉する権限はありません」
「知っている」
魔王は、即答した。
「だから、君を選んだ」
その言葉に、胸がわずかにざわつく。
「君は、剣を持たない。
だが、世界を動かしている」
「買いかぶりです」
「違う」
魔王は、静かに首を振った。
「君たちの世界は、
書かれた通りにしか動かない」
その言葉は、
私自身が何度も考えてきた結論だった。
「勇者は、私と会話した」
魔王は、淡々と語る。
「殺し合いの前に」
私は、黙って頷いた。
「彼は、賢い人間だった」
魔王は言った。
「勝てば救われる、とは思っていなかった」
胸の奥が、静かに痛んだ。
「彼は、選択を迫られていた。
勝っても、負けても、
世界が壊れる未来を」
「……だから、沈黙した」
私がそう言うと、
魔王は初めて、わずかに目を細めた。
「そうだ」
肯定だった。
「では、なぜ戦争を続けるのです」
私は、問いを投げた。
この問いを避けてきた理由が、
自分でも分からない。
魔王は、少しだけ間を置いた。
「終わらせるためだ」
その答えは、
あまりにも矛盾していた。
「戦争で、終わらせる?」
「違う」
魔王は、否定する。
「終わり方を選ぶために、続けている」
私は、言葉を失った。
「この世界は、限界に近い」
魔王は続ける。
「勇者を勝たせ続け、
英雄譚で繋ぎ止めれば、
破裂する」
「……王国も、同じことを言っています」
「だろうな」
魔王は、皮肉ることもなく言った。
「違いは一つだ」
「何ですか」
「彼らは、
終わりを先送りにしたい」
「私は、
正しい終わり方を選びたい」
風が吹き、
外套が揺れる。
その姿は、
英雄でも、悪でもなかった。
ただ、
責任を引き受けている者の姿だった。
「君に頼みはない」
魔王は、そう言った。
「味方になれとも、
真実を公表しろとも言わない」
「……では、なぜ」
「君が、書いているからだ」
魔王の視線が、
まっすぐこちらを向く。
「君は、
嘘と真実の両方を知っている」
「そして、
どちらにも完全には与していない」
それは、
私自身が最も苦しんでいる立場だった。
「一つだけ、言っておく」
魔王は、静かに言った。
「私は、勝ちたいのではない」
夜の静けさの中、
その声ははっきりと響いた。
「正しい終わり方を、選びたいだけだ」
その一言で、
私の中の善悪の線が、静かに崩れた。
次の瞬間、
魔王の姿は、そこになかった。
痕跡も、魔力の残滓もない。
最初から、
誰もいなかったかのように。
私は、その場にしばらく立ち尽くしていた。
王国は、嘘で世界を守る。
魔王は、真実で世界を終わらせようとする。
どちらが正しいか。
簡単な話ではない。
だが、一つだけ確かなことがある。
私は、もう「敵と味方」で世界を見られない。
宿舎へ戻る道すがら、
私はノートを取り出した。
今日の出来事を書く。
会話。
言葉。
沈黙。
評価はしない。
結論も書かない。
ただ、事実を並べる。
それが、
私にできる唯一の誠実さだ。
書き終えたあと、
私は一行だけ付け加えた。
魔王は、敵ではないと言った。
だが、味方でもない。
ペンを置く。
私は理解した。
この物語は、
もう勧善懲悪では終わらない。
そして――
後戻りもできない。
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