第1話 勇者は、確かに死んだことになっている
※この物語は、
剣も魔法も振るわない主人公が、
「書くこと」だけで世界と向き合う話です。
派手なバトルや爽快な無双はありません。
その代わり、
「もし英雄の死が、誰かに都合よく書かれていたら?」
という違和感を、少しずつ積み上げていきます。
静かな物語ですが、
よろしければ、最後までお付き合いください。
夜の文書院は、昼とは別の顔を持つ。
人の気配が消え、紙とインクと埃の匂いだけが残るこの時間帯を、私は嫌いではなかった。
机の上には、封蝋の施された革表紙の書類束。
王国公印。
差出人は軍務省。
件名――勇者パーティ戦死報告書作成命令。
私は一度だけ深く息を吐き、封蝋を割った。
勇者が死んだ。
それ自体は、珍しい話ではない。
この国は長い戦争を続けている。
魔王軍との戦線は膠着し、勇者は「希望」であると同時に「消耗品」でもあった。代替の勇者は生まれる。称号は受け継がれ、物語は続く。
問題は、どう死んだことにするかだ。
私は王国文書院に属する記録官だ。
剣も魔法も扱えない。
私の仕事は、起きた出来事を文章にし、未来に残すこと。
正確に、整えて、誰も疑問を抱かない形で。
戦死報告書には様式がある。
冒頭は勇者の称号と功績。
次に最期の戦いの概要。
最後に「その死が王国に与えた希望」。
英雄の死とは、そういうものだ。
書類に目を通す。
添付資料は少ない。
戦闘報告、部隊長の証言、簡易な地図。
どれも、必要最低限だった。
――いや、必要最低限すぎる。
私は無意識のうちに眉をひそめていた。
戦闘の記述が、ひどく曖昧だったのだ。
「激戦」「死闘」「最後の一撃」。
具体的な魔法名も、戦術もない。
血の匂いがしない文章。
勇者の死は、いつももっと生々しい。
剣が折れたとか、仲間が庇ったとか、叫び声が聞こえたとか。
英雄譚は、残酷さを削ぎ落とすが、完全には消さない。
だが、これは違う。
最初から“整いすぎている”。
私は一度、書類を閉じた。
こういう時、直感は大抵当たる。
添付資料の最後に、ひとつだけ未整理の紙束があった。
形式の違う、走り書きのような記録。
部隊行動ログ。
時系列に目を走らせる。
魔王城突入。
前衛崩壊。
勇者、単独行動。
魔王と接触。
――ここまではいい。
だが、その先が続いている。
撤退開始。
勇者、生存確認。
会話あり。
私は、手を止めた。
会話?
魔王と?
さらに読み進める。
帰還ルート。
王都方面へ移動。
護衛部隊合流予定。
……死んでいない。
少なくとも、この時点では。
私は何度か瞬きをし、もう一度最初から読み直した。
見間違いではない。
戦死とされる日時より後の記録が、確かに存在している。
おかしい。
このログは、なぜ整理されていない?
なぜ、戦死報告書に含まれている?
私はゆっくりと椅子にもたれ、天井を仰いだ。
頭の中で、職業的な思考が働く。
これは誤記か。
それとも、別人か。
あるいは――消された情報か。
どれにせよ、このまま書くことはできない。
戦死報告書は「事実を書く書類」ではない。
「事実として扱われる文章」を作るものだ。
だが、その前提となる事実が揺らいでいる。
私は再び紙束を手に取り、該当箇所に栞を挟んだ。
確認が必要だ。
上司に報告するか。
それとも、黙って様式通りに仕上げるか。
その時、遠くで鐘の音が鳴った。
深夜を告げる合図。
文書院の扉の向こうで、誰かの足音がした気がしたが、すぐに消えた。
夜の建物は、音が錯覚を生む。
私は机の上の白紙に視線を戻す。
戦死報告書の一行目を書くための紙だ。
勇者の名。
称号。
功績。
そして――死因。
私はペンを取り、しばらく動かせずにいた。
この勇者は、確かに死んだことになっている。
だが。
ペン先が、紙に触れる。
――この勇者は、
魔王と戦って死んではいない。
そう書いてしまいそうになる自分を、必死で抑えた。
私は記録官だ。
事実を疑うのは仕事だが、勝手に結論を書く権限はない。
だが同時に、思ってしまった。
この報告書は、
すでに誰かに書かれているのではないかと。
私の仕事は、ただそれをなぞるだけなのか。
それとも――。
ペンを置き、私は未整理の行動ログをそっと閉じた。
この勇者は、
少なくとも「魔王に殺された英雄」ではない。
それだけは、確かだった。
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