3/1 昼食
デジタル時計は冷徹に23という数字を表示している。
手元には今しがたコンビニから持ち帰った弁当が鎮座しており、レンチン1200Wの速攻設定で温めたにもかかわらず、若干の冷え感が所々に染みついた白米を、私は黙々と口に運んでいる。
プラスチック容器から立ち上る湯気は心もとなく、箸で持ち上げた米粒の一部は明らかに温まりきっていない。それでも構わない。空腹は時計の都合など待ってくれないのだから。
多くの人々は、日付が変わる寸前にこうして食事を始める私のことを笑うだろう。
想像に難くない。彼らは眉をひそめ、首を横に振りながら、こう言うに違いない。「体に悪い」「太る」「生活リズムが完全に狂っている」実に健康的で、実に常識的で、実に正論めいた助言の数々である。
SNSにでも投稿しようものなら、親切なアドバイスが、善意100%の顔をして飛んでくることだろう。
しかし、ここで私はただ一つの、しかし決定的な反論によって、それら一切の非難を華麗に一蹴することができる。その反論とは極めてシンプルであり、かつ論理的に完璧な事実である。
それは、私が今日起きたのは15時なので、今は実質昼ということだ。
起床から8時間。多くの人々が朝7時に起きて昼の12時に昼食を摂るのと、何ら変わりはない。
時刻という絶対的な数値ではなく、起床からの経過時間という相対的な時間軸で考えれば、私の食事のタイミングは完璧に正常なのである。
これは詭弁ではない。これは時間に対する新たな解釈、いわば個人的時間理論の実践なのだ。
私の体内時計において、今は正午過ぎのランチタイム真っ只中である。
太陽の位置や壁掛け時計の針がどうあろうと、私の胃袋と脳にとって、この時間は活動のピークを迎えるためのエネルギー補給の刻なのだ。
世間がこれを「夜食」と呼ぼうとも、私の生理学的観点からは、これは紛れもなく「昼ご飯」である。このロジックの前では、「夜遅くに食べると太る」という定説すら無効化される。なぜなら、今は夜ではないからだ。
この理論武装があれば、深夜のコンビニで弁当を選ぶ私の姿も、決して自堕落な夜更かし人間のそれではない。オフィス街のランチタイムに定食屋の列に並ぶサラリーマンと同じ、健全な労働力再生産のプロセスなのだ。背徳感に苛まれる必要など微塵もない。
私が今深夜にコンビニ弁当を購入していることにも説明がつく。
これは夜食ではない。
堂々たる民主的昼食である。ただし、明日の朝に寝坊した瞬間、この壮大な時間理論は、ただの夜更かしという現実に粉砕されてしまうのだから、民主主義というのは本当に脆いものである。




