2/20 過去、或いは未来に耽って
人として生活をしていると、哲学的な思いに耽る事が多くなる。
生の儚さであったり、客観における梵我一如的な思想であったり、千夏のまつ毛に入れるワンポイントは赤か青かであったりである。
そんな中で、多くの人がこと人生において最も過去と未来に思いを馳せるタイミングというのが存在する。
それは、Apple Pencilを無くした時である。
それは通話しながら作業をし、相手方が眠った後ソロREPOを始めるまでは手元にあった。
2時間ほどやったそのデータがBellaに吹っ飛ばされ奈落に突き落とされたタイミングでブチギレ台パンからのQuit gameを最速で押したのが最後である。
命の儚さを知り、その後のそのそとベッドから起き上がり昼飯をマックにて食うべくコンタクトをつけて家を出たのまでは思い起こされる。
その後膨れた腹を抱え30分ほどで家に帰ってきたのが午後3時のことである。
ぱっと遊べそうなフレンドはいなかったし、REPOもYAPYAPもソロでやるには難易度が高すぎるし、VRにて映画でも見ようとベッドに飛び込んだ。
結局見たい映画もなく、仕方なしにiPadを開いた時のことである。
Apple Pencil がない。
雑に扱ってきた過去はある。
iPadケースのポケットにも入れず、そこらに放置してきた前科はある。
しかし、彼はいつも優しくそれを赦し、私の望むときに傍にいてくれていた筈だった。
しかしそんな彼が今そこにいなかった。
ベッドの上を、横を、狭間を探してもその白い姿はどこにも見当たらない。
床に落ちたペットボトルをかき分け、去年無くしたアイマスクを見つけ、インフルの時おそらく一番見た液晶である体温計を見つけたが、依然としてApple pencilは姿を見せなかった。
過去の過ちを、自らの愚かさを呪った。
私が未だ悟りを開けていない無力さを実感した。
ブラフマンがアートマンと同一であるとするなら私はその行方を知らない訳がないのだ。
ここでいつもの考えを思い起こす。
彼はもしかしたら未来に羽ばたいたのかもしれない。
昔ドラえもんを観てから、今の何かしらの物がなくなった時は未来の自分がそれをタイムマシンか何かで取っていったのだと考えるようになった。
タイムマシンの存在は証明されていないが、私がこう考え、未来の私或いはその子孫がそれを実行すれば、そこにあった筈のものが明確に失われた時それを証明できると思った。
残念ながら今日までその証明が為されたことは無いが、今この瞬間、「ベッドで使ってたはずのApple Pencilがベッドの周囲5mをひっくり返しても見つからない」状態を維持することができれば、それは初めて成されることになるのでは無いだろうか。
歴史的な発見に打ち震えるような感動がある。
しかしそれはそれとして、さっさとApple Pencilが返ってこないと千夏のまつ毛云々以前に絵が完成しないので、未来の私はさっさとApple Pencilを返して頂きたい。




