1/31 「秘密」の
私のポケットには常に幾らかの小銭が入っている。
アイボリーには1円、ベージュに4円、ジーパンに40円、ブラウンに2円である。
それはコインランドリーに使用したあまりであったり、駐車場に落ちていたキズまみれの1円であったり、カツ食った帰りのポケットティッシュ代の釣り銭であったり、入手経路は様々だが、全てのズボンには等しく幾らかの小銭が入っていた。
指先にそれが触れるたび、ポケットにそれを仕舞い込む皺だらけの手を思い出し、郷愁にかられるのだ。
現代の電子マネー化は、多くの時間短縮を生んだ。
レジで1024円が並んだは良いが、小銭に直すと1000円飛んで6枚の硬貨が必要である事にゲンナリする事も、1456円や2838円などの時にいくら払えば釣り銭がピッタリになるか考える時間も、あのひりつく様な感覚を覚える事も無くなった。
何にしてもタッチ決済、バーコード決済というのは便利だ。
会計は2秒あれば終わるし、PayPay決済後の「スクラッチチャンス!」にさえ目を瞑れば、多くの場面でストレスフリーな買い物行動をとることができる。
今や私の多くの買い物はこれら電子決済にて行われているし、逆に紙幣以外を外出する際持っていくという事もなくなった。
しかしここで、今一度考えてほしいことがある。
電子決済の便利さにどっぷり使った私たちこそ、当時の現金決済のことを思い出すべきでないか。
幼少期、硬貨一枚のお小遣いを握りしめ、100均のおもちゃコーナーに走ったあの日のことを。
たまの臨時収入でお菓子を買えるだけ買ったあの日のことを。
私の祖父は、帰りの遅い両親の代わりに学童保育の迎えを任されていた。
夕飯の時間は19時から20時、学童保育に迎えにくるのは17時ごろで、私と祖父は「秘密タイム」という名称のコンビニ散策を月に何度か行っていた。
学校の門を出てすぐにある今はなきサークルKの駐車場にエスティマで止まる。
「秘密」のコンビニ散策である。
私と祖父はまるでスパイ映画の登場人物かのような動きで車を降りる。
極めて自然な動きで私は祖父の隣に立つ。
コンビニに入る寸前、祖父は手を突っ込んだままの私のポケットに手をねじ込み、100円硬貨を2枚手渡してくる。
側からは誰にもわからない、完璧な資金移動であった。
100円以内で十分に満足できる量のお菓子を購入できた時代である。
とはいえ、100円の範囲では手の届かないラインナップも当時存在していた。
そこで200円である。
100円と違い、その金額により得られる組み合わせの総数は2倍では効かない。
ブタメン、ビッグカツ、じゃがりこ。
100円の時には躊躇していたそれらがカゴの中に放り込まれる。
そしてそれらカゴを祖父に渡し、祖父はガムと酒と一緒にお菓子の決済をする。
それがいつもの流れであった。
ホクホクで家に帰る私。
大量のお菓子が並べられていることに満足している中、ふとポケットを弄ると、最初にねじ込まれた200円がそのまま入っているのだ。
ああ、そういえば私はこのお金でお菓子を買ったわけではなかったのか。
慌てる私。
もはや詐欺のようなものだ。
今になればそれは祖父がお小遣いとしてくれたものであったことはわかるのだが、当時としては万引きに近しい罪悪感が伴っていた。
私はかなりの金額のお菓子を購入した。
200円は祖父にとっても手痛い出費であったろう。
100円硬貨を握りしめ、ソファで寝転ぶ祖父に200円を差し出す。
その様子に目を丸くした祖父は、目尻の皺をより深くして言った。
「それは取っときな、次の『秘密タイム』でつかや良い。」
…
あれから十数年、祖父はもうかなり前に亡くなってしまった。
しかし、指先に触れるこの硬貨の感触が、祖父との記憶を思い起こしてくれるのだ。
それはそれとして、このまま洗濯するとコインランドリー弁償とかいうバケモン請求が来るかもしれないから、出させてもらうね。
ありがとうじいちゃん。




