1/25 受動的
変わってやりたいと思う。
ともにその苦しみを分かち合い、できることなら私がその全てを請け負ってやりたいと思う。
誰とと言われれば、昨晩の私である。
人のメンタルの在り方というのは大変に難儀なもので、本人がそうあろうとしても反対の結果を導くケースが多分にある。そうあろう、そうなりたい、かくあるべきと望んでも、それは体を規制し、主たる私たちの敵として立ちはだかり続ける。
何かというと、昨晩の私は不眠に唸っていた。
これは私の悪いくせであろうと思うが、寝よう、寝ようと思う程に目は爛々と冴え、眠気なんぞはふつとも沸かない。
早く床についても変わらない。眠とは受動的なもので、能動的にできることではないのだ。
結果として、昨晩の私は眠れぬままに午前三時のデジタル盤をのぞいていた。
私は八時には家を出なくてはならない。
起きるのなら七時だ。しかして、意識は体の操縦席にふんぞりかえり、そこから退く気は無いようだった。
それから5時間。
今の私は外着に着替え、駅への道を歩んでいる。
あれほど頑固に操縦席に固執していた意識は、今かいまかとそこから逃げだすタイミングを伺っている。
変わってやりたい。
眠気とは受動的なものだ。
今の私にはどうしようもできない。
昨晩の私よ、その不眠の苦しみを今の私に分け与えたまえ。叶うことなら今の私をベッドに横たえ、代わりに部活に行ってくれ。




