1/22 至難の業
そろそろ片付けるべきか。
床に散乱している綾鷹濃い緑茶のペットボトルを蹴り飛ばしながらトイレの扉を開けるたび思う。
45Lのゴミ袋からぶちまけられたそれは、トイレのドアの開閉に従って左右に転がり、偶にドアストッパーとなって扉を閉める手を妨害する。
この惨状が出来上がったのは1週間前。
当時はインフルエンザ全盛で、常に39℃の熱に侵されながらトイレに行っていた。
高熱と体力低下により足元はおぼつかず、5月に外で本を読みたいと言う理由だけで購入したはいいものの、雨の日は部屋に入れるし、そもそも冬や夏は外が過酷すぎて出せなくなっているデッキチェアを跨ぐ過程も相まって廊下に放置されていたペットボトルのゴミをひっくり返してしまったのだ。
凄まじい音だった。
大量のペットボトルが崩れる音。
踏みつけて中の空気が潰れる音。
私は酒を呑まないからまだ良かったものの、もしこれが綾鷹濃い緑茶でなくサッポロ黒ラベルなどであった場合、音量はこの比ではなかったであろう。
まぁそれはいい。
とにかく問題は、トイレ前の廊下を埋め尽くさんとするペットボトルの大群である。
インフルエンザ当時は片付ける気概は浮かばなかった。
落ちている100個弱のペットボトルを拾い上げ、45Lゴミ袋に詰める。
文字にするだけなら簡単だが、立ち上がるのも重労働だった当時視点、それは至難の業だった。
ならば今ならどうか。
ベッドからも見える、緑色のラベルに埋め尽くされた廊下を眺める。
…。
……今の私からしても、これら惨状を回復するのは至難の業であろうことが想像できた。
保存の法則である。
ペットボトルを片付けるという仕事をする人間が変わらないのなら、結局それはいつやっても至難の業であることには変わらないのだ。
ベッドに寝転びながら、リビングの惨状にも目を向ける。
セブンイレブンの宅配サービスで大量に買い込んだカップ麺。
隔離されているインフル期間中の鼻を噛んだティッシュと飲んだペットボトル。
処理しなくてはならない。
早く片付けなくてはならない。
先回し云々については、この間の行動経済学でやったではないか。
ああ、あのテスト難しすぎて6割が落ちたやつ?
…人生は難易度が高すぎる。
熱を早く下げることも、部屋を片付けることも、行動経済学の単位を取得できた4割になることも。
それはどれも私にとって至難の業であった。




