1/20 雪籠りの前の日
「明日は雪が降るらしい。」
その言葉にも、傍の妹は藁の布団を深く引き上げて、顔の半分を隠したまま動こうとしなかった。
吐く息は白く、布団の中で小さく震えている。夜はいつも同じ濃さで、窓の外は闇と氷の色しかない。
僕は靴を履き、妹の肩を軽く揺すった。
「行こう。吹雪が来たら、しばらく出られない。」
妹は不満そうに目を細めたが、やがて観念したように起き上がる。
袖の擦れた外套を着せ、手袋をはめる。指先の感触が頼りなく、いつもより小さい手が僕の掌に収まった。
外に出ると、風は鋭く、街は息を潜めていた。
凍った路面を踏むたび、乾いた音が夜に吸い込まれる。妹は歩幅を合わせるのが精一杯で、何度も立ち止まった。
僕はそのたびに振り返り声をかける。進めば、街の中心に近づくほど人影が増え、低い話し声が集まってくる。
市は、夜の中でかすかな熱を持っていた。保存の利く穀物、乾いた肉、塩。
必要なものだけを選び、袋を満たす。妹は数を数え、僕は重さを確かめる。
吹雪の前日には、誰もが同じ動きをしている。急ぎ、俯き、少しだけ焦っている。
帰り道、風が途切れる広場に出た。
建物の影が開け、空が広く見える。そこに、小柄な爺さんが腰を下ろしていた。
毛皮の襟を立て、火のない手元で、ゆっくりと指を動かしている。僕らに気づくと、爺さんは手招きをした。
近づいた瞬間、上を見上げた妹が息を呑んだ。
空に、淡い光が流れていた。
緑と紫が、ゆっくりと夜を撫でる。
凍った空気の奥で、波のように揺れている。
「雪籠りの前日には、決まってオーロラがかかるんじゃ。」
爺さんは、空を見上げたまま言った。
僕と妹は言葉を失い、ただ立ち尽くす。光は静かで、冷たくて、それでも不思議と胸が温かくなる。
爺さんはその様子を一瞥すると、何も言わず、足元の鞄から小さな金属の容器を取り出した。
風を避けるように身体を丸め、慣れた手つきで火を起こす。
青白い炎が一瞬だけ闇を照らし、湯が温まる音がかすかに響く。
粉を落とし、匙でゆっくりとかき混ぜると、甘くて懐かしい匂いが夜に滲んだ。
差し出された器は小さく、縁に霜が浮いている。それでも中身は確かに温かく、指先からじわりと熱が戻ってくる。
妹は両手で抱え込み、僕は一口だけ啜った。苦味と甘さが喉を通り、凍えていた身体の奥に沈んでいく。
爺さんは空を見上げたまま、ゆっくりと口を開いた。
「昔は、夜の他に朝と昼という時間があった。空はもっと青く、明るく、暖かかった。」
爺さんの声は、遠い記憶のように低かった。
妹が僕の袖を引いた。
「どうして今はこうなの?」
爺さんは、少し考えてから笑った。
「その昔、こう思った奴がいたんじゃ。『2限また寝坊した。夜が後2億時間くらいあればまだ間に合うのに。』それ以来、ずっとこうよ。」
妹は首を傾げ、僕は思わず苦笑した。
「傍迷惑なもんだね。」
「全くじゃ。」
爺さんはそう言って、手を振った。光はまだ空に残っていたが、風が戻り始め、夜はまた冷たさを取り戻す。
僕らは袋を抱え直し、家路についた。
妹の足取りはさっきより軽い。
背中にオーロラの余韻を感じながら、僕は思う。
明日は雪が降る。
それでも今夜は、少しだけ明るかった。




