1/2 寝正月
望むべくは寝正月である。
何かと問われれば、私の思う正月の理想系のことである。
私とて新年を寿ぐ心は十分に持っているし、今年の祈願はこの日記の継続であった。
昨日書いたように喫緊の金を欲する身としては親戚一同お年玉行脚もまた必須の働きである。
数年ぶりにあった叔父の老け様に目を疑い、これまた数年ぶりに会った再従兄弟の容姿淡麗振りに弟との進化方向の違いを嘆くのもまた、正月のある種恒例行事であろう。
それはそれとして、私は基本的に怠惰な人間である。
叶うならば1日のほとんどはベッドの上で過ごしていたいと思うし、睡眠時間は12時間は取りたいし、外の空気はあと4ヶ月は吸いたくないと思う。
YouTubeショートかKindle で脳の報酬系をドバドバさせつつ、日の歩数を20歩以内に収めるのが先月の目標であった。
なんならスマホを見るために腕で端末を支えるのすら億劫で、願うならば瞼の裏側にショート動画が流れる様に科学技術が進歩することを日々願っている。
それで言うと、VRゴーグルは私の望むカタチを80%くらい叶えてくれたが、あれはあれで寝ながらつけていると目の下とでこ当たりがだんだん痛くなってくるのだ。
それでも無いよりかはあったほうが2億倍有難いのだが、それすらも今私の手元には無い。
1週間前の帰省準備でVRゴーグルを荷物に入れなかった怠惰に1人憤慨するしか無いが、実家で寝ているだけでタダ飯が出てくる環境というのは、これら私の怠惰欲を満たし得るに値するものであった。
しかし悲しいかな、私の両親は極めて勤勉な人間であった。
母は幼稚園から高校までの教諭免許を大学在学中に軒並み取得し、それなりの齢になった今でも昔と変わらない容姿と仕事量を怪物小学校教諭で、父に関しては、私はよく友人に父のことを話す際、最強の人間として紹介するのだが、いくつかのスポーツ、武道を収め、それでいて頭脳明晰、今は役所でかなり上のポストに付いているらしい。
よく友人からはそんな両親の間に生まれたのがコレ?と嘆かれるが、実際私ほどの自己肯定力がなければ両親と自身の能力を比較して塞ぎ込むであろうことは想像に難く無い。
私の幼馴染に似た様な家族形態を持つ奴がいるが、彼と彼の兄がそれぞれ難関大学に合格しているのと比較して私が中堅私立に甘んじているのは、私の両親がとりわけ自分らの子供に対して甘すぎたのが原因であろう。
結果として、私は痩せ細った肉体に収まり切らぬほどの怠惰を身にまとい、弟は脳筋の筋肉ダルマへと育った。
まぁそんなことは置いておいて、とかくこの勤勉な両親は、正月を寝て過ごすという発想が端から存在していない様だった。
私の怠惰は、勤勉な両親が汗水垂らして私に作り与えてくれた最高のプレゼントである。
しかしてその怠惰は、意図しないところでその勤勉さによって削り取られている。




