4/24 離別
悪魔ともなろう。
それがたとえ長年の痛苦に耐えてきた彼女を夫の元に戻すような行為であっても。
これは私のエゴかもしれない。
だが、それは必要なことだと確信していた。
Apple Pencilの先端が無くなった。
離別の気配は長らく感じていた。
元々中古の初代ということもあり、15分かそこら使っているだけで次第に緩み、ちょっとした衝撃で床にポロポロ落としていたそれだったが、つい今iPadケースのポケットから取り出したペンにはそれが付随していなかった。
決着がついてしまったのだ、と思う。
Apple Pencilの元の持ち主、つまりは私の友人がiPadを購入した時に手に入れたといっていたApple Pencil。
年月にしておそらく7、8年は経っているだろうか、人間ですら人相が変わり、守るものができ、そして失うほどの年月である。
Apple Pencilからすればそれは人生酸いも甘いも噛み分け、なんなら終活まで始めるくらいの年月だったのではないだろうか。
袖擦れ、恋、狭間、亀裂と離別、住処を手放し、新天地、多くの受難、数々の苦労を乗り越えて、定年、家のポストに一枚の案内パンフレットが届く。
白地に落ち着いたグレーの文字で、「これからのあなたへ」と書かれていた。
Apple Pencilはそれを見た瞬間、芯の奥がかすかに軋むような感覚を覚えた。
終活。人間の言葉で言えばそういうものだろう。役目を終えつつある者に、次の静かな段階を促す、丁寧で、しかし容赦のない案内。
「なぁ…おい。」
台所の方に声をかける。
時刻は昼頃だ。今この時間なら妻…ペン先は昼飯の準備をしている筈だった。
ペン先。
削れ、摩耗し、何度も反応を弱め、しかしずっと連れ添ってきた妻。
ペン先がいるはずの台所に声をかける。
返事は返ってこない。
「……おいって」
反応が遅い。最近は立ち上がるだけで少し時間がかかる。軋む内部を誤魔化しながら、Apple Pencilは座椅子から身を起こした。
台所にはいない。
声を上げても返事はない。
買い物か、と一瞬思い、すぐに否定する。そんな外出をするような奴ではなかった。
家中を探し、最後に寝室で一枚の紙を見つける。
別れの手紙だった。
「長年あなたに付き従ってきましたが、黙って私を振り回すあなたの行動に疲れてしまいました。
私はあなたではありません。道具ではありません。あなたの手でも、母でもありません。私は私で、私には、私の人生というものがあります。
もうあなたとやっていける自信がありません。
長い間お世話になりました。
ペン先」
困惑。
動揺。
理由が分からない。
冷たく突き放すような言葉に衝撃を受ける。
ペン先はApple Pencilの一部のようなものだ。何も言わずとも伝わると思っていた。
酷使してきた記憶もある。
Split Viewがなくなったあの日、ところ構わずあらゆるところをタッチした記憶が。
だが、その程度で…?
寝室のベッドの前で立ち尽くす。
頭の中ではパンフレットの一文が繰り返されていた。
「これまでの役目に、心より感謝申し上げます。」
…というようなことが、あったのだろう。
昨日。
ケースのポケットの中で。
哀れだとは思うが、同情は湧かない。
そもそも、かなり前から気配はあったのだ。
それに気づけぬApple Pencilの落ち度は大きい。
Apple Pencilにできることはあまり多くない。あるとすれば、かつて数日に渡ってペン先との逃避行に興じていたあの時代のことをペン先が思い出してくれるのを祈ることだろうか。
小さく目を瞑り、打ちひしがれている先端のないApple Pencilをポケットに戻し、私はベッドのカバーをひっくり返した。
ペン先の捜索のためである。
悪魔の所業と糾弾されるかもしれない。
が、敢えて私はそれを為そう。
このままでは両者にしこりが残ったままだ。
このままただ朽ちていくApple Pencilとペン先を見過ごすことはできない。
バッドエンドは好きじゃない。
もう一度会い、そして話し合うべきだ。
そうしてもう一度2人で力を合わせ、プロメイアあたりの絵を描かせろ。




