第6章 再覚醒
夜。二人は役場でもらった地図を片手に、街の周囲を巡っていた。
「やっぱり痕跡がばらけすぎてるわね。森、川、廃屋……」マナはうんざりしたように羊皮紙を丸めた。
レイナは淡白に答える。
「散っているようで、全部が繋がっている。水流よ」
「水……?」
「溶解して移動するなら、もっとも効率的なのは下水や水路。ここに入っているはず」
レイナは石畳の隙間から伸びる排水路を見下ろした。生ぬるい風と、わずかに酸の匂いが漂っていた。
二人は地下の下水通路に降りた。そこはじめじめとした石造りの迷路で、水音がどこからともなく響いてくる。
マナが吐き捨てる。
「嫌な場所ね。気配が散ってる」
「いる。――来る」
レイナが呟いた直後、闇の中からぬるりと黒い影が伸び出した。半透明の塊が無数に分裂し、槍のように尖って襲いかかってくる。
「っ!」
二人は高周波ブレードを抜き、振るった。白い火花とぬめった飛沫が飛び散る。しかし、斬っても斬っても再生する。
「核を潰さないと駄目!」マナが叫んだ。
「探す――っ」レイナが答えたが、その瞬間、粘液の触手が彼女の足を絡め取り、壁へ叩きつけた。
「レイナ!」
次の瞬間、スライムが彼女の胸元を覆い尽くし、溶かそうとじわじわ侵食していく。レイナは苦悶の声を漏らし、剣を取り落とした。
マナの頭の中で赤い警鐘が鳴る。
「ふざけるな……!」
彼女は迷わずレイナの首筋に噛みついた。温かい血が舌を濡らす。脈打つ命の力が流れ込み、身体の奥で何かが爆ぜた。視界が赤に染まり、瞳の奥に灼けるような魔紋が浮かび上がる。
「――見えた」
マナの声が低く響く。
魔眼が闇を貫き、スライムの中心で脈動する小さな結晶核が光っているのを捉えた。
「そこか!」
マナは一直線に駆け、渾身の一撃を叩き込んだ。赤黒い力がブレードを覆い、核を寸断する。
スライムは断末魔のような泡を散らし、崩れ落ちていった。残されたのは淡く光る破片だけだった。
マナは荒い息を吐き、血の味を拭った。
「レイナ、大丈夫?」
「……問題ない。助かった」レイナは苦しげに起き上がる。表情は変わらないが、その瞳だけがかすかに驚きに揺れていた。
翌日、二人は役場に戻った。
男は机を叩き、声を上げた。
「嬢ちゃんら、本当にやったのか!?スライムを倒しただと!」
マナは淡々と破片を机に置いた。
「これが核の残骸。確認できるでしょう?」
「ま、間違いねえ……!これで村も安心だ!約束通り、報酬は払わせてもらう」
金貨の詰まった袋が机に置かれた。
「百枚だ。こんな大金を渡すのは久しぶりだぜ」
マナは袋を手に取り、重みを確かめて小さく笑った。
「やっと、まともに寝食できるわね」
レイナは静かにうなずいた。
「資金確保。次に進める」
二人の視線は自然と、街の外へ向いていた。
***
夜。
宿屋の二階、粗末なベッドに腰かけて、マナは金貨袋を弄んでいた。
「百枚……思ったより重いわね」
袋を振ると、金属の鈍い音が部屋に響いた。
「すごいね……こんなにたくさん」
レイナは窓辺に立ち、外の暗闇を見つめながら小さく呟いた。
「これで、旅装や装備、当面の食糧は確保できそうね」
マナは金貨を一枚つまみ、かざしてみる。蝋燭の光を反射して赤金色に輝くそれは、妙に現実味がなかった。
「本当に冒険者みたいね。怪物を倒して、金貨を手に入れる……わかりやすくていい」
「でも……」レイナはそっと目を伏せた。「代償もあったわ」
マナは一瞬目を伏せる。血の味がまだ喉奥に残っている。レイナの体温、鼓動、そして流れ込んできた生の奔流。
「……ごめん。勝手に噛んじゃって」
「……助かった」
レイナの声は小さく、それでいて確かだった。マナは少し驚き、目を瞬いた。
「え?」
「私だけでは、あのスライムは倒せなかった……あなたの魔眼がなければ、核を見つけられなかった」
マナは言葉に詰まる。吸血鬼としての力を使うことに、どこか後ろめたさがあった。だがレイナは否定しなかった。それどころか肯定した。
「……そうね、でも」
マナは自分の眼を指でなぞった。今は赤い輝きは沈み、ただの黒に戻っている。
「使えば、また……人間じゃなくなっていく気がするわ」
「もう……半分、そうなっているのかもしれない」
レイナは小さく肩をすくめて、でも柔らかい声音で続けた。
「でも、力を使うこと自体は悪くないわ。大事なのは制御できるかどうか」
「制御、ね……」マナは呟くと、金貨を一枚、レイナにそっと差し出した。
「ほら、あなたの分」
「……いらないわ」レイナは控えめに手を伸ばして、金貨を机に置いた。
「お金の管理はマナに任せたわ。…私が欲しいのは別のもの……情報」
「情報?」
「ええ。王が、この世界と異界の裂け目に関わっているかもしれない」
レイナの声は柔らかいのに、そこに確かな決意があった。
マナは背筋を伸ばす。
「魔女が言ってた手掛かりのことね」
「資金はそのために使うわ。道を拓くために」
レイナは窓の外を見ながら、小さく息を吐いた。
マナはしばらく黙り込み、やがて苦笑を漏らした。
「わかったわよ。どうせ私も気になってるんだから……でも、まずは服とか買い直したいわね。血とスライムでぐちゃぐちゃだもの」
「それは……必要ね」
レイナは少し微笑んで頷いた。
マナはくすっと笑い、ベッドにごろりと横になった。
「金貨百枚で服と食糧……あと、甘いお菓子も買っちゃおうかしら」
「無駄遣いは控えてね」
レイナの返しは優しいのに、きちんとした声だった。




